BUDDY 9
赤い橋の中ほどで、欄干に頬杖をつき、また私は物思いに耽る。霊体ではなく実体で、今は、ただの人のような姿だ。
誰も私が人ではないとは思わないだろう。まして、サーヴァントであるなど、魔術師でもない限り見破ることはできない。
新都の街を目立たぬように徘徊しながら、かつて、ここで生きていたという微かな記憶が、時折脳裡を掠めるのを感じながら、自身が人の営みからずいぶんと隔たったことを思い知る。
後悔などしていない。あの後悔はもう、少年との意地のぶつけ合いで昇華され、英霊エミヤという存在をかたちづくる礎となった。
後悔ではない。私がこういう存在になったことを後悔しているのではないのだ。ただ、私は、人として生きることに怠慢だったと思う。今こうして士郎との関わり方を云々するにあたり、いっこうにいい案が浮かばないのは、そういうことのツケが回ってきたのだと気づいた。
もっと人に興味を持ち、もっと人と深く関わった経験があれば、士郎との関係をどうすべきかなど、簡単に答えを導き出せることなのかもしれない。
結局、答えには行き着くことができず、堂々巡りで、ふりだしに戻るのだ。
「はぁ……」
ため息のつき通しで嫌になるな、本当に……。
あれからずっと考えている。
ランサーに言われたことではない。
戻った方がいいのだろうかと、考えているのだ。
凛が不在であれば、万が一士郎の身に何かあっても対処できない。
「だが……」
まだ、答えが出ていない……。
さわり、と頬を過ぎる風に気づく。夜風がさほど冷たいと感じなくなっていた。
春は近い。
昼間はうららかな陽射しが気温を上げ、桜の蕾が膨らみはじめている。
私が遠坂邸を出てから一週間。
日を追うごとに、思うことが一つに絞られていく。
頭の中は士郎のことでいっぱいだった。
いくつも疑問を浮かべ、答えを探し、それぞれに納得のいく答えが見つかってはいる。が、いっこうに解決の糸口すら見当たらないことだけが残っていく。
“士郎は、どんな関係を望んでいたのだろうか?”
その疑問の答えだけが、いまだに見つからない。
他にもわからないことはあるが、これほど見当のつかない疑問はない。
士郎は相棒《バディ》ではなく、いったいどんな関係を私と築きたいと思っていたのだろうか。
考えても考えても、答えには辿り着けない。
ならばいっそ、直接訊いた方が早いだろう、と遠坂邸まで戻り、そこで足を止めてしまって、またこの橋へと戻っている。
士郎は遠坂邸の敷地を出られないので、偶然を装って会う機会を得られるわけもなく、結局は私が戻らなければ話は進まない、ということだけはわかった。
先日のように狗が頻繁に士郎を訪れ、何かあってはまた手遅れになってしまう。ランサーのこともキャスターのことも、どちらも私の落ち度なのだ。私が先んじて動いていれば、士郎に要らぬ心痛を与えることもなかった……。
(戻る、か……?)
前屈みになっていた身体を起こし、深山町を振り向く。
夜明けが近づいてくる時間帯には、車も人も行き交う姿をほとんど見ない。
霊体である意味はないものの、遠坂邸へ戻るには霊体の方が速い。したがって、実体となって重力を感じて歩くよりも、その方がずっと速く遠坂邸へ戻ることができるのだ。
だが、私は実体のまま歩いた。
(時間が欲しい……)
情けない限りだ。そうして遠坂邸に着いたものの、すぐに玄関をくぐる気にはなれない。
(もう少し……)
引き延ばしにして何になるのか、と思いはするが、まだ、堂々と玄関を入る勇気が出ない。
仕方なく霊体で屋根に上がり、夜明けを待つことにした。
***
「はあ、ふう……」
アーチャーが旅に出て一週間が過ぎている。凛は衛宮邸に居候しており、食事の支度もお茶の準備もしなくていいので、士郎は特に何をするわけでもない。だが、エミヤシロウは生粋の奉仕体質だ。士郎は生まれ持っての性《さが》に抗えず、毎日掃除や洗濯をして過ごす。
強迫観念や使命感などではなく、ただ、それが普通なのだ。早朝に起き、掃除、洗濯などの家事をこなすことが日課となっている。
しかし、今の士郎には、それが普通にはこなせない。洗濯物を極力出さないように努め、洗濯機を使う時はできるだけ洗濯物をまとめて洗うようにしている。ひどく汚す要素もないので、洗濯に関しては問題ない。
厄介なのは掃除だ。人が居なくても埃は積もり、換気のために窓を開ければ、外からも多少の塵が舞い込む。ならば閉め切っていればいいと言われそうだが、家というものは人が生活をしなければ一気に傷む。閉め切っているから綺麗に保たれるというものではなく、逆に風を通して、まめに掃除をしなければ家屋は傷む一方なのだ。
したがって、士郎は毎日遠坂邸の入室許可を得ている部屋の窓を開閉し、空気を入れ換え、掃除も怠らない。
「っ、はぁー……」
水を張ったバケツを廊下に置き、士郎は膝に手をついた。
今日は窓掃除をしていて、階段を三往復している。それだけのことで息が上がっている自分自身にため息しか出ない。
「魔力が少ないって、わかってるんだけど……」
不甲斐ないと思ってしまう。
「アーチャーがいたときは、こんなじゃなかった……」
一週間前までは、凛が登校したあとに、アーチャーと手分けして家事をこなしていた。そのときは、息が上がって仕方がないなどということはなかった。
(アーチャーが、大部分をやってくれていたんだな……)
士郎が掃除機を持って階段を上がろうとすると、決まって上階に用事があるからと、アーチャーがそのまま掃除機を持って行って、掃除まで済ましてしまうことばかりだった。炊事にしても、買い物はアーチャーが行っていたし、洗濯にしてもシーツなどの大物はすべてアーチャーが片づけてくれていた。
「なんだよ、もう……」
アーチャーの何も言わない優しさが、今になって胸に沁みる。
「アーチャー、どこ行ったんだよ……」
無性に会いたいと思う。階段の一番上の段に腰を下ろして、壁に寄りかかった。
「こんなに顔を見ないの、初めてなんじゃないか……?」
アーチャーと契約をしてから、士郎の傍らにはずっとアーチャーがいた。聖杯戦争が終わったあとも、ロンドンでの日々も、紛争地での日々も。
ついこの前は、五日ほどの不在だったため、絶賛、アーチャーロスの記録更新中だ。
「はぁ……」
張り合いがない、ということではない。そもそもアーチャーと張り合うことなど最初からなかった。
アーチャーは師であり、理想であり、一等大切な存在だった。
「好きになったなんて言ったら、絶対困るし……。だから、言わない」
士郎はそう心に固く誓っている。
もはや、決定事項だった。
アーチャーを困らせるような想いを吐露することは、絶対にあってはならないと自身を戒め続けているのだ。
「アーチャーが旅に出たのって、俺のせい……なのか?」
誰に問いかけるでもなく呟く。
「俺のせいだよな、きっと……」
あんなふうに責めるつもりなどなかったというのに、どうにも苦しくて、頭に血がのぼってしまった。
「ごめん、アーチャー……」