BUDDY 8
(いや、べつに、近づかなくてもかまわない)
強がってみるが、士郎に拒否されることを想像しては、胸苦しいと思ってしまう。
(それに、いざ還る、となったとき、士郎を連れて行くためにも、座での円滑な過ごし方をもう少し考えておかなければ……)
ふと、疑問に思う。
(私は、士郎を連れて還ることができるのか……?)
凛と契約を交わしている士郎をアーチャーが座へ連れて行くというのは、やはり無理ではないだろうか。
(ならば、どうすれば……?)
何をどうやって、士郎を連れて座に還ることができるのかと、アーチャーは不安になった。そして、なぜ士郎を連れ還ろうと思っているのか、疑問に思った。
(私はいったい、何を……?)
自分自身の思考がよくわからない。その上、士郎のことも理解できない。
(風呂場でのことは、多少恥ずかしい、というくらいで、士郎にとってどうでもいいことだったのだろうか……?)
いくつもの疑問が浮かぶばかりで、答えというものが一つも見当たらない。
「はぁ……」
ため息が重いと思うのに、何やら胸の内が甘く燻っているようで、不快だった。
***
「いってらっしゃい」
玄関で凛とアーチャーを見送り、士郎はリビングへと戻る。
学校から帰ってきた凛はいそいそと荷物をまとめ、アーチャーにそれを持たせて衛宮邸に遊びにいった。おそらく泊まりで、そのまま日曜の夜まで戻らないのだろう。
凛は、高校生活を存分に楽しんでいるようだ。
冬木の管理者という立場ではあるが、魔術師であることを時には返上して、高校生活を謳歌している。現役高校生なのだから、当たり前の話だ。
そして、凛に従って出かけたアーチャーは、おそらくおさんどんをさせられるはずだ。そのために凛が連れて行ったと言っても過言ではない。
気の毒に、と士郎は苦笑いでアーチャーを見送ったが、アーチャーは嫌そうなそぶりも見せず、おとなしく凛に従っていた。
「あっちにはセイバーもいるし、アーチャーもうれしいんだろうな……」
顔に出すような性分ではないため、アーチャーが喜んでいるかどうかなどまったくわからないが、衛宮邸にはセイバーがいて、桜や大河も訪れる予定のようだから、アーチャーがもてなすには申し分ないメンバーが揃う。
「衛宮士郎に会うのは嫌だろうけどな」
くく、と喉で笑い、士郎はソファに腰を下ろした。
この世界の衛宮士郎とは、たいして話したことがない。服を借りたが、返却は凛が済ませたので直接礼を言わなかった。
あのとき、リビングで面と向かった衛宮士郎は、いたたまれない顔をしていた。
衛宮士郎にとって、姿形が同じの士郎が目の前に立っていると、鏡と向き合っているように思えるのだろう。だが、士郎は違う。生前の士郎は、どちらかと言えばアーチャーの体格に近かったため、士郎にその感覚はない。
二人並んで立ち、姿見などで見れば実感が湧くのだろうが、嫌気がするのをわかっていながら、わざわざそんなことをする気には、互いになれなかった。
「はふ……」
クッションを抱えて、ソファに横になる。
凛との契約が成っているため、この世界にしっかりと縫い止められてはいるが、凛から流れてくる魔力があまりにも少量のため、士郎は慢性的な魔力不足を起こしている。
凛にどんな感じか、と訊かれたときには、常に身体が重いと答えた。そうすると凛は、申し訳なさそうに、九対一なの、とこぼした。
なんのことかと訊けば、魔力量の割合だという。アーチャーが九、士郎が一の割合なのだそうだ。
優秀な魔術師である凛でさえサーヴァントとともに、サーヴァントに類する使い魔を従えるのは難しいらしい。せめて七対三くらいであれば、もう少しどうにかなるのだろうが、その配分を調整することは今の彼女の能力ではできないのだ。
気怠い感覚が抜けないのはそのせいで、一人きりになると動きたくなくなる。凛の前では気を遣わせないように平気なフリをし、アーチャーの前でも問題ない体を装っていた。本当は邸の中をウロつくだけでも結構ハードだったのだが……。
今、誰もいない遠坂邸では気兼ねなくゴロゴロして過ごすことができる。凛に意図的な気持ちがあったかどうかはわからないが、アーチャーを連れて行ったということは、休んでおけと言っているのだろうと士郎は受け取った。
「ありがと、遠坂……」
ささやかな気遣いを見せる凛に礼を言い、帰ってきたら好物を作ってあげようと、そんなことを考えて瞼を下ろした。
視界が暗くなると、すぐに身体が弛緩していく。意識はまだ沈んではいないが、身体はすでに睡眠状態に陥っていた。
時間の感覚が薄れ、自分が眠っているのかどうかも曖昧になっていた士郎に、さらり、と髪を撫で梳く指が感じられた。
(だれ……だ…………)
夢と現の境目に嵌まり込み、士郎はそこから抜け出る方法を知らない。頬をそっとなぞって、耳朶をくすぐるように触れる手が優しくて、もっと触ってほしいと思う。
「…………ん……」
意識が少し浮上したが、やはり身体は眠っていて、腕は上がらず、瞼も開かない。
誰だ、と問う代わりに、もぞり、と身動げば、パッとその手は離れた。
「眠れ」
意識が落ちていく。
誰だかわからない者の言葉に従って、士郎は再び眠りに誘われた。
「あれ……? 朝……?」
リビングは明るく、士郎は、のそのそと身体を起こす。ここで横になったのは、昨日の夕方だったはず。
「あのまま、寝ちまった……」
柱時計を見ると、午前十時を過ぎていた。
「寝すぎだろ、俺……」
自分自身に呆れながら、仕方がないか、と諦めて気持ちを切り替える。
「二人が帰ってくるのは、明日の夜だったな」
凛とアーチャーが帰宅するのは日曜日の夕方か夜だと聞いていた。
「飯は食べてくるだろうし、何もしなくていいって、遠坂も言ってたから……」
洗濯や掃除は出かける前にアーチャーがすべて済ませていた。食事も士郎だけであれば作る必要はない。
ぼーっとソファに身体を預けて、何をするでもなく天井を眺める。
「ちょっとだけ、今日は身体が軽い……」
たっぷり睡眠をとったからだろうと結論づけて、ふと思い出す。
(あれ……? でも、誰か居たような……?)
曖昧な記憶で、夢かどうかも、誰だかもわからないような微かな記憶だ。夢だったのだろうか? と疑問を浮かべてもわかることなどない。士郎はすぐに考えることをやめた。
しん、と静まりかえった遠坂邸は手放しでくつろげるとは言えないが、他に誰もいないというだけでほっとする。
常に気を張っている士郎にとっては、誰であろうと一緒にいられては気が休まらない。その際たる者がアーチャーだった。魔力が常に不足気味であることを知られては、何を言われるかもわからず、士郎の魔力不足を結果的に凛が知る事態になれば厄介だ。
「アーチャーが無事に還るまで、このことだけは隠しておきたいな……」
聖杯のことが丸く収まり、サーヴァントの現界が必要なくなったとき、アーチャーは間違いなく座に還る選択をするだろう。