二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

午後4時のパンオショコラ

INDEX|14ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 錆兎を好きな気持ちは、どれだけ炭治郎が気に掛かろうと目減りすることはなかった。二人を同時に好きになれるほど、自分は器用じゃない。もしも錆兎への想いを諦める日がくることになったとしても、だからといって炭治郎に心変わりするのは嫌だった。
 炭治郎は錆兎の代わりなんかじゃない。錆兎が駄目だから炭治郎となんて、そんな代替品のような扱いをしていい子供ではないのだ。

「このところいい天気だったが、明日は雨かもしれないな」
 口元から頬にかけて走る傷跡を、かりかりと指先で掻いて錆兎は言う。湿度が高くなると痒いとよく言っているから、錆兎が言うならきっと明日は雨なのだろう。
「そうか」
 傷跡を見つめる義勇の視線に、かすかな罪悪感が滲むのを感じ取ったのだろう。錆兎は呆れたように苦笑した。
「義勇?」
「……わかってる」
 おまえのせいじゃない、気にするな。何度言われても、何年この遣り取りを続けても、義勇の心から罪悪感が消えることはない。
 けれど、それは錆兎が思うように、錆兎の顔に残った傷跡のことばかりではないからこその、罪悪感だ。
 錆兎には決して悟られてはいけない、義勇の浅ましさゆえの罪悪感。その傷こそが、義勇に恋心を自覚させたのだなどと、錆兎は一生知らなくていい。

『お母さんにプレゼントしたいの』

 そう真菰が言ったのは小学五年の夏休み。
 名前は知らない。けれどとてもきれいな花だったからと、真菰はニコニコと笑っていた。
 泊りがけで遊びに行った鱗滝の親類の家で、縁側でスイカをご馳走になりながら話していたときのことだった。
 前日に、裏山を三人で探検した折に見つけた池に咲いていた真っ白な花を、母親の誕生日にプレゼントしたいのだと、真菰は言う。錆兎も義勇も、もちろん快く了承した。
 仕事が忙しいなか、よく道場におやつを差し入れてくれる真菰の母の誕生日なら、二人だってお祝いしたい。池に咲く花を摘み取るのは苦労しそうだが、苦労したほうが祝う気持ちも伝わるだろうと思った。
 今から行けば夕方までには戻れるだろう。軽い気持ちで出かけたものの、池は存外深そうだった。けれど、大輪の白い花はやはりきれいで、目にしてしまえば諦めるのは悔しかった。
 畔に生えていた木の枝を錆兎が掴み、錆兎の手を義勇が握って池に身を乗り出すことにしたのは、単純に体重の差だ。

 真菰は危ないからやめておけと錆兎が言うのにも、義勇だって納得していた。万が一池に落ちでもしたらいけないし、かといって錆兎や義勇の身体を支える力は真菰にはない。
 精一杯手を伸ばしても、どうしても届かなくて。もういいよと真菰が言うのに、少し意地になった。錆兎までもうやめようと言い出すから、ますます引けなくなって。もうちょっとと身を乗り出した途端に、ずるりと足が滑ってバランスを崩した。
 池に落ちる瞬間に義勇が見たのは、ともに池に落ちた錆兎の頬が、折れた枝に切り裂かれる様。それでも義勇の手だけは放さずに、必死に義勇を引き寄せようとしてくれた錆兎の顔が近づいて。

 散った鮮血に刹那頭に浮かんだ言葉は、きれい、だった。

 あの日、目に焼き付いた真っ白な花と錆兎の鮮血は、今もまざまざと思い出せる。

「仕事のほうはどうなんだ? 行きつけの店がなくなってから、結局ヘルプ要請なかっただろ」
「クリスマスあたりに新刊が出る」
「そうか、順調ならいい。けど、なにかあったら言えよ? 時間作るから」
「真菰は?」
 いつも通りかすかなからかいを含めた声で聞いた瞬間に、不意に錆兎の空気が変わった。手に取ったコーヒーカップをそのまま下ろして、錆兎は居住まいを正し義勇を見つめてくる。真剣な表情には、わずかばかりの緊張があった。
「錆兎?」
「結婚することになった」

 そのときがきたら、きっと失恋したあの日のように、傷つくと思っていた。

 ドクン、と大きく鼓動が跳ねて、瞬間息が止まったのは想像通りだ。けれど。
「いつ?」
「クリスマスイブ」
「……今年のか?」
 それはさすがに早すぎないかと言外に込めた問いに、錆兎は少し目をうつむかせた。
「爺さんがな、来年の春は越せないらしい」
 義勇はヒュッと息を吸い込み、目を見開いた。鱗滝の具合が悪いのは知っていたが、それでも早すぎると思った。
 呆然とする義勇にほのかに笑って、錆兎は言葉を紡ぐ。
「外出許可がおりるうちに安心させてやりたい。できれば曽孫の顔も見せてやりたいが、こればかりはな。二人で相談して、昨日、真菰の家に行って挨拶してきた。まだ学生だから、反対されるかと思ったんだが」
「……大喜びだった?」
 当たりだと言うように苦笑しながら肩をすくめるその姿が、いつもより大人びていた。
「小母さんも小父さんも、錆兎が大好きだから……」
 以前なら、からかい言う声が震えぬよう、自分を抑えることに躍起になっただろう。心に滴る穢れに飲み込まれそうになり、叫びだしたくなっただろう。
 なのに、とうとうこの日がきたというのに、義勇の心は凪いでいた。
 諦めとも違う不思議な感慨が胸にある。
 鱗滝を失っても、錆兎は幸せになれる。真菰と一緒に温かな家庭を築いていける。それが嬉しい。きれいな想いが義勇を微笑ませる。
 ずっと心の奥底で望んでいたのは、きっとこんな自分だったのだろう。錆兎が好きだという気持ちを欠片も消すことなく、それでも素直に祝福できる。そんな自分になりたかった。

 ずっと、ずっと、好きでいるために。

「どこで?」
「気が早いな。昨日決まったばかりの話だぞ? まだ爺さんにも話してないんだ。細かいことはこれからだな」
「そうか……」

 そうか。そうなのか。
 なぜだか無性に泣きたくなって、義勇はすっかり冷めたコーヒーに口をつけた。飲み干すまでに涙が乾けばいい。カップで隠されている内に。

 幸せだ。心の底から、そう思った。
 脳裏に思い浮かんだ鮮血が、炭治郎の赤い瞳と重なって見えた。