二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

午後4時のパンオショコラ

INDEX|6ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 二人と別れてふらふらと繁華街をさまよい歩き、偶然見かけた子供に絡んでいた輩を憂さ晴らしに叩きのめしても、まったく心は晴れず。家に帰っても、姉が話しかけるのにさえ上の空だった。
 深夜になっても眠ることすらできなくて。真菰に対する嫉妬や、言ってくれなかった二人への哀しさや憤りが胸に溢れて。自分がどうしようもなく汚く思えた。
 ずっと錆兎に触れたかった。いつか錆兎に抱かれてみたかった。男に性的な興味などなく、誰よりも男らしい錆兎が、男に抱かれるなんてきっと受け入れがたいだろう。そのときには自分が受身の立場になってもいいなんて。そんなことを考えていた自分は、どれほど馬鹿で、汚らしいんだか。
 初めてした自慰は、錆兎への想いを自覚してしばらく経ったころだった。切っ掛けは覚えていない。それでも、錆兎の笑顔や、頭を撫でてくれる手を思い描きながらしたそれは、終わってみれば罪悪感で死にたくなったけれど、頭がおかしくなりそうなほど気持ちが好かった。
 言わないから。告白なんてしないから。絶対に自分の想いを押し付けたりしない。そんな言葉を免罪符にして、何度も、何度も、錆兎に触れられることを想像しながら自分を慰めた。
 男が好きだから錆兎に恋したのか。錆兎に恋したから男が性的な対象になったのか。義勇にももうわからない。いずれにせよそのときまで、義勇の恋心も性的な欲求も、錆兎一人にしか向かうことはなかったのだから、どちらが先でもどうだっていい。
 でももう終わりにしよう。こんなあさましくて身勝手な欲を、錆兎に向けちゃいけない。錆兎には、きれいな想いだけ捧げたい。失恋したって好きだという気持ちが消えないのなら、きれいな心だけを錆兎には向けたい。報われなくていい。幸せを願えるだけでいい。汚らしい欲を捨てたきれいな心だけで、錆兎を想いたい。
 ふらりと家を出て、ぼんやりと歩いた繁華街。声をかけてきた、今ではもう顔も思い出せない男が、義勇の初めての男になった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 茶の間に戻ってパソコンに向かっても、どうしても集中できず。時計の音ばかりが耳について、とうとう義勇はパソコンの電源を落とした。
 やっぱり筆が進まない。このままでは死活問題だ。
 これから一体どこで自分は執筆すればいいのやら。大学の図書館やカフェテラスは論外。誰に見られるかわかりゃしない。義勇が小説を書いていることを知っているのは、錆兎と真菰、そして他県に嫁いだ姉だけだ。ほかの誰にも言う気はないし、知られるのもごめんだと思う。
 高校時代に、義勇は口下手だけれどとてもきれいな文章を書くから、いっそ小説でも書いてみたらどうかと、真菰が言ったのは単なる思い付きでしかなかっただろう。義勇だって最初は冗談としてしか受け止めていなかった。錆兎が、いいかもしれない、一度書いてみろよなんて言い出さなければ、きっと義勇は小説など書くことはなかったはずだ。
 まったくもって自分と言う男は、一事が万事、錆兎錆兎錆兎なのだなと、自分に呆れ果てるしかない。
 つたないながら書きあげた小説は、絶賛してくれた錆兎と真菰の手によって、義勇が知らぬ間に出版社に送られ、編集者から連絡を受けた。
 錆兎たちの絶賛は素人目に加え贔屓目もあったようで、電話で聞かされた内容は、義勇が思わずへこむほどの酷評だ。やっぱり小説など書いたこともなかった自分の文章など、プロから見れば箸にも棒にも掛からぬレベルなのだと思ったのに。今言ったところを直せばじゅうぶん出版できます。頑張りましょう! などと言われ、今に至る。
 自分の文が褒められて嬉しいというよりも、錆兎の評価が正しく人に認められるものだったことのほうが嬉しくて。錆兎に恥を掻かせてなるものかと、編集者の指摘に従って生真面目に手直しした小説が、義勇のデビュー作だ。
 賞を取ってのデビューというわけでもないので、はっきり言って売り上げ部数はお粗末の一言。それでも、今でも文筆業を名乗れる程度には出版を重ねられているのだから、きっと自分は恵まれているのだろう。
 そこそこ資産家だった両親の遺産のお陰で、おそらくはこの先も、働かずとも食っていくには困らない。小説など趣味として書くだけでもよかった。けれど、今では義勇自身、これが自分の仕事だという自負がある。口下手な自分が、唯一、人並みに自分の言葉を伝えられる表現方法。もう、小説を書くのをやめるという選択肢は、義勇にはない。

 はぁ、と深く溜息を吐いて、義勇はちらりと時計を確認した。時計の針は五時半を示している。
 どこかで夕飯を軽くとって……と考えたとき、不意に思い浮かんだのはあのパン屋だった。思わず義勇は顔をしかめる。
 初めて竈門ベーカリーを訪れた日から、一週間が経とうとしている。もう炭治郎だって、義勇に店を訪れる気などないことを察している頃合いかもしれない。正直なところ、移動された鉢植えで隔離された席は、烏間の喫茶店の気に入りの席と同じくらい、居心地は良さそうだった。近くに感じられる人の気配、けれど、不躾な視線などからは隔離された空間。義勇にとっては理想的な執筆場所だ。

 いまだ行けずにいるのは、炭治郎が義勇に向ける視線の熱さ、その一言に尽きる。

 とはいえ、背に腹は代えられぬとも思うし、あの店のパンは義勇の好みをピンポイントでついていて、もう食べられないのはやはり残念だ。喫茶店のモーニングで食べていたクロワッサンやトースト、ロールパンなどだけでも美味いと思っていたのに、あの日炭治郎に強引に勧められて食べたパンオショコラ。あれがいけない。
 歯触りの良いクロワッサン生地に溶け込むチョコは、甘さとほろ苦さのバランスが絶妙で、思わず目が見開いた。ぐっと噛んだ瞬間に口いっぱいに広がったそんなチョコの味に感嘆すると同時に、次に歯が捉えた溶け残ったチョコのチャンクの食感は、柔らかすぎず硬すぎず。これまた絶妙の触感のバランスが楽しい。クロワッサン本体も、さっくりとしたチョコのない部分と、チョコの染み込んだ部分で食感が異なるのが堪らなくて、お得なパンだなと感心した。
 今この瞬間のおいしさは、焼き立てだからこその美味しさだけれど、うちのは冷めてもほかの店のものより美味しいって評判なんです。自信満々そうに言った炭治郎の言葉は、まったくもって嘘偽りなどなかった。
 あの一つですっかりパンオショコラにハマってしまって、ほかの店をいくつか買ってみたのだが、竈門ベーカリーで食べたものには遠くおよばない。

「……食いたいな」

 ぽつりと呟いてしまったら、もう駄目だった。きっと口に出したら我慢が効かなくなると思ったから、あれが食べたいと思うたびに心のなかで打ち消してきたというのに。

 もしかしたら炭治郎はいないかもしれない。高校生のようだから、毎日店の手伝いをするとはかぎらない。いや、もし炭治郎がいたとしても、あそこまで気遣ってやったというのにあれきり音沙汰のない義勇など、なんて薄情な奴だと見切りをつけている可能性だってある。その場合、あの居心地の良さそうな席も元通りになってしまっているかもしれないが、少なくとも絶品なパンオショコラは買いに行ける。

 浮かぶのはあの店へと行く理由ばかりだ。