真昼の月のように
夜中に庭に投げ捨てておけば、朝には早起きな鳥たちが残らずさらっていくだろう。はんなりとした笑みを浮かべたまま思っていれば、炭治郎の顔がズイッと近づけられ、赤くまろい瞳がまじまじと月彦を見つめてきた。
不躾そのものな視線は、不快だし居心地が悪い。
ここは恥ずかしがってみせるべきか、それとも少し怯えてみせようか。なにが最良の反応だろうと瞬間脳裏で計算を巡らせれば、炭治郎がどこか幼い仕草で首をかしげた。
「月彦くんって、もしかして性格悪い?」
思いもよらぬ炭治郎の言葉に、思わず絶句した月彦よりも、立ちあわせていた教師のほうが形相を変えた。
「ちょっと、なんなんですかっ? こんなか弱い子供に向かって!」
「あっ、すみません! でも、俺、月彦くんとお話したいんで、ちょっと黙ってもらっててもいいですか?」
好意的に解釈するなら、フランス語に不慣れなゆえに言葉選びを間違えたと思えなくもなかったが、炭治郎はどうやら本気で月彦の性格を疑っているらしい。だとしても、面会時の相性次第で養子縁組の話は流れてしまうのだ。ここは取り繕うのが最良だろう。だというのに、炭治郎はいたってケロリとしている。
「すみません、彼の好きなようにやらせてやってください。月彦くんに無理はさせませんから」
義勇のとりなしも苦笑めいている。なんなのだ、こいつらは。
今まで月彦の笑みの裏にある思惑になど、誰ひとりとして気づいた者はいなかった。なのに言うに事欠いて性格悪い? だと?
「俺ね、鼻が利くんだ。あ、職業は調香師なんだけどさ。君からうれしそうな匂いがしないんだよ。むしろ怒ってる匂いがする」
「……勘違いじゃないですか? なにも不満はありませんよ」
嘘だ。怒っている。なにもかもに。月彦は、世の中のすべてが不満で、すべてに怒っている。
くだらない大人たちの偽善も、神なんて言葉の誤魔化しも。ままならぬ体や、自分を置いてさっさと死んだ両親でさえも、月彦の怒りを掻き立てる。
だが、それを露わにしたところで得られるものなどない。だから月彦は笑ってみせる。かわいそうで憐れな、か弱く純粋な子供の笑みを武器にする。
「ほら、性格悪い。子供なんだから素直に怒っていいのに」
朗らかに笑って言いながら、ツンとほっぺたをつついてくる炭治郎に、ついに月彦は眉根を寄せた。人前で不快感を顔に出してしまったことが、また苛立ちを増殖させて、取り繕うことも忘れた。
「……では、養子縁組の話はここでおしまいですね」
「えっ!? なんで!? 俺のこと嫌いになっちゃった?」
なんなんだ、こいつは。馬鹿じゃないのか?
慌てふためき悲しげに言う炭治郎に、月彦の腹立ちはいや増すばかりだ。好かれる要因がどこにあったというのか。不躾で無神経な輩は、月彦が唾棄するところだ。同性カップルうんぬん以前に、炭治郎の為人が気に食わない。
「月彦、炭治郎は君のことを馬鹿にしたわけでも、嫌って言ったわけでもない」
言葉足らずで誤解されるのは俺のほうだと思っていたんだがなと、苦笑しながらとりなしはしても、義勇にも炭治郎の言をたしなめる気配はない。
「あなたも僕の性格に難ありと思っていらっしゃるようですが、それでも縁組を望むんですか? なんの得があるっていうのかな。僕ぐらいの年頃の少年が好みだったりするんでしょうか?」
寮監はそばにいるが、まぁいい。あとでどうとでも取り繕える。今はこの不快な輩に笑みを見せてやるほうが何千倍も苦痛だ。
一年前の事件は、ふたりの耳にも入っているのだろう。再度の事態を考慮し、男女の夫婦以上に審査されたに違いない。それを踏まえた上での月彦の言葉には、年端もない少年を食い物にしようとする悪辣漢なのだろうとの、猜疑と揶揄がこめられている。
それは炭治郎たちにも容易に察せられたのだろう。とたんにふたりの顔が曇った。
「……ごめんよ。もしかして男の人はまだ怖い?」
「君を望んだことに他意はない。しいて言うなら、君の目が気に入った。ただそれだけだ。君に破廉恥な真似をすることなど一切ないと誓う」
月彦を見やる炭治郎と義勇の眼差しに曇りはなく、真摯な輝きだけがあった。
騙されるものか。
「いえ、僕のほうこそ、なにか誤解される態度をとってしまったんでしょう。マッチングが叶うことを楽しみにしています」
にこりと笑ってみせれば、ふたりはそろってパチリとまばたきし、うれしそうに笑った。
その夜、腹立ちをこめて庭にばらまいた蒸しパンは、やはり朝にはきれいに食べられ、欠片も残さずなくなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本当にいいのかと寮監は少しばかり心配していたようだが、義勇と炭治郎というカップルとのお試し期間は、とんとん拍子に決まった。
驚いたのは炭治郎の年齢だ。二五だと? 十は若く見えるじゃないか。義勇も二十代後半に見えていたが、実際は炭治郎と十歳差の三五だというから、日本人はとんでもない。自分の血も日本人のものだということを棚に上げ、月彦は呆れ返った。
ICレコーダーは、今回もちゃんと肌身離さず持っている。告発材料になりそうな発言を、一言たりとのがす気はない。
彼らの家で過ごす期間は九泊十日。金曜の授業が終わったら、その足でふたりの家に寮監たちと向かい、日曜の午前中までを過ごす。その間に一切の問題がなく、互いに家族として暮らすことを望めば、縁組は認められる。月彦がそんなものを望むわけもないが、大人しく善良な子どもを演じるつもりではいる。
彼らの家は、築八十年になる石造りのアパルトマンだった。
「いらっしゃい!」
呼び鈴を鳴らしたとほぼ同時にドアが開いたところを見ると、どうやら炭治郎は玄関で待ち構えていたものらしい。同行した教師や役人のほうが面食らっていた。
満面の笑みの炭治郎は興奮してはしゃぐ子どものようで、いよいよ月彦はげんなりとため息をつきたくなる。偽善者面を崩してやると決めたのは自分だが、この鬱陶しさは早まった気がしないでもない。
これと十日間もつきあわねばならないのか。うんざりするが、しかたがない。期間の最中にも役所からの面談はある。なにも期間いっぱい我慢する必要はないだろう。早いうちにこいつらの化けの皮をはがせばいいだけのことだ。
「お世話になります」
殊勝に頭を下げた月彦に、炭治郎と義勇が相好をくずす。他愛もないと月彦は内心嘲笑った。
先日の発言には多少動揺したが、所詮はこいつらもほかの奴らと変わらない。少しいい顔を見せてやればコロリと騙される。
誰も月彦の苛立ちや鬱屈になど、気づかない。それでかまわなかった。憐みなどいらない。
「この部屋使ってよ。あのね、カーテンと壁紙は俺がえらんだんだよ。ベッドカバーやクッションは義勇さん!」
案内された部屋は、青かった。
「空……と、海?」
水色の地に白い雲と虹が描かれた壁紙。カーテンは目の覚めるようなブルー。義勇の目の色に似ている。ベッドカバーにはイルカが跳んでいた。クッションもお揃いだ。