真昼の月のように
「うん! 義勇さんの目の色だからさ、俺、青が一番好きなんだ。義勇さんはね、学生時代水泳の選手だったんだよ。泳いでる義勇さんってすっごくきれいで格好いいんだ! いつか一緒に海で見せてもらおうな! ね、月彦くんは青は好き?」
「……嫌いじゃありません」
「素直じゃないなぁ! そこは好きでいいだろぉ?」
ギュッと抱きついてくるのが、本当に鬱陶しい。
「空も海も、青いものはあまり縁がないので」
「……日光、弱いんだっけ?」
さりげなく炭治郎の胸を押しやりながら、月彦はうっそりと笑った。
「はい。アレルギーとまではいかないんですが、日射しにあたりすぎると体調を崩します」
だから、こんな青空の下を歩くことは、滅多にできない。海など言語道断だ。潮風は月彦の柔い肌を荒れさせるし、日光の照り返しに眩暈がする。
海も、空も、望んだところで手に入らない。憎い日光が月彦から空と海を奪う。
そういえば、こいつは少し太陽を思わせるな。
炭治郎のどこか消沈した顔に、月彦はふむと内心でうなずいた。やたらと炭治郎が気に障るのは、炭治郎の笑顔が太陽のように明るすぎるせいかもしれない。月である自分とは相性が最悪なのだろう。
「少しずつ丈夫になっていけばいい。いつか一緒に海にでも山にでも行こう」
ポンと頭に手を置いて言う義勇は、まだマシだ。月彦は美しいものが好きだ。義勇の容姿は十分に月彦の審美眼に堪えるものだった。なによりも瞳がいい。炭治郎の言葉に共感するものがあるとしたら、青は義勇の瞳の色というところだろうか。月彦にとっては逆ではあるが。
義勇の瞳は、手に入らぬ空や海を思わせる。それがいい。
炭治郎と暮らすのはごめんこうむるが、義勇とだけなら、いいかもしれない。だが、炭治郎を追い出すとして、その後に義勇とふたりで暮らすというのは少々難しいだろう。月彦は即座に自分の思いつきを却下した。
もしそれを実行するのなら、十日程度では不可能だ。何年もかけて家族として暮らし、周囲に義勇の息子であると認めさせてからでなければ、同性のパートナーを持つ義勇が月彦をひとりで引き取るのは難しいだろう。児童に対する性犯罪ほど、世間や司法に忌避される犯罪はない。
少々残念だが、しかたがない。ともかく期間中は、炭治郎を告発する材料を集めることだけに専念すべきだろう。
不穏な思惑になど気づかないのか、炭治郎はニコニコと笑いながら、月彦の手を引いてこっちがバスルーム、ここがトイレと家のなかを案内して回った。
「夕飯は日本食にするつもりなんだ。月彦は箸は使える? パリに来たばかりのころは、材料が手に入るか不安だったけど、日本食の材料って結構売ってるんだよなぁ。このアパルトマンを選んだのは、バスルームに浴槽があったからなんだけど、一階がスーパーマーケットだったのも大きいんだよね。買い物がすっごく楽ちん! 今度月彦も一緒に買い物に行こうな!」
「箸は使ったことがありません。バスもいつもはシャワーだけなので……」
児童養護施設も学校の寮も、シャワーブースが並んでいるだけだ。浴槽につかるという習慣は月彦にはない。日本人は入浴好きだと聞くが、事実なのだろう。そんな馬鹿げたことを部屋選びの基準にするとは呆れるなと、月彦は心中だけでつぶやいた。
「そっかぁ。じゃあ今日はみんなで一緒に入ろっか! バスルームは改装してあるから、うちは日本式なんだよね。入り方教えてあげるよ。月彦は小さいから、三人で入っても大丈夫! あのさ、温泉の素って知ってる? すっごく体にいい温泉が日本にはいっぱいあってさ、それをお手軽に自宅のお風呂で楽しめちゃうんだ! たまに義勇さんの同僚だった人が送ってくれるから助かるよ。月彦も気に入るといいなぁ」
「……は? 一緒?」
「うん! 絶対に楽しいぞぉ。義勇さんもいいですよね!」
控えめについてきていた義勇を炭治郎が振り返り見るのにあわせ、月彦もわずかに狼狽しつつ義勇を見た。断れとの願いもむなしく、義勇も事も無げにうなずき、あろうことか月彦の頭を撫でて「髪を洗ってやろう」なんて言い出すから、嫌になる。
「エコール・マテルネル(幼稚園)の幼児じゃあるまいし……髪ぐらい自分で洗えるに決まっているだろうっ」
つい口調が荒くなったが、炭治郎も義勇も気にした様子はない。それどころか、ますます笑みを深めてうれしげにするのだから、まったくもって意味がわからない。
「うん、そんな感じに素直にしてるほうがかわいい」
しゃがみ込み、チュッと頬にキスしてくる炭治郎に、月彦の眉尻がつり上がった。本当に、まるで幼児扱いだ。年齢こそ七歳ではあるが、知能的には月彦がすでにコレージュ以上であることは、こいつらとて承知しているはずだろう。なのに、なんたる屈辱。
やめろと、思わず炭治郎の顔を押しやり、袖口で頬を拭えば、ひどいっ! と炭治郎は泣きまねをしてみせる。くだらない。心底くだらない。なんて馬鹿馬鹿しいやり取りだ。
「大人同士でも日本では背中を洗いあったりもする。裸のつきあいだ」
「正気の沙汰じゃありませんね」
「かわいくなーい!」
もはや取り繕うことすらうんざりで、フンと鼻を鳴らした月彦に、炭治郎は言葉ばかりは文句じみたことを言いながらも、満面の笑みだ。
「でも、そのかわいげのなさがかっわいいなぁ、月彦!」
あろうことか、そんなことを言い炭治郎は、月彦の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でてくる。
「鬱陶しい!」
「いい反応だ」
クスクスと笑いだした義勇に、月彦はますます不快げに顔をしかめた。調子が狂う。これから自分は炭治郎を性犯罪者に仕立て上げようとしているというのに、なんなのだ。この茶番は。
リビングに戻り、お茶にしようとテーブルについたふたりは、月彦にそろって微笑みかけた。
「これからよろしく。月彦が俺らを両親だと思ってくれるようになったらうれしいな!」
「俺たちの心情的には、おまえを迎えることはもう決定しているが、それは斟酌しなくていい。素直に判断してくれ」
月彦は、よろしくとお愛想の笑みを浮かべることができなかった。月彦にできたのは、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向くことだけだ。
騙されるものかと、固く心に誓いながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
金曜の夕方にアパルトマンを訪れ、今日はもう二回目の土曜日。お試し期間は早くも残り二日となった。
これまでのところ、学校の送り迎えは基本的に義勇の仕事だ。スポーツジムでインストラクターをしているという義勇は、客の予約の合間をぬって月彦を迎えにくる。
とはいえ、学校に通えたのは金曜の午後から過ごした五日間のうち、二日だけだ。環境の変化が勝手に体を痛めつけて、同居したその夜から、月彦は高熱を出し寝込んだから。