ポケットに咲く花。
「では私を、お姫様抱っこして下さい」駅前は冷たくはきはきと言った。
「はあ?」磯野は背を丸めて顔をしかめる。
「私をお姫様抱っこする事も、スキンシップです。ほら、さあ、やって下さい」
「はい~?」磯野はその顔をしらけさせる。
「そういう事です」駅前は、表情を通常の情的なものへと変えて言った。「あなたのスキンシップは、だれかれ構わずにお姫様抱っこをせがむ変わり者の趣向と同じです。今後、乃木坂には絶対にしないで下さい」
「は、はあ……」磯野は、顔を元通りにする。「わあったよ。ごめんな、駅前さん。マジでぷっつんしたのかと思ったぜ(いつもぷっつんしてっけど)。わかった、もうしねえよ。約束だ(約束は破る為にあんだぞ)。駅前さん、な!」
「失礼します」
駅前木葉は、近くで見守っていた岩本蓮加達五人のそばへと駆け寄って行った。
「ちっ」
磯野波平は他をうろつく事にする。
風秋夕は少し遠くの方に見つけた人影へと足を速めた。
現在この広大なフロアには、大太鼓の木霊と共に、『アラレちゃん音頭』が流れている。
「よ~だちゃん!」夕は笑顔で声を掛ける。「み~づきちゃん! は~づきちゃん! でんちゃーん!」
「あ、夕君。おっす」美月は笑窪を作って夕に微笑んだ。「一人?」
「一人なんだ、混ざってもいい?」夕は満面の笑みで言った。
「いいよー」葉月は笑顔で言った。
「夕君、久しぶり、久しぶり?」楓は自分の言葉に自信がない様子である。
「でんちゃん、ついこの前、二十二階の〈プール〉で遊んだじゃーん」夕は苦笑して楓に言った。「もう忘れられちゃうの? 俺って」
「ああ~、いたね」楓は微笑んだ。
「いたね、て……」夕は苦笑する。「与田ちゃん、今日も君にトキトキメキメキです」
「あー、そりゃどうも」祐希は夕にわたあめを差し出す。「食べる?」
「ちょっと、貰うね」夕はわたあめを小さく引きちぎった。「与田ちゃんが食ってるわたあめをゲットしたぜー、おおー、貴重な体験だー」
「なーに言ってんの」祐希は鼻筋に皺を作って笑った。
「どのぐらいから来てくれてたの?」夕はわたあめを食べながら皆にきいた。
「二十分前、とかじゃないかな」美月が言った。
「うん」祐希も頷いた。「そのぐらい」
「二十分間も焼肉三姉妹ウィズ美月ちゃんと出会えてなかったなんて、何てことだ。会えて良かったー」
「ねえ肉ってある?」葉月は眼を輝かせて夕に尋ねた。「ここの、このお祭りのお店で?」
「あるよん」夕は優しく微笑んで、頷いた。「ステーキ、焼肉、フランク、ターフェルシュピッツ、チキン、焼き鳥、牛タン、色々出てるよ」
「え、そんなに」楓は驚いた様子だったが、ロボットの反応の様でもあった。「食べよう食べよう」
「そりゃー食べなくちゃ!」葉月は気合を入れる。「ね!」
「お腹壊さないでね」夕は苦笑してから、笑顔に補整して、美月を見る。「今って真夏の全国ツアーの真っ最中でしょう?」
「そだね」美月は笑顔で言った。「えっと、大阪、宮城ぃ、が終わってえ……」
「あと、愛知県、福岡ぁ」祐希は思い出しながら続ける。「東京ドーム。で終わり」
「大体、ひと県ごとにツーデイズでしょう?」夕は祐希に言った。
「そう」祐希は答える。「ふつ、か? そう。二日間、ライブやるから、大変」
のんびり歩きながら会話していた風秋夕達五人は、そこで牛タンの屋台の前に到着した。
「おほー、タン、タン! 牛タン!」葉月は先程とは眼の色が違う。「あの、すいません、これと、これって、どう違うんですか?」
「タレと塩だよ」楓は笑った。「わかれよ、そんぐらい」
「いつから? 次の愛知って」夕は美月を見て、祐希を見る。
「八月十四日からぁ、十五日かな」美月は大きな眼を開かせて答えた。「で八月二十一日、二十二日福岡で、九月八日、九日、東京ドーム」
「来れる日ある?」祐希は上目遣いで夕を見上げて言った。身長差の為、自然とそうなるのである。「忙しいか」
「いやいや忙しいとかじゃなくて、チケット全然当たらないんだよ」夕は苦笑した。「平等だからさ、当たるも外れるも、仕方ないんだけど。配信は絶対観られるから、超絶応援するよ。ああ、超絶で思い出したけど、さっき今野さんいたよ、奥の方に。カップスター食ってた。超絶うまい、て」
「あ、え今野さんも来てるんだ?」祐希は驚いた顔をした。
「一人で?」美月は眼を見開いて夕にきく。
風秋夕は笑顔で頷いた。「一人一人。けっこうリリィにも来てるんだよ、実は。今野さん神出鬼没だから」
「あんた十五枚も食べれんのぉ?」楓は笑って葉月に言った。
「あふ、あっつ、余裕」葉月は笑顔で牛タンを頬張っていた。「うんまいよこれ!」
4
乃木坂46四期生の賀喜遥香と遠藤さくらの二人は手を繋いでいる。遠藤さくらの右隣りを田村真佑が歩き、早川聖来が賀喜遥香の左隣を歩いていた。
屋台はオーソドックスなものから、マニアックなものまで、様々なものが出店されている。お祭りの会場に流れる音頭は『北海盆唄』にちょうど変わったばかりであった。
「さくちゃん、何食べる~?」遥香はさくらを見て言った。
「ん~……」さくらは屋台を見渡しながら考える。
「けっこう何でもあるよ~」遥香ははにかんでさくらに言った。
「うん。そうだね~」さくらは微笑んだ。
「あー、焼肉やって! 焼肉食べよ?」聖来ははしゃいで言った。「ねえもう歩き疲れた~」
「そだね、お腹も少し空いてきたし」真佑は聖来に同意した。「さくちゃんかっきー、焼肉食べよ? ひとまず」
「うん」さくらは上品に頷く。
「え食べよ~」遥香は無邪気に微笑んだ。
焼肉の屋台の前で、四人は肩を並べて、美味しそうなものを直感で吟味して注文した。
遠藤さくらの注文したタン塩が一番早く紙皿で手渡された。遠藤さくらはそれをふーふーと息を吹きかけて、小動物のように少しずつ味見する。
続いて、賀喜遥香の注文したザブトンと牛ハラミが焼き上がった。賀喜遥香はそれを遠藤さくらと同じく、ふーふーと息を吹きかけて冷ましていく。
「ま、だ、か、なー」聖来は満面の笑みで鉄板を覗いている。
ようやく、早川聖来の注文したシャトーブリアンとサーロインが紙皿で手渡された。早川聖来は熱さを感じていないかのように、早速シャトーブリアンをひと齧(かじ)りした。
「おいひい~! ヤバ~い!」聖来は大喜びする。
「あのさ、さっきっからずっと気になってたんだけどさ、この」真佑はメニュー表の表示を指先でなぞる。「ライスでどんぶりもできます、て……」
短く黄色い悲鳴が上がった。
「すいません、私、どんぶりにして下さい」真佑は店員にそう言って、三人に振り返る。「間違いないでしょ」
「聖来も、どんぶりにして下さい。この、シャトーブリ、アン?」
「あ私も、どんぶりで、お願いします」遥香はメニュー表に眼を凝らす。「えっとぉ……、イチボを一人前と、牛ハラミ一人前と、シャトーブリアン一人前と、ザブトン一人前で……」
「あそうやって頼むのか……」聖来は、にこやかに店員を見つめる。「シャトーブリアン三人前と、タン塩一人前で」
「はいよ」店員が声を返す。