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自分らしく
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彼方から 幕間5 ~ エンナマルナへ ~

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 幌幕の隙間から見え隠れするアゴルの背を見詰め、ポツリと、呟く。
 落ちてゆく馬車の速度……
 ……やがて、馬は完全に、その脚を止めてしまっていた。

「ど――どうしたんでしょう……ゼーナ様……」
「止まって、しまいました……」
 ゼーナにしがみ付いたまま……
 不安気にアニタとロッテニーナがそう、問うてくる。
 怯えからか――微かに震える二人の瞳を見やり、
「……様子を見てくるよ、二人とも、ジーナを頼んだよ」
 ゼーナはそう言いながら微笑むと、徐に立ち上がった。
 共に動き出した二人の大臣とも眼を見合わせ、無言で頷き合い、ゼーナは御者台へと足を進めていた。

          ***

「大丈夫だよ、ジーナ」
「うん、そうだよ……大丈夫、みんないるから――」
 寄り添ってくれているアニタとロッテニーナの言葉が、何処か空々しく聞こえる。
 不安、怖れ、怯え……
 そんな感情が、震える声から伝わって来るからだろうか……
 安心させようとしてくれているのは分かるが同時に、自分自身にも、そう言い聞かせているのだろうことも分かる。

 ――今なら……

 そう思う。
 馬車を降りて、エイジュのところへと行ける――そんな気がする。
 そんなことをしてはいけないと窘める内なる声が、何処か、片隅へと追いやられてゆくような……そんな感じがする。
 ……不思議だった。
 守り石を手にしてもいないのに、頭の中に外の様子が鮮明に映る。
 何かに誘われているような、そんな感覚が先刻からずっとしている。
 アニタとロッテニーナ、二人の様子を窺う。
 様子を見に行ったゼーナたちのことを、気にしている。
 怖いとは、思わなかった。
 根拠もなく、『大丈夫』だと……そう思えた。

 そっと――
 二人から離れる。
「ジーナ?」
「どうしたの?」
 二人の訝し気な問い掛けが耳に入ったが、意に留まることはなった。
 そのまま何も応えず、馬車の後方へ……
 そして幌幕へと、ジーナは手を掛けた。
「ジーナッ!?」
「ダメよっ! 外へ出ちゃいけないわっ!!」
 驚きと困惑に満ちた制止の声。
 だが、ジーナは振り向くことも、返答することもなく、幌幕を開き馬車の外へと出ていこうとする。
「ジーナッ!!」
 慌てて駆け寄る二人。
 彼女の動きを止めようと、その小さな体に手を掛けた……
 ……その時だった。
「――――っ!?」
「な――なに……?」
 ジーナの体に纏わり付く『黒い霞』が、見えたのは……

「きゃあぁああぁっ!!!」

 思わず、手を離してしまっていた。
 霞の持つ虚ろな『眼』と、眼が合い……
 その不気味さに、言い知れぬ嫌悪感に、二人は叫び声を上げ後退っていた。

          ***

「どうしたっ! 走れっ、走るんだっ!!」
 何度手綱を打ち鳴らそうとも、一度止まってしまった馬は、二度と走り出そうとはしてくれなかった。
 忙しなく耳を動かし、頻りに前足で砂を掘り、息を荒げ首を左右に振り続けている……
 落ち着きのないその様に、アゴルは既視感を覚えた。

 ――まさか……

 嫌な予感しかしない。
 推測が正しければ、馬車で進むことはもう、『今は』叶わない。
 それどころか、このままでは自分たちにも……
 『何かしら』の影響が、現れるかもしれない。

「どうしたのだね!? アゴル!」
 左大公の呼び掛けに振り向く。
 様子を見に来たゼーナと、二人の大臣の姿も視界に入る。
 不安に表情を曇らせ、覗き込むように顔を見せる四人に、
「……馬が――」
 アゴルはそう、応えるしかなかった。
「……馬が……?」
 彼の言葉に、馬を見やる。
 見覚えのある馬の様に、ジェイダは言葉を失っていく。
「どうしたんですか?」
 険しい表情を浮かべる左大公を見やり、ゼーナがそう訊ねた時だった。
 
「きゃあぁああぁっ!!!」
 
 絹を引き裂くような二人の叫び声が、皆の耳朶を掴んだのは……

「――――――っ!!!」

 息が止まる。
 胃の腑が縮み上がるような感覚に、襲われる。
「左大公っ! 手綱を頼みますっ!!」
 アゴルはそう言って、手綱を投げ出すようにジェイダに渡すと、返事も聞かずに馬車の中へと――
 ゼーナと二人の大臣を押し退け、飛び込んでいた。

「どうしたっ! 何があった!!」
 馬車の中ほどで、互いに互いを抱き締め合い、小刻みに体を震わせているアニタとロッテニーナ……
 二人の肩に手を置き、その体を揺さ振りながら、アゴルは語気を強める。
 涙を溜めた瞳を向け、
「ア――アゴルさん……」
 二人は震える声音で――
「ジ、ジーナの体に何か……何か気味の悪い――」
「黒い、モヤッとしたものが――」
 そう言いながら、ゆっくりと指を……
 開け放たれた幌幕へと、その向こうの砂地へと、向けていた。

「…………ジーナ――――」

 鼓動の音が、鼓膜を破りそうなほど大きく聞こえる。
 『そこ』に居るはずの……
 馬車の中で、皆と共にいるはずの『娘』の姿が無いことに――
 見慣れた小さな背中が一人、夜の帳が下りた砂地をふらふらと歩く様に――
 アゴルは言葉を失っていた。

          *************

 眼にした光景を疑った。
 まだ距離はあるが確かに馬車が……
 賞金首を乗せ、エンナマルナに向けて、只管逃げているはずの馬車が――
 馬を繋いだまま、止まっている姿が見えたからだ。

 思わず、足を止める。
 何かの『罠』かと疑い、辺りを見回す。
 だが、そんなものを仕掛ける暇があるのなら、少しでもエンナマルナに近付く為に馬車を走らせた方が賢明だ。
 カイダールは止まったままの馬車を訝し気に見やり、もう一度、辺りを良く見回していた。
 ……何かの気配がする。
 砂を踏み締める小さな足音が、聞こえる。
「……? 誰か、いるのか?」
 既に陽は落ち、残照の恩恵も、もはや無い。
 少し満ちた月と星の明かりを頼りに、瞳を凝らす……
 揺れる、影が見える。
 小さな影だ。
 あの霞に誘われるようにフラフラと、覚束ない足取りでたった一人……歩いている。
「――――クッ…………」
 口の端が歪む。
 十中八九、一行の中の誰かの子に違いない。
 だから馬車は、あそこで停まっているのか?
 この子供を捜して……?
 
     「…………ーナァ――ッ――――」

 遠くから声がする。
 明らかに、名を呼んでいる。
 …………ならば、打つ手は一つ。
「はーっはっはっはっ……!」
 カイダールは勝ち誇ったかのように、高らかに嗤い声を上げると、こちらに向かって来る小さな影に向かい、地を蹴っていた。

          ***
 
「ジーナッ……ジーナハースッ! 待つんだ! ジーナッ!!!」
 姿が見えているのに届かないもどかしさ……
 聞こえない距離ではないはずなのに、一向に反応を示さない娘の様に、アゴルの心は乱されていた。

     『ジ、ジーナの体に何か……何か気味の悪い――』
     『黒い、モヤッとしたものが――』

 二人の言葉が正しければ、恐らくそれは『邪気』と呼ばれるものだろう。
 セレナグゼナの街を出た後……