彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~
……カイダールには解せなかった。
王族の近衛として召し上げられ、御前試合にてその腕を存分に振るい、歓声と脚光を浴び、栄誉を賜る。
敗北した者を見下し嘲り、優越感に浸る――
それに勝る喜びが、どこに在るというのか……
カイダールにとっては『それ』こそが望みであり、『それ』以外に、欲するものなどなかった。
「貴様の裏切りのせいで、このおれ様は城を追われたってのによぉ……」
口にし、思い返すほどに、苛立ちと怒りが込み上げる。
臆することも怯むこともなく、見据え返してくるその眼が、気に食わない。
瞳に宿る『光』を……その『光』の源となっている『意志』を粉々に砕き、失意の底へと完膚なきまでに、叩きのめしてやりたくなる……
「まぁ、いい……」
一つ、大きく息を吐き……
「そんなことより、このおれ様を足止めしていたあの女だがな……」
口の端を吊り上げながらゆっくりと、拳を前へと突き出す。
指に嵌められている指輪が……
「今頃……どうしているだろうな――」
指輪の『蓋』が全て開いていることが、彼らに良く、見えるように――
『それ』が何を意味するのか、理解させるように……
……声のない驚きが、彼らの間に奔ってゆくのが分かる。
見開かれていく瞳が、彼らに与えた衝撃が如何に大きかったのかを物語っている。
当然だ。
彼らは知っているのだから……この指輪の中身が『何』であるのか――
そしてその威力も、目の当たりにしているのだから……
―― 様を見ろ ――
そんな『想い』が腹の底から湧き上がる。
彼らの強張る表情を、仲間の身を案じ揺れる瞳を見るのが、愉快でならない。
手下たちが、嘲りの籠った下卑た含み笑いを浴びせ掛けている。
その『嗤い』に顔を歪める彼らの様に、胸のすく想いがする……
『力』を――他人の為に使って、何になるというのか。
『力』とは、己の為に使うものだろうに……
悔し気に睨みつけてくる、バラゴたちを鼻先で嗤い捨て、
「おまえら、さっさとこいつらを始末して、馬を奪っておけ。馬車はおれが追う」
カイダールは爪先を馬車の方へと向けた。
「はいっ!」
「任せといてくだせぇっ!!」
自分と同じように、彼らの悔し気な様に胸のすく想いがしたのだろう……小気味の良い返事が返ってくる。
士気の上がった手下たちの応答を耳朶で捉えながら、
「おいっ! 待てっ!! カイダールッ!!!」
背に投げ掛けられたバラゴの怒り声を無視し、カイダールは地を蹴っていた。
***
「くそっ!!」
「あいつ……!」
「どうするっ!? ガーヤッ」
下卑た笑みを浮かべ、ゆっくりと距離を詰めてくるカイダールの手下ども……
見る見る内に小さくなってゆく背と、眼前の手下どもとを交互に見やり、バラゴとバーナダム、そしてロンタルナは、判断をガーヤに仰いでいた。
本当にあのエイジュが、『毒』にやられてしまったのか……信じ難い思いはある。
だが、同じ毒にイザークもやられている。
『毒』の威力は確かだ……
彼女の安否を――馬車の護衛を――
どうしたら良いのか、惑う。
今、奴らの足止めという『役割』を、誰か一人でも放棄したら……
せっかくコーリキが連れ出した馬を奪われ、重臣方を、更に危うい目に遭わせることになりかねない。
葛藤に、表情が歪む。
奴らの笑みに浮かぶ、嘲りと余裕の色が尚更、焦燥を呼ぶ……
「とにかくっ!」
惑いと焦燥を振り払うかのような、強く厳しいガーヤの声音が、耳を衝く。
己に集まる皆の眼を見回した後……
ガーヤは大きく息を吐き、
「こいつらをさっさと倒す――」
改めて、気を引き締め直すかのように、
「それが一番だよっ!」
剣を手下どもへと向けた。
「はっ!」
手下の一人が彼女を見据え、鼻先で嗤い捨てる。
見下した笑みを浮かべたまま、
「やれるもんならやってみなっ! くそババァッ!!」
耳慣れた煽り文句と共に、剣を振り翳し襲い掛かって来る。
「毒でやられた仲間を、助けに行かなくていいのか!? てめぇらっ!!」
「馬車もどうなるか分からねぇぞっ、頭が向かったんだからなぁっ!」
一度、落ち着きを取り戻した心を再び焦らせ、惑わせ……更なる揺さぶりを掛けてくる。
「うるさいねっ!」
刃を打ち合う音が、激しく響く。
「そんなことは分かってるんだよっ!!」
拙い揺さぶり……だが、事実であるが故に、どうしても『焦り』へと繋がってしまう。
奴らの稚拙な煽り言葉にざわめく、己の精神の弱さに、ガーヤは唇を噛み締めていた。
「少し、黙っておいでっ!!」
「ぐあっ!!」
苛立ちを刃に乗せ、彼らの口を塞ぐように、思い切り振り当てる。
彼女の剣の勢いに負け、手下が砂地に倒れ込んでゆく――
「――――っ!」
男の倒れた姿に、エイジュの影が重なる。
『毒』にやられ、苦しんでいるかもしれないその姿が…………
剣を握る手に、無意識に力が籠る。
微かに、震えが生じている。
否応もなく『不安』が、胸を押し潰してくる…………
「ガーヤッ!!!」
不意に――
透き通った声音が、耳朶を捉えた。
その『場』に居る全員の視線が一斉に、夜の空を仰いだ……
「――エイジュッ!!」
「エイジュッ!!!」
幾重にも重なる、彼女の名を呼ぶ声。
高々と空を舞うその姿を映す瞳が、安堵に満ちている。
「ここは――お願いっ! あいつは……あたしが――っ!!」
声が、頭の上を越えてゆく。
振り返ることなく、着地と同時に地を蹴り、再び中空に舞う背中に、
「分かったよっ! 頼むよ! エイジュッ!!」
ガーヤは有りっ丈の声で以って、応じていた。
「よしっ……これで安心だ」
見る間に小さくなってゆく背に、そう呟く。
「これで心置きなく、こいつらの相手が出来るよ」
そう言いながら振り向くガーヤの瞳にはもう、惑いの色も焦りの色も、浮かんではいなかった。
*************
激しく回る車輪の音が、外と中を隔てているような気がする。
揺れる馬車の中、『外の様子が知れないこと』に、ジーナの心は不安に苛まれていた。
……ゼーナが、何か言っている。
だがその言葉は、耳には入って来るが意識までは届かない。
こんな時に、『占い』などしている場合ではないことなど、分かっているつもりだがどうしようもなかった。
どんなに守り石を握り締めても、『占えて』こない『未来』……
エイジュの『未来』に、心を奪われていた。
――今、馬車が止まってくれたら……
そんな……『あってはならない』ことを願ってしまう。
危険だと、いけないことだと……頭の中では分かっているのに、エイジュの傍へと行きたくなる――
行ったところで、ただの足手纏いにしかならないというのに、そうしなければならないような『衝動』に、駆られてしまう。
どうして、そんな風に思えてしまうのか――自分でも良く分からない。
作品名:彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく