ポケットに咲く花。
すべり台が好きだった頃がある。小学生にあがる前だろう。
すべり台に上ると、何処までも広く、延びる景色が見えた。
すべり台をすべりおりると、一瞬の感激と、一掴(ひとつか)みのロマンがあった。
乃木坂46のファンになって、寺田蘭世という人物に出逢ってから、この今までの全ての時間が、あの頃のすべり台とおんなじだ。
本当に一瞬の出来事だった。けれど、確かに身体より大きな階段を一つ一つ必死になってのぼり、高みに到着した。その景色は忘れない。
蘭世ちゃんの事は、そんな美しかった景色のように、一生を懸けて忘れないだろう。
感動や、嘆(なげ)き、歓喜や、期待、蘭世ちゃんがくれたものは、何一つ無くせないものばかりだ。
言葉にするなら、あえて敬愛(けいあい)という言葉を贈ろうと思う。
寺田蘭世という人を好きになった俺は、財宝を手にした海賊よりも気高い栄光を手にしたといえる。
そんな栄光は、決して手放さない。
いつまでも掴んでいる。
すべり台の上で、世界を制した気分に浸(ひた)ったあの頃と同じように。
最後まで、笑顔で見つめる……。
大好きな人を。
蘭世ちゃんを。
寺田蘭世に魅せられたこの日を、これまでの栄光の月日を、俺は決して忘れないし、無くさない。
それが、寺田蘭世のファンの生きざまだからだ。
どうか、笑顔のままで。
「卒業、おめでとう、蘭世ちゃん……。蘭世ちゃーーん!」
稲見瓶は、涙のこぼれた眼鏡のレンズを気にせずに、新しい涙をこぼし、大きく叫んだ。決して忘れようのない一瞬を感じながら……。
寺田蘭世のトークで、次の曲が最後だと告げられた。
『あの日 咄嗟に僕は嘘をついた』が寺田蘭世のセンターで始まる……。聴き憶えている不滅の名曲に包まれながら、駅前木葉は顔を俯(うつむ)けて、まるで子供の様にわがままを思い浮かべる。
行かないで下さい。行かないで……。
(わかっています。あなたの旅立ちを)
どうか、お願い。行ってしまわないで下さい……。
(どうか、素晴らしい旅になりますように)
蘭世ちゃんが愛しいです、わがままでしょうか……。
どうか、行ってしまわないで。
(振り向かずに、先へと進むあなたを、抱きしめたい。強く)
あなたを失ってしまったら、私は、私は……。
(充分な幸せを頂きました)
これは、さよならなのでしょうか……。どうか……。
(最後まで、見送ります。最後の一秒まで)
あなたを愛します。最後の一秒間まで……。
私はこれからも、あなたを大好きでいるでしょう。
私はこれからも、あなたの笑顔を思い出します。
私はこれからも、あなたの夢を見ます。
私はこれからも、あなたを自慢するでしょう。
乃木坂46という、最愛を終えていく、あなたも最愛です。
どうか、誇らしく笑っていて下さい。
涙なら、代わりに私がいくらでも流しましょう。
寺田蘭世さん、乃木坂46卒業、おめでとうございます……。
大好きですよ、いつまでだって。
「蘭世ぢゃーん、あっあぁ、蘭世ぢゃーーん!蘭世ぢゃーーーん!」
駅前木葉は声を枯らしながら、その名前を呼ぶ。絶大なるその愛情を、一つ一つ確かめるように、集めるようにして、寺田蘭世の名前を叫んだ。
寺田蘭世のMCでトークが行われる。本当に、私は幸せ者です、本当に、ありがとうございました、と……。
オーディエンスの拍手で埋まる会場。
紫色一色に染まる会場に、すぐさま、手拍子とスティック・バルーンの木霊音が響き渡った。
それは徐々に早くなる……。
まるで、会場中のオーディエンスが何かを叫んでいるように。
全員の鼓動が、徐々に増していくように。
気持ちの届く、物凄いアンコールであった。
鳴り止まないアンコール……。
白と赤の衣装で、寺田蘭世が再登場した。
彼女は、全く悔いが無いと、清々しい気持ちでいると、笑顔で語った。
今日は、感謝を伝える日にしたいと、こんなに大きくなりましたと、スタッフ達に伝えた。そしてメンバーの皆に、ありがとうと。本当に人として魅力的な人が多いと、優しい人達だと語り、家族へ、本当に支えられたと語った。両親にはすごく感謝しているし、これからはもっと幸せにしてあげるので、楽しみにしていてくださいと。
そして、ファンの皆に。ファンの皆には自分の行動で感謝を見せてきたと伝えた。蘭世の事推してて良かったなと、何年後も思っててもらえたら嬉しいと。
何一つ、後悔は無いと。
次に歌う楽曲達は、自分が選曲した曲だと。
本当に、沢山の愛をありがとうございました。これからはもっともっと魅力的な女性になりたいと思います。本当に、ありがとうございました。そう、彼女は語り終えた。
『左胸の勇気』が始まる。白と赤の衣装を着ている寺田蘭世以外は、黒いアンダーライブTシャツにスカート姿で歌っていた。
曲中に、和田まあやから「ここには沢山の味方がいるので、これからも頑張っていって下さい!」と背中を押す応援の声があった。
次の楽曲は、寺田蘭世がセンターに立ちたいなと、常々思っていた楽曲であると、伝えられた。
『気づいたら片想い』が始まる……。乃木坂46ファン同盟の五人は、歌を口ずさみながら、泣くもの、笑うもの、叫ぶもの、色んな色を見せていた。
『何もできずにそばにいる』が流れる……。真ん中に立つ寺田蘭世に、両わきから、メンバーが寄りそって行く……。最後は皆で抱きしめ合った。
『心の薬』が始まる。歌いながら、メンバー一人一人と抱き合っていく寺田蘭世。微笑みを浮かべるメンバー、号泣するメンバー、微笑みを浮かべながら涙するメンバー、それらを楽曲が飾り、歌は終わりを見せた。
和田まあやのMCで、寺田蘭世とのトークが開始される。本人が清々しいと言っているので、悲しいと言いづらいと、和田まあやが語り、泣いてくれるのも嬉しいし、笑ってくれるのも嬉しいし、堪(こら)えてくれるのも嬉しいと、寺田蘭世は語った。
矢久保美緒は、ファンとしての視点で、寺田蘭世を語ってみせた。耐え切れず、涙を流しながら。
吉田綾乃クリスティーは、寺田蘭世と、ちゃんと話せるようになったのは、つい最近だと語った。今回のライブで、ぐっと距離が縮まったと。寺田蘭世が泣くまでは、絶対に泣かないと決めていたのに、泣いてしまったこと。寂しいという本心を語った。
次で、本当に最後の曲だと告げられる……。
寺田蘭世は、微笑みを浮かべながら、歌い継いで欲しい、愛して欲しい一曲だと語った。
『ボーダー』が流れ始める……。
「ボーダーか、だよな。だよな蘭世ちゃーん!」夕は、大きな笑顔を浮かべて、叫んだ。
「涙枯(か)れる、ガチでヤバいもう……」磯野は涙を拭(ぬぐ)う。
「名曲だ……」稲見は涙ぐみながら、囁いた。
「蘭世ちゃーーーんっ!」あたるは大声で叫ぶ。
駅前木葉は、声を殺してステージを見つめていた。鼻をすすり、泣きながら……。
楽曲が終わり、本当に、ありがとうございます――と、寺田蘭世は笑った。
最後の挨拶に行く前に、全員がシークレットで寺田蘭世に手紙を書いてきたと告げる。驚く寺田蘭世……。
代表して、山崎怜奈が手紙を読み上げた。