BUDDY 9
士郎とて、己の気持ちを優先するのであれば、したいわけではない。魔力供給を目的にしたキスなど願い下げだ。キスをするのならアーチャーの気持ちがあった方がいい。けれど、それは絶対に期待できない。アーチャーにとって士郎は、相棒《バディ》でしかないのだから。
(その行為だけを望むのは、悪いことだろうか……?)
迷いながらも、士郎の欲望は暴走しそうになる。
アーチャーには、多少なりとも士郎を慮る感情がある。そこを足がかりに、少しでもアーチャーの心に引っかかることができるかもしれない、と浅ましいことを考えてしまう。
(でも、それでも…………)
求めてやまない存在が目の前にいる。
少し顔を上げれば鼻先が触れ合う。
瞬くアーチャーをじっと見つめた。
「士郎?」
「……ほんとに、嫌じゃ……ない、のか?」
何を訊かれているのかを把握していないアーチャーは、僅かに首を傾げている。
「俺……、ほんとは、喉が乾くし、すごく、飢えてるんだ……」
魔力不足は飢餓状態と同じ。人間で言えば、飲まず食わずで何日も放置されているのと同じ状態なのだ。
ただ、人間のように衰弱して死にはしないので、我慢をすることだってできる。だが、体力や能力、そして魔術の低下が著しい。それらを我慢してやりすごすことができるのならば、契約だけを結び、現界するに足る魔力を最小限で与えられていれば存在を保つことだけはできる。ただ、飢餓状態は、延々と続くのだが……。
現状、士郎はそれに近い状態にあるのだ。いつも空腹感が拭えない。食物を食べて満たされるのならば、それに越したことはないが、いくら食べても満腹感は得られない。口に出しはしなかったが、ずっとそういう状態だった。
だから、飢餓が苦しいというのもあながち嘘ではない。
そして、腹を満たすためだと言い訳をして、士郎はねだることにした。嘘に真実を混ぜれば、バレない嘘を吐き続けられる。そう、浅ましい知恵を絞った。
気持ちがもらえないのなら、その行為だけでも欲しい。
ひどく我が儘で浅ましいと、自分で自分が嫌になる。
「俺…………魔力が……欲しいんだ、アーチャー……」
自分でもこんなことを言い出すとは思ってもいなかった。魔力供給を口実にキスをねだっているのと同じだと、自分自身を蔑みながら、きっと断られることはない、と打算的に考えていた。
(アンタが欲しいとは言えないから……、魔力が欲しいとしか、俺には、言えないから……)
止まっていた涙が、また溢れていく。言えない想いを飲み込むしかない士郎には、魔力に置き換えてでしかアーチャーを求められない。
だが、返答はない。バレないと思ったが、浅はかな己の魂胆が丸見えだったのかもしれない。
「あ……、いや、ごめ……ん、なんでも…………なぃ……」
アーチャーの胸を押し返して離れようとしたが、ビクともしない。
「あの? アーチャっ、んう」
否定も肯定もなく口を塞がれ、熱い舌が口の中に入ってくる。表情が希薄なために淡白な印象を受けるアーチャーの、思いの外激しい口づけに、士郎はどうしていいかわからず、ただアーチャーの胸元のシャツにしがみついた。
吐息が混ざり、魔力を含んだ唾液がじわじわと与えられる。空腹状態の士郎にとってはもどかしい限りだが、しようのないことだ。そもそも唾液からの魔力摂取など効率の上では悪い方。
それでも、士郎の胸はいっぱいになった。
ただの魔力供給のための接吻も、士郎にとっては大切なアーチャーとの行為だ。
(唇は……、アーチャー、だけ……)
身体はもう、あの異形に奪われてしまったが、キスだけはアーチャーとしかしていない。
そんなことを思うと、うっとりして胸がいっぱいになるのに、涙が止まらなかった。
◆◆◆
“魔力が欲しい”と士郎は言った。
欲しいと言って泣かれては、応えないわけにはいかないだろう。
いや、士郎がそう言うのを、どこかで期待していた。
私は、なんと浅ましいのだろう。
魔力不足につけ込んで士郎に口づけて……。
だが、士郎は嫌ではないと言ったのだ、ならば、いいだろう?
いや、マズいかもしれない。
最初こそ口づけて魔力を与えるだけで満足していたが、私はその先の行為を夢見てしまう。
おかげで下腹部がいつも熱くなっていて……。
(本当にマズいのではないだろうか……)
私は自身がずいぶんアブない方へ向かっていることを自覚し始めていた。
このまま抱けたらいいのに……、と思わない時がないほど、私は士郎の魔力供給を愉しんでいる。
我々には、この手しかない。
士郎も私も、これ以上のことをしてはいけない、と自身を戒めている。
もっと、深く触れ合いたい。
士郎はどうだろうか。
少なからず、キスが嫌だというそぶりはない。
この先の行為を、士郎は望むだろうか?
だが、そこまで踏み込む圧倒的な理由が欠けている気がする。
このまま流れに身を任せて……など、ガキと変わらない。
我々は大人だ。
しかも、人の生を終えた存在《もの》だ。
衝動に流されて一線を越えるなど、やっていいことではないだろう。
「はぁ……」
悩ましい。
ベッドに眠る士郎の髪を梳き、やるせないため息をこぼしている。
なぜ、私は、士郎を抱きたいなどと思う?
キスをして気持ち好くなって、頭がトんでいるのだろうか?
一度、士郎と話してみた方がいいだろうか?
いや……、こんなこと、話していいのか?
……わからない。
ああ、悩ましい……。
◇◇◇
アーチャーと日に何度もキスをする。
ほんとはキスじゃないけれども。
魔力を補うためって名目だけど、俺はアーチャーにねだることができるようになった、キスを。
ふわふわしてしまう。
熱くて、濃厚で、存外激しくて、アーチャーの口づけは俺を腰くだけにしてしまう。
ああ、ずっとしてたい。
なんなら、もうちょっと先へ進んだりも……。
(ああ、ダメだ)
キスじゃなくて魔力供給なんだから、先とか、ないない。
先へ進むって、なんだよ。
中学生じゃないんだから……。
ああ、もう……、これだから、童貞は……。
ひとり、赤くなったり青くなったり。
「はぁ……」
ため息ばかりが熱くなる。
(アーチャー……)
声に出せば、すっ飛んでくるから、思うだけ。
ため息もだけど、さっきまで触れていた唇も、それから下腹も……、熱い。
指先で触れた唇に、アーチャーの魔力が微かに残っている。
ぺろり、と舐めて、膝を引き寄せた。
ああ、もっと……、欲しいな……。
***
「アーチャー、魔力ちょうだい」
「ああ」
朝食の支度をしていたアーチャーが手を止め、士郎を振り向き、片腕で抱き寄せて口づける。
「はー……」
凛は額を押さえ、大きなため息をついた。
(朝っぱらから、何を見せられているのかしら、私……)
自分の従者たちが、目を逸らしたくなるような濃厚なキスシーンを繰り広げているのだ、ため息もつきたくなるもの……。