BUDDY 8
「…………セイバーの縁は彼女の鞘だったが、あれは衛宮士郎の身体に埋め込まれていた。衛宮士郎がセイバーを召喚できたのはその縁だ。であれば、凛があの聖遺物を持っていた、ということか?」
「私に訊かれてもわからないわよ。まあ、もうどうでもいいことだし、その話はいいわ。それでアーチャーは、士郎と契約をして、何年も一緒にいたんでしょ? 士郎とはどういう関係なの?」
対面のソファで眠る士郎を指さす凛に訊かれ、
「相棒《バディ》だ」
アーチャーは即答する。
「それは、士郎も合意なの?」
「は? あ、当たり前だろう」
「そう? 私には、なんだか相棒《バディ》っていうよりも、貴方の従者みたいに思えるけど」
「なに?」
「アーチャーの意思に従っているだけな気がするわ」
「なぜ私に従う。元々はアレがマスターだった。従うのは私の方だったのだ。主従というのならば、相棒《バディ》とは言わないだろう? 私と士郎はそういうものではなく、互いに——」
「契約のことだって、士郎は自分から何も行動を起こしていないじゃない」
「…………」
言われて初めて気づく。アーチャーが士郎を放置していたから、凛が止むに止まれず契約を結んだのだが、士郎は自分から契約を結びたいとは持ちかけてこなかった。
教会から戻ってきてからの士郎は客間に籠りきりで、目覚めたときにアーチャーは少し話をしただけだ。その後は凛が契約をしたと連れてくるときまで顔も見なかった。
「貴方の認識と、士郎の認識に齟齬があるのかもしれないわね」
ひと月にも満たない時間を過ごしただけだというのに、凛はアーチャーと士郎が築いている関係の核心に迫ろうとしてきている。
それが、途轍もなく不快に思えた。今回の召喚では、今まで隙間のなかった自分たちの関係に、ズカズカと割り込んでくる者がやたらと多い。放っておいてくれと、アーチャーは士郎とともに座に戻りたくなってしまう。
「いや、凛。君はそんなことを気にする必要は——」
「アーチャー、何を恐れているの?」
「は?」
「何かに気づくのを、何かを知られることを、恐がっているように見えるわ」
「い、いや……、私は何も恐れてなどいない。ただ、士郎に関しては、責任があるというだけだ。士郎を鍛え、私と同じ轍を踏まないようにと導いていた。その癖がどうにも抜けきらないのだろう、アレには厳しく当たってしまうだけで……」
「ふーん。……アーチャー、私ね、使い魔にした士郎のこと、結構気に入っているのよ」
「そ、そうか。それは、士郎にとっても喜ばしいことだろう」
「私が貰っちゃって、いいかしら?」
「…………」
それは、どういう意味なのか。
士郎は物ではない。貰うとかあげるとか、そういう話をする対象ではないのだ。おかしなことを言うな、と凛を窘めなければならないと思うのに、何も言葉が浮かばない。
「いいの? ダメなの? どっち?」
「あ、いや……、その、貰うとか……、士郎はそういうものではないので、」
「じゃあ、サーヴァントを座に還していいということになったら、貴方との契約を解除して、士郎は私の使い魔としていただくわね?」
「え……」
「アーチャー、考えておいてね。聖杯の件は、早々に解決されるかもしれないじゃない。英霊の現界が必要にならなくなるのも、もしかしたら来月中かもしれないわ。いつまでも魔力不足じゃ可哀想だし、せっかく現界しているんだもの、いろんなところに行ってみたいでしょうし、ね!」
「あ、いや……」
「じゃ、そろそろ私は休むわね! おやすみー」
立ち上がった凛は、パタパタと軽い足取りでリビングを出ていった。
(ちょっと、待ってくれ……、士郎を残して私だけ座に還す? そんなことができるのか? いや、可能だろうが……。だが、後々、士郎が不要になって凛との契約が切れた場合、そのときは、どうやって士郎は私の座にくればいいのだ?)
さー……、と血の気が失せていく。
「嘘だろう……?」
何も信じられないことなどないというのに、そんな言葉が口をついて出ていった。
「どうも、すみませんでしたぁ」
明らかに嫌々謝っているランサーを、士郎は警戒しながら窺っている。
「だ、そうよ? どうする? 許せないなら、私がもうちょっとお仕置きするけど?」
士郎を庇うように前に立つ凛が、士郎を振り向いて確認している。
「いい。でも……」
「でも?」
「いつまで、ここに居る予定なんだ? ランサーは」
不信感いっぱいにして訊く士郎に、凛は、そうね、と頷く。
「悪いけど、ランサー。しばらく泊めるって話は無しね。早々に教会に帰ってちょうだい」
「そりゃねえだろう、嬢ちゃん。約束が違うじゃねーか」
「問答無用。自業自得。因果応報。ぜーんぶあんたが悪い!」
「う……、で、でもよ……」
「何よ?」
「いろいろそそる坊主も悪ぃだろ!」
「もう一発、喰らいたい?」
ガンドの構えを見せる凛に、ランサーは青くなった。
「いや、いらねえっ! じゃな!」
脱兎の如くランサーは逃げ帰っていった。
(さすが。逃げ足だけは早い……)
ランサーの英雄譚を少し思い出し、アーチャーは苦笑いを浮かべてしまった。
「さー、朝ご飯にしましょー」
お腹が空いた、とこぼす凛に、アーチャーが紅茶を用意している。
「士郎? どうしたの?」
リビングに入ったところで立ち尽くす士郎を凛が振り向く。
「あ、いや。なんでもない」
洗濯してくる、と言い残し、リビングを出て行った士郎を目で追う。
「アーチャー、昨夜、何かあった?」
「いいや。あれから見張っていたが、ランサーは身動きすらできないからな」
「士郎は?」
「時々目を覚ましていたようだが、起き上がる様子はなかった」
「そう……」
「魔力が足りていないのだろうか……?」
「おそらくね……」
士郎が何か考えごとをしている原因がそれだけではないと思ってはいたが、アーチャーは口に出すことはなかった。
***
「なあ、坊主。魔力が足りてないらしいじゃねえか」
凛とランサーに紅茶を淹れ、ティーポットをキッチンに引き上げてきた士郎は、はっとして振り向く。
「なんで、あんたがそんなこと、」
赤い瞳がじっと見つめてきて落ち着かない。
(ランサーは、警戒する対象だ。いくら遠坂が許したとしても、なんだか危険な気がする……)
ティーポットをシンクに置き、じり、と後退りしてランサーから距離を取る。
「やろうか? 魔力」
「い、いらない」
きっぱりと断ったというのに、ランサーは近づいてくる。頭の中で警鐘が鳴っているというのに、出入り口を塞ぐように立つランサーを躱して逃げる力が士郎にはない。
いつのまにか、キッチンの奥へと追いやられていた。
赤い瞳は真っ直ぐに士郎を射抜き、その強い視線が怖いように思う。首筋がチリチリとして、このままでは危険だと判断した士郎は、一か八か、ランサーを押し退けてキッチンから出ようとした。
「っ!」
「逃げんじゃねぇよ」
ランサーの動きは目にも止まらぬ速さで士郎を壁に押し付ける。口を塞がれて声が出せない。
心臓をひと突きにした、あの男が目の前にいる。そのときの恐怖の記憶が、死の絶望が、士郎の身体に震えを呼び起こす。