BUDDY 8
あの地下でのことを問い質さなければならないと、頭では理解していても、アーチャーにはできそうにない。
士郎を取り戻したあの夜、士郎はアーチャーに背を向けた。生前もその後にも、士郎が理由もなくアーチャーに背を向けることなど、一度たりともなかったというのに。
生前の、契約を辞めようと言った時でさえ、士郎はアーチャーを眩しそうに見つめていた。いつだって士郎はアーチャーと向き合っていた。
(だというのに……)
今、面と向かって軽口を叩いてきていても、士郎の本音はどこか遠くに置き去りにされたままのように思う。腹を割って話すことなど、できそうにない。
(どう……すべきか……)
堂々巡りの疑問符が、アーチャーの脳裡を埋め尽くしていた。
凛の荷物をあらかた片づけてリビングに入れば、士郎が淹れたであろう紅茶を飲み、ソファで寛ぐ凛がいる。士郎はどこか、と室内を見渡すも姿がない。
(ランサーは……)
一緒にリビングに入っていったランサーの姿も見当たらず、ローテーブルには手付かずの紅茶が置かれたままになっている。
(何か興味のそそられることでも——)
はっとしてキッチンに目を走らせた。アーチャーの立つ位置からはその内部までは見えないし、凛からも見えない死角となっている。
「————っ————」
迷っていたのは一瞬だ。音にならない声を拾ったアーチャーは、すぐさまキッチンへ乗り込む。
「何をしている」
凛には聞こえないよう、静かに問う。
思った通りだった、とアーチャーは目の前の光景にこめかみを引き攣らせ、すでに剣を投影する準備を整えている。
「あー、やべぇな。保護者さまのご登場だ」
全く悪びれる様子もなく、口角を吊り上げてこちらに赤い目を向けたランサーは、士郎の口を片手で押さえて壁に押しつけ、もう片方の手で士郎のシャツの裾から脇腹を直に掴んでいた。
苦しげにもがく士郎はランサーの手に爪を立て、必死に逃れようとしているが、どうすることもできないようだ。
頭に血がのぼるのを感じながら、アーチャーは冷静に対処を試みる。何しろすぐ側には凛がいる。ここで剣を投影し、尚且つランサーと一戦交えようものなら、即刻、凛に消されるだろう。
「ランサー、君はいったい何をしている……」
「いやー、あの服、中に着てねえのかと思って確かめてたんだ」
「……だからといって、それでは強姦魔と変わらないぞ。英霊ともあろうものが、己の名誉を傷つけるものではないだろう?」
呆れながらアーチャーが言えば、しばらくランサーは何事かを考えていたが、す、と士郎から手を引いた。
「んなこと言われちまうと、なんもできねえじゃねーか」
諸手を左右の顔の位置に上げ、ランサーは抵抗しないことをアーチャーに示す。
「まったく……」
「でもよー。坊主も悪ぃだろ?」
「何がだ」
「なーんか、そそるって言っただろうが、前に」
「……………………そんな、曖昧な理由で理不尽に押さえつけられる者の身になってみたまえ」
「あーあー、悪かったよ」
「いや、私ではなく、ソレに——」
アーチャーが指をさしたのと同時くらいに、士郎の身体は、ばたり、とキッチンの床に倒れ込んだ。
「士郎!」
「ええっ? なんで?」
面食らうランサーを押し退けて士郎を抱き起こせば、意識がない。先ほどまで紅潮していた顔は青ざめている。何が起こったのか、と考えようとしたが、すぐにわかった。
「ランサー! 貴様、鼻も塞いだのか!」
「あ、いや、そんなつもりは、」
故意であったらなら、即、アーチャーは剣を投影している。ランサーにそのつもりがなかったのは明らかだが、酸欠状態に陥った士郎が気を失ったことは看過できない。
「つもりがなくとも、実際に口と鼻を塞がれて倒れた者が目の前にいる。いったいどういうつもりだ。君は、士郎に何を——」
「ちょっと何してるのよ、あんたたち」
地を這うような声がキッチンの入り口から聞こえる。アーチャーは硬直し、ゆっくりと首と視線をそちらへ向けた。
「ヒィッ!」
ランサーが悲鳴を上げている。
「り、凛、これは、その……」
「問答無用」
「ま、待て待て、嬢ちゃん。これは、事故だ。たまたま、鼻に手が当たってて。ほら、坊主の顔、おれの手に比べると小せぇから……」
ガンドを構えた凛に、ランサーは果敢にも言い訳をはじめている。
(そんな言い訳はが通る道理はないぞ、ランサー……)
そもそも士郎の口を塞いだ時点でアウトだ。
ランサーよ、成仏してくれと祈りながら、アーチャーは凛の放つガンドの光を背後に感じていた。
「チッ! しぶといわね、ランサー《あんた》」
床に転がったランサーを鬼の形相で見下ろし、凛はガンドの構えをいまだにランサーに向けている。
「わ、わるか…………った、って、…………じょぉ、ちゃん……」
「士郎に触るなって言ったでしょ? それに、合意を得るって言ったのはあんたが先だったわよね?」
「そ……で、す……、でもよ、ちょ……っと、くらい、いー……じゃ、ねぇか……」
「ふーん。まだ、足りないようね」
「り、凛、そろそろ、本当に死んでしまう」
「は? とっくに死んでるでしょ、サーヴァントは! 今さら何度死のうが、どうってことないわ! ねえ? ランサー!」
「ど……ってこと、ありますぅ……」
ズタボロで、勘弁してくれと弁明するランサーは、すでに八発ほど至近でガンドを受けていた。
ランサーがますます弱々しく訴えることで少し落ち着いたのか、ようやく腕を下ろした凛は、アーチャーに頑丈なロープを持って来いと命じる。
「そんなもの、どこに——」
「いいから探し出してきて! どこかにあるわよ!」
意識のない士郎を抱き寄せたままのアーチャーに、こめかみを引きつらせたまま凛は無体な指示をする。
「わ、わかった。さ、探してくる」
士郎をリビングのソファに寝かせ、アーチャーはすぐさま遠坂邸内を家探しすることになった。
「で? アーチャーが駆けつけたときには、士郎の口をランサーが塞いでいたのね?」
「ああ」
士郎が眠るソファの対面に腰を下ろした凛は、アーチャーに事情聴取をはじめている。ランサーはぐったりとして動けない様子だが、アーチャーがどうにか探し当てた太いロープでぐるぐる巻きに縛られている。さらに凛はアーチャーに命じ、ロープに強化の魔術を施させた。サーヴァントと云えどその拘束は、そう簡単に抜け出せないし切ることもできない。
そして、アーチャーは凛の腰掛けるソファの前で、床に正座だ。
「それで? あの駄犬は、どうして士郎の口を塞ぐわけ?」
「……そ、それは、私には、わかりかねる」
本人に訊いてくれ、とアーチャーは答えを濁した。
「ふーん……」
納得をしていない凛は何事かを考えている。
「アーチャーなら、どういうときに士郎の口を塞ぐの?」
「は?」
「ランサーの答えはランサーに訊くとして、アーチャーなら?」
「わ、私は士郎の口を塞いだりはしない……」
いや、一度、塞いだことがある。士郎の声を外に漏らさないためと、気を紛らわすために風呂場で。しかも手ではなく唇で……。