BUDDY 9
こんなところで呟いていてもアーチャーに届くわけがない。それでも、士郎は謝りたいと思った。
「アンタがいないと……」
家事が進まないとか、そういうことが言いたいわけではない。
「……どうしようもなく、…………寂しいんだ」
こちらを見てくれなくてもいい。誰と楽しそうにしていてもいい。ただ、その姿を見て、その存在をできるだけ近くで感じていたい。
触れられなくても、避けられていても、士郎にはどうということもない。そんなことで落ち込むなど、とっくにやりきった。そういう面で、今さら士郎にダメージはない。
ただ、気配すら感じられず、傍にいられないことが寂しくてしようがないのだ。
「アーチャー……」
膝を抱えて顔を埋め、くぐもった声をただこぼすだけだった。
曇り空を見上げ、士郎は今日の予定を考える。今にも雨粒が落ちてきそうな空模様なので洗濯はやめにした。
「雨が降る前に、さっさと掃除機をかけるか」
昨日は天気が良かったために窓掃除を優先し、体力的な問題で掃除機をかけられなかった。非常に口惜しい思いをしながら掃除機を諦めたので、今日は是が非でも掃除機をかけておきたい。
すぐさま収納庫へ向かい、大型の掃除機を取り出した。
ゴォー、ゴォー、と今時珍しいくらいの轟音を立てて塵や埃が吸い込まれていく。一階の部屋と廊下の掃除が終われば、少し士郎の息は切れている。
何度か深呼吸して息を整え、掃除機を持ち上げた。階段の一段一段を確かめるように上がり、中程でいったん休憩を取る。
「はー……、重い……」
凛に頼んで、もっと軽量で最新の掃除機を買ってくれと頼みたくなるが、おそらく、この掃除機が働ける間は首を縦には振ってくれないだろう。
「よいしょ」
小休止を挟んで再び階段を上がる士郎は、ヨタヨタと左右に揺れながら、どうにか二階にまで到達した。
「ちょっと……、休憩……」
先ほども休んだのだが、階段を上がりきったところで、しゃがみ込んでしまう。
「あーもー、重いー……」
これを上げ下げするだけで、少ない体力の半分以上を使ってしまう気がする。しばらく動けないだろうと、士郎は今日もまた階段の一番上に腰を下ろして壁に側頭と身体を預けた。
「ご飯食べて魔力補ったほうがいいのかな……」
この世界の衛宮士郎と契約をしているセイバーも魔力不足に苛まれているそうだ。だが、彼女は睡眠を取り、食事をたくさんとることで現界を維持しているらしい。
「ああ、違う。元々セイバーは自分の魔力が多いからって、言っていたっけ……」
だから、どうにかなっているのだ。だが、士郎は元々の魔力が少ない。凛や普通に聖杯戦争でマスターをやる魔術師に比べれば、驚くほど少ない量だったのだ。よく聖杯戦争に参加できたな、と自分でも感心してしまう。しかも生き残っているのだから、奇跡みたいなものだろう。
(全部、アーチャーがいたからだ……)
アーチャーが鍛えてくれなければ、士郎は何もできずに死んでいた。もしくは生きるために、教会に保護を求めていたかもしれない。
最弱だったマスターとサーヴァントが運良く生き残ったのは、偏にアーチャーの指導と、その記憶のおかげだ。
(アーチャーがいたから、俺は——)
「どうした?」
声をかけられてハッとする。
「へ?」
「……魔力不足、か?」
「ぁ…………」
ずっと考えていた人が目の前に現れると、驚きですぐに声が出ない。
「士郎?」
「え……? ぁ、あっ!」
バッと立ち上がった。瞬間、眩暈に襲われ、ぐらりと視界が傾く。
「おい!」
目を回した士郎をアーチャーが受け止めてくれて、階段から転がり落ちずにすんだ。
「ぅ……、わ、悪い、め、まい、して……」
「ああ、しゃべらなくていい。座れ」
そっと抱えられ、階段を上がりきったアーチャーは、階段の上部ではなく、廊下の壁に背を預けるように座らせてくれる。
「あ、あり……がとな」
「かまわない。それよりも、何があった? 魔力不足なのか?」
「…………」
どう答えればいいのかと士郎は迷う。確かに魔力が不足しているのだが、それを肯定すれば、アーチャーは士郎に魔力を与えようとするだろう。
(アーチャーが負担することじゃないのに……)
魔力が不足するのはアーチャーのせいではない。凛に頼まれたからといって、アーチャーが率先して士郎の糧になるというのは、やはりおかしな話だと思う。しかし、どう見ても士郎の魔力不足は明らかで、誤魔化すこともできそうにない。
「……ああ、うん、そうだ」
アーチャーから目を逸らし、結局、士郎は正直に答えた。
「掃除するだけで、動けなくなるんだ……。情けないよな、ほんと」
アーチャーは何も言わずに隣に腰を下ろし、士郎と同じように壁に背を預けている。
「アーチャー? なんで……」
どうしてそこに座るのか、と問おうとしてやめる。アーチャーはこちらを見ずに正面を見つめていた。
アーチャーの無表情な横顔には、どんな感情が隠れているのか、いまだに士郎にはわからない。
じっと見つめているのも不躾だと思い、士郎もアーチャーに倣って正面に顔を戻した。
「仕方がない。魔力が足りないのは、お前のせいではないだろう」
「そうだけど、遠坂のせいってことでもないだろ? 遠坂には無理をさせているしさ」
「そうだな、凛のせいでもない。だが、魔力が少ないのなら、少ないなりの行動を取れ。それをしないのであれば、お前のせいだと言われても反論できないぞ。……無理に家事をしようとせずに日がな一日寝ていればいい」
「それは、どうにも……。俺にとっては苦行だよ……」
「まあ、私も願い下げだがな」
「じゃあ、言うなよ」
少し吹き出せば、アーチャーがこちらを振り向いた気配がする。
「士郎、」
「なんだよ?」
「冗談ではなく、そうした方がいいのではないか?」
「俺に苦行をしろって?」
「慣れれば、そう悪くはないかもしれないだろう?」
「無理だよ」
「…………ならば、私の魔力を与えるしかないが、……お前は、嫌だろう?」
苦行の交換条件はそれか、と士郎は小さなため息をこぼす。
「べつに、嫌じゃない」
「い、嫌じゃないのかっ?」
驚きを隠すことなくアーチャーは訊き返す。
「嫌じゃないよ。でも、アーチャーは嫌だろ、俺にキスするのなんか。それに、不本意だろ? 遠坂に頼まれて断れなくて、俺を召喚に巻き込んでしまったって、責任も感じてる。そんなの、アーチャーの意思が少しもないじゃないか」
「嫌ではない」
「は?」
「嫌でもないし、不本意でもない。私は自身の意思もなくキスなどしない。それに、責任を感じているのは召喚のことではなく、キャスターの許にお前を置き去りにしたことだ。あそこに残していくべきではなかったと心底後悔している」
「…………」
驚いて、言葉が浮かばなかった。
どうにか顔には出さなかったものの、いまだ驚いたままで振り向くと、アーチャーの静かな視線が士郎を見つめていた。
(アーチャーから、言い出すなんて……)
言及を避けていると思っていたキャスターとのことを、アーチャーが口にするとは思ってもいなかった。
(どうでもいいんだと思ってた……)