BUDDY 9
「配達の途中にここらへんを通るからな。で? カバン一つか?」
「いや、あとトランクが二個」
答えながら門扉を開けて、ボストンバッグをランサーに渡した。
「大荷物だな……、引越しでもすんのかよ……」
「女の子は荷物が多いんだよ」
「へえ。女も知らなさそうな顔して、知った口きくじゃねえか」
「そんなの常識だ。ランサーが知らないだけだろ?」
士郎に女性経験があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。ただ、いつも凛の荷物が多かったことを士郎は覚えているというだけだ。アーチャーと二人で手分けしても、大変だったことが懐かしいと思うくらいに以前のことではあるが。
(ああ、そっか、セイバーの分もあったからだな……)
今さらあの頃の荷物の多さに納得して、知らず笑みが漏れた。
ボストンバッグに続いてトランクを二つ両手に持って出てくれば、ランサーは門の向こうから手を出してきてトランクを引き取ってくれる。
「さんきゅ」
「ああ。お前さん、弱ってるらしいもんな」
「べつに、弱ってるわけじゃ……」
魔力が少ないだけで、弱くなっているわけではないと言い募りたいが、事実、力も体力も魔術もロクなものではない。これでは弱っていると言われても反論できないのが現状だ。
「なあ、坊主」
「ん? なんだ?」
門扉は開いているが、門を境にした遠坂邸の敷地の内と外に立ち、荷物を受け取るランサーは士郎を呼んだが、急に黙り込んでしまった。
小首を傾げてランサーの言葉を待ってみたが、いっこうに続く言葉が聞こえてこない。
「ランサー? どうかしたのか?」
ランサーの手は、荷物を引き取った後、士郎に届く数十センチ手前で止まっている。ランサーの顔を見上げれば、険しい顔をして、後方の上空を睨んでいた。
「ランサー?」
「ん? あ、ああ、なんでもねえよ。ところで、お前さん、ほんとに魔力は大丈夫なのか?」
「…………あんたが心配することじゃない」
ため息混じりにこぼせば、ランサーは頭を掻きながら、少しバツの悪そうな顔をしている。
「この間は、悪かったよ」
先日のように口先だけではなく、真摯に謝るランサーに調子が狂う。
「う、……うん。まあ、あんたも酷い目に遭ってるんだ。あれに懲りてあんまり軽薄なこと言ったり、したり、……しない方がいいぞ?」
「わーってるよ。んじゃ、おれは仕事なんで。じゃあな、坊主」
士郎の忠告をさらりと流し、カバンとトランク二つを軽々と持ち、少し先の道路脇に停めてあった軽ワゴンに向かってランサーは歩いていく。
「車の免許も取ってるのか……」
英霊が何をしているんだか、と士郎は呆れつつ笑ってしまった。
「なんだか、俺のときの聖杯戦争と、全然違うんだなぁ」
しみじみとそんなことを呟いて、玄関に入った。
◆◆◆
しつこい狗め!
霊体のまま新都の幹線道路を駆け抜け、一足跳びに深山町へ向かう。
警戒していてよかった。
遠坂邸に向かうランサーの乗った軽車両に気づいたのは、たまたまだったが、この距離であればどうにか間に合う。
(私の鷹の目を掻い潜れると思ったか!)
深山町に入り、家々の屋根を跳び伝い、遠坂邸のすぐ前に立つ電柱の天辺に着く。ランサーの乗る軽車両が交差点を曲がってこちらに近づいてきている。
(間に合った)
ほっと一息つく間もなく、気配を殺して遠坂邸内の様子を窺う。
(凛は留守だな……)
遠坂邸には士郎の気配しかない。
(今日は平日だ。であれば、学校か。ならば、家には士郎だけしかいない。そこへ奴が来たということは……)
思い当たる節があり、私の警戒は最大級にまで上がった。
遠坂邸の門前ではなく、少し離れた道路脇に車を停め、ランサーは門へと近づいていく。こちらに気づくこともなく、インターホンを押し、応答の声が聞こえて、間もなく玄関が開いた。
(なぜ、扉を開けるのだ……)
思わず額を押さえ、士郎の警戒感の薄さにため息をこぼした。
(呼吸を止められたことを忘れたのか? しかも、無理やり脱がそうとしていたのだぞ、そいつは)
士郎は気づいていないようだったが、あれは、明らかに士郎の服を剥ぎ取ろうとしていた。でなければ、あれほど強く口を塞いだりはしない。勢い余って鼻も塞いでしまっていたが、ランサーは士郎を手籠めにするつもりだったに違いない。
“何か、いろいろとそそる”と士郎を評したランサーは、常に士郎の隙を窺っていたのだ。
だからといって、マスターがすぐ近くにいるような場所でサカろうとするとは、本当に狗に成り下がったのか、あの英霊は……。
一度、きちんと話をつけなければならない。士郎に拘るのはやめろ、と。
(それにしても……)
様子を窺う私に、ランサーが気づいていないわけがないのだが、奴はこちらには全くの無関心だ。
士郎と話をして、士郎から渡された荷物(おそらく凛の荷物だ)を受け取っている。
凛はしばらく留守にするのだろうか?
では、士郎はここに一人……。
そんなことを考えていると、ランサーの手が士郎の方へ伸びていくのに気づく。
すぐさま弓矢を投影し、ランサーの後頭部に狙いを定めた。
「チッ」
微かだが、舌打ちが聞こえる。
やはり、そういうつもりでここを訪れたのだろう。
だが、そんな勝手を私が許すはずがない。
狙われていることに気づいたのか、こちらを一瞥し、士郎に触れる前に、ランサーは手を下ろした。そして、何事もなかったように荷物を受け取り、車へ戻っていく。
士郎はランサーの車を見送ることなく玄関の中に入っていき、特に危惧するような事にはならず、ほっと胸を撫で下ろした。
(ん?)
ランサーが指を、くい、と手前に曲げ、下りてこいと示している。
周辺を一度見回し、人の気配と防犯カメラの位置を確かめてから地に下り、霊体を解いて姿を現した。
「なんだ」
「なんだ、じゃねえ」
不機嫌な顔をしたランサーは平服を着ていて、髪が青いことと瞳が赤いことを除けば、どこにでもいるフリーターのように見える。
「お前さあ、ちょっと、陰湿じゃねえ?」
「何がだ」
「霊体のままで狙い撃ちとか、あのままはじめちまったら、坊主がびっくりするだろ」
「む……」
ランサーの口から士郎を慮る言葉が飛び出し、なぜか腑に落ちない。そして苛立つ。
「あのよー、心配なのはわかるけど、静かに見守るつもりなら、手を出すなって」
「ちょっと待て。心配とは、誰が誰をだ?」
「…………本気で言ってんのか?」
「冗談を言っているように見えるかね?」
しばらく黙っていたランサーは、やれやれ、というふうに肩を竦め、車へと乗り込んだ。
「お、おい?」
運転席の窓が開き、
「付き合ってらんねえ。暇でもねえし」
じゃあな、とランサーは片手を上げて行ってしまった。
小さくなる軽車両を見送って、私はわけのわからない状態で放り出されたままだった。
倒れてはいないだろうか。
家事ができずに困っていないだろうか。
魔力が足りないことを負い目に感じていないだろうか。
遠坂邸の敷地から一歩も出られないことが息苦しくないだろうか。
アレは独りで、今、何をしているだろうか……。