BUDDY 9
「デート……は、できないし。家の中でできることって……。うーん、あの二人、家にいれば、ずーっと掃除とか炊事とかをするわよね……」
そんな中で、どう二人の距離を縮めればいいのだろうかと考え、はたと思い至る。
「あれ……? ちょっと待って。士郎の方は、どうなのかしら……?」
アーチャーの様子から、二人がそれなりにただならぬ関係だということはわかっている。だが、士郎はどうなのだろうか、という疑問が湧いた。
嫌いではない、ということはわかる。嫌いな者と魔力を補給するためとはいえ、あんな濃厚なキスができるわけがない。魔力が欲しいからといっても、限度があるだろう。
この世界の衛宮士郎がアーチャーにキスなど絶対にねだらないことがわかりきっているのと同じで、士郎が嫌いな者にキスなどねだらないことはわかる。
だが、士郎がどの程度の感情をアーチャーに向けているのかはわからない。
(訊いたところで、素直に白状するとも思えないし……)
校門を過ぎ、教室へと向かう廊下を思案しながら歩いていると予鈴が鳴ってしまった。
慌てて教室へと駆け、扉の前でひと呼吸置く。静かに扉を開けて、速やかに自分の席に着いた。
物言いたげないくつかの視線が感じられたが、すべて無視して窓の外へ目を向ける。
(士郎は、アーチャーのこと、好きかしら……?)
姿形は衛宮士郎のまま、表情や仕草が大人びている。少年の殻に押し込められた青年、というアンバランスな士郎は、妙に他人の目を惹く気がしている。
(私も、そうだわ……)
士郎は、放っておけない。
だから、無茶な契約を強引にやってのけた。このまま消したくないと思ったのは、凛の我が儘ではあるが、そうさせたのは士郎だ。
(危なっかしいわけじゃないし、頼りないわけでもない。魔力が少ないから体力がないだけで、虚弱というわけではないもの。顔色は良くないときもあるけれど、魔力さえ補えればすぐに血色も良くなるし……)
ランサーの目を引いたことにも凛は頷けてしまう。
(何かそそるって、言い方はあれだけど、ランサーの言い分もわからなくもないわ……)
頬杖をついて、体育の授業がはじまった校庭を眺める。
(今日、早く帰って訊いてみようかな……)
衛宮邸で夕食をいただいて、早々に衛宮士郎の指導を終わらせようと決める。
(学校が終わったらアーチャーに連絡しておけばいいわよね)
凛はそんなふうに今日の予定を組んでいたが、昼休みが終わる少し前に、アーチャーからの緊急連絡が入る。
士郎が外に出てしまった、と————。
***
ローテーブルの上に広げられた数枚のチラシに士郎は気づいた。
「アーチャーが見てたやつ、だよな?」
アーチャーは二階へ掃除機を持って上がり、そのまま掃除機をかけている。士郎が一階の掃除を終え、階段を上がろうとすれば、少し休め、と言われて魔力を与えられ、呆けている間に士郎には重い掃除機をアーチャーは引き取り、軽々と持っていってしまった。
魔力を都合してもらっている手前、意地を張ることもなく、士郎は素直に礼を言って、今し方リビングに入ってきたのだ。
ローテーブルにはチラシが乱雑に広げられていて、明らかに何かをしていた途中で切り上げた様子がうかがえる。
(俺が、二階に上がろうとしていたからなのか……?)
掃除機の音が止まったことに気づき、アーチャーは、自分がやろうとしていたことを頓挫させてまで士郎を気遣ってくれたとわかる。
「そんなに、気を遣わなくてもいいのに……」
過保護だなぁ、と思うものの、うれしくないわけではない。どうしようもなく頬が緩み、それを手で押さえて誤魔化しながら、士郎はソファに腰を下ろした。ローテーブルに目を留めれば、スーパーのチラシにデカデカとした特価の文字や数字があちこちに散りばめられている。
「ふーん……」
書き込みや印が付けられているわけではないが、士郎は今までの経験を踏まえ、アーチャーの考えている夕食の献立を予想してみる。
「あさりの酒蒸しと、さばの味噌煮か煮付け……、あ、豚肉も特価か……。生姜焼きもいいな。アーチャーなら……、さばか豚、どっちを選ぶだろう?」
しばらく思案したものの、どちらも可能性があるし、考えている間にブリも目に入った。
「うぅ、ブリ大根とかも……」
ひとり、うんうん唸って士郎は献立を考えるも、結局答えが出せず、アーチャーに訊くことにした。
「アーチャー、今日の晩ご飯、何にするんだ?」
少し声を張り上げて訊いてみたのだが、返事がない。
「あれ? アーチャー?」
少し前まで二階で掃除機が稼働していたが、今は音がしていない。
「アーチャー?」
リビングを出て階段を上がったが、しん、と静まりかえっていた。
「あれ?」
何度かアーチャーを呼びながら階段を下りる。リビングに戻り、チラシを見遣った。
「タイムセール、終わっちまうな……」
“午後一時まで”という文字がずっと気になっている。すでに昼の十二時を過ぎていた。エミヤシロウの性分が死んでも治らないのは、士郎もアーチャーも変わらない。
「……調子はいい。身体も軽いし。ちょっと行って帰ってくるくらいだ。なんとかなるよな」
思い立ったら吉日。
士郎はスーパーのチラシとともに置いてあった財布を持ち、玄関へ向かう。
「あ、靴……」
士郎の靴はなかった。
服を買い与えてくれる凛に、あれがないこれがないと言える立場ではない。それに、士郎は凛から供される衣服をありがたく着用するだけなので、気にも留めていなかった。
先日、ランサーに荷物を渡すときも、凛のクロックスを借り、爪先で引っ掛けて履いていたのだ。いざ、出かけようとしてから気づくなんて、と自身の鈍感さに苦笑いが浮かぶ。
「できるかな……」
意識を集中させ、久しぶりに魔力を魔術回路に通す。
「投影《トレース》、《・》開始《オン》」
ほどなくスニーカーが現れて土間に落ち、それを履いて士郎は玄関を出た。
「そういえば、遠坂と契約してから、全然外に出てないな……」
春の陽射しはあるが、少し風が冷たく肌寒い。
「ちょっと、薄着過ぎたか?」
凛の用立ててくれた衣服は文句を言わずに着ているが、さすがにシャツとパーカーでは季節を先取りし過ぎている気がする。
「家の中だけなら、これでもいいけど」
士郎には考えもつかないことだ。凛が遠坂の屋敷内だけで事足りる衣服を用立てていたことなど。遠坂邸の敷地を一歩出たらどうなるか、それを知らない士郎が、凛の選ぶ衣服の意味合いになど気づくはずもない。
門を開け、一歩“外”へ出る。
「まあ、贅沢は言えないか…………ら……」
後に続く足が門を出た瞬間、士郎は崩れ落ちた。
***
「まったく、どれほど部屋に持ち込んでいるのやら……」
凛の部屋に積み重ねられていた本を地下室に持ってきたアーチャーは、ため息混じりにこぼした。
「勉強熱心なのはいいが、読み終えたあとに片づけなければ、部屋に溜まる一方ではないか……」
ブツブツと愚痴をこぼしながら、本棚へと本を戻していく。どれもこれも貴重な魔術書であり、何かしら危ない物も混じっている可能性が高いので、遠坂邸の蔵書は慎重に扱っている。