BUDDY 9
士郎に召喚された時の窓の位置、士郎が座り込んでいたところ、ランサーが槍を構えていた扉付近。すべてが記憶と合致する。
床に目を凝らせば、ほとんど目視はできないが、微かな線画が見て取れる。
「ここで間違いない」
いったん士郎を床に寝かせて赤い聖骸布を剥げば、士郎の肌は透けていて着ていた衣服は赤い布とともに床に広がった。
「クソッ」
悪態を吐きながら、確かさのない士郎を抱き上げて魔法陣の中心に寝かせる。床が透けて見え、薄っすらとした魔法陣の線すらも見えた。
歯噛みしながらナイフを投影して左手に刺し、すぐさま引き抜けば、ボタボタと床に血が落ちる。今度こそ頼む、と祈りながら赤い液体を見つめていた。
やがて、血溜まりから一本、また一本と薄くなった線を辿って、赤い線が伸びていく。
「魔法陣が……」
まるで溝でも切られているように、アーチャーの血が魔法陣をなぞって広がっていく。
だが、魔法陣が反応したからといって、アーチャーは召喚をするわけではない。ただ士郎と契約を結ぶだけだ。遠い遠い記憶の彼方のその方法を記録の底から選び取る。
召喚の詠唱など不要だった。すでに士郎はここに現界している。であれば、この身の魔術回路と士郎の魔術回路を繋ぎ合わせれば、それで契約は成るはずだ。
(無理やり回路を開くような無茶な方法など取らなくていい。ただ士郎の魔術回路に少し侵入すれば、あとは自然と繋がっていくはず……)
薄れた士郎の胴を跨いで膝をつき、両掌が上を向くように置く。士郎の手に自身の掌を重ねて瞼を下ろし、集中した。
実体がはっきりとしない士郎の手は不確かで心許ない。温もりも確かさもなく、掌が合わさっているのかさえ判然としない。が、次第に自身の魔術回路が伸びていく感覚に陥る。そのうちに、実際に融合しているわけではないというのに、掌も指も癒着しているような錯覚を起こす。
「っ……」
痛みではないが、ピリピリと魔術回路が小さなスパークを起こしている。びく、びく、と微かな手応えだが、士郎の手が電流でも流れているように不規則な反応を示していた。
(いけるか……?)
瞼を上げ、様子を窺う。失敗ならばまた新たな手を考えなければならない。残された時間はもう僅かだ。繋ぎ止められなければ、士郎はこのまま消えてしまう。
(士郎……)
失えない。こんな後悔を残して見送ることなどできない。士郎が望む関係をまだ訊いていない。それにまだ、士郎が導くと約束してくれたところへは辿り着いていない。
(まだ、道半ばだ。だから、士郎……)
このまま消えてしまうなど、あってはならない、と強く願う。
不意に、掌に熱が感じられた。
不確かな感触が、握れるほどに確かなものとなっている。
薄れていた士郎は、実体を取り戻した。やがて、カッと目を見開きはしたが、琥珀色の瞳は何を見ているわけでもない。ただ開いていた瞳孔が徐々に縮まっていく。
琥珀色の瞳に己が映っているのが見えた。揺れる瞳は焦点を結ぶことはなく、それでもアーチャーを見つめている。
「士郎……」
なぜ、こんなにも必死になったのだろうか?
そんな疑問が浮かんだ。
「まだ、私は…………」
もっともらしい言い訳は、何も思いつかなかった。
こじつけであれば、いくつか答えは見つかっている。
我々が相棒《バディ》ではないというのならば、いったいどんな関係なのかと訊かなければならない。いまだ約束は果たされず、道半ばだと、士郎に訴えねばならない。
そんな言葉ならば、いくらでも吐き出せる。
だが、それは、真の答えなどではないと、アーチャーはわかっていた。
(ただ私は、ここで、終わりにしたくなかったのだ……)
声には出せない呟きは、誰に知られることもなく、ひっそりとアーチャーの胸の内に広がっていた。
「アーチャー! どうだったっ?」
息も絶え絶えに駆け込んできた凛が、ぜぇぜぇしながら土蔵の出入り口に立って叫んでいる。
ちょうど士郎との契約が成り、アーチャーは安堵の息をついたところだった。
「ああ、今し方、無事に終わった」
「ほんとっ?」
青い目を瞠り、凛がアーチャーのすぐ側に滑り込むようにして座った。
「ああ、本当だ」
アーチャーが示す士郎は眠っているようで、床に仰向けになっている。
「ちょ…………、なんで、裸なのよ! もしかして、あんた、」
「ま、待て! 存在が薄れていて衣服がすり抜けてしまったんだ! 他意はない! い、いや、私は、何もしていない!」
ガンドを構えた凛にアーチャーは慌てて説明する。
「どうして服が脱げちゃうのよ?」
まだ訝しさを残しながら凛が訊けば、アーチャーは無実を証明するように両手を顔の横に上げて説明をはじめた。
「士郎の服は君が買い与えたものだろう? 魔力で編まれたものではない。したがって、士郎の身体が薄れてしまうとその身体をすり抜けて、脱げてしまったということだろう」
「アーチャーは脱げたりしないじゃない」
「私の衣服は魔力で編まれているため、着脱は必要ない」
「…………そっか、わかったわ」
渋々納得したような凛は、手に触れた赤い布に気づき、それをアーチャーに差し出してくる。
「包んであげて。寒いでしょ」
「ああ」
凛から聖骸布を受け取り、アーチャーは士郎の身体を包む。凛は士郎の衣服をざっとたたんだ。そうして横抱きにした士郎の腕や肩に凛は触れ、その確かな感触にほっと胸を撫で下ろしている。
「よかったぁ……」
中空を仰ぎ、凛は大きなため息をついた。
「もー、焦ったわよぉー」
「ああ。士郎に敷地から出るなと、言いそびれていたからな」
「そうね……。言いそびれていたっていうか、言えなかったって方が正解かも……」
「確かに」
アーチャーは素直に頷く。
「契約は問題なさそうね? 魔力はー……、あー、うーん……、やっぱり少ないままねぇ……」
「徐々に流れていっている。魔力の消費量が三割ほど上がった」
「え? そうなの?」
「ああ。連続で投影しているくらいには消費している。まだ少しずつ魔力量が増えていくのだろう」
「それじゃあ、アーチャーの魔力が足りなくなるってこと?」
「いや、それはないはずだ。士郎は私の使い魔ということなのだから、私よりも多く魔力を奪えない。凛の子が私で私の子が士郎、という魔力の流れは、契約がある限り、何があっても覆らないだろう」
「そうね。魔力的には、士郎は私の孫になるのよね?」
「…………その呼び方は、どうかと……」
アーチャーが目を据わらせると、凛は屈託なく笑う。
「なんにしても良かったじゃない!」
「ああ」
アーチャーは答えながら士郎を抱き直す。
「どうしたの?」
「ここは冷える。衛宮士郎に内緒で洋間を借りようと思ってな……」
いまだ目覚めない士郎を鑑みて、アーチャーはどこに寝かせるかと考えを巡らせた。
「勝手に使っていいの?」
「後で説明すれば、どうとでもなるだろう」
「……適当なのね、衛宮くんに対しては」
「気を遣う必要が?」
「……それは、貴方たちの問題だから、私は口を出さないわ」
「そうしてくれ」
ややこしくなるから、とアーチャーは言いながら土蔵を出た。