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真昼の月のように

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 風呂に無理やり一緒に入ったから? と、炭治郎が泣いていたのは、溜飲が下がらないでもなかったが、つらいことに変わりはない。ふたりは夜通し代わる代わる月彦のベッドの傍らに付き添い、何度も額のタオルを交換しては、汗をぬぐった。赤子にするように胸をやさしく叩いたり、ギュッと月彦の手を握っては、早く良くなれ、元気になれと、呪文のように呟きつづけたふたりを、熱に浮かされてはいたが月彦の明朗な頭脳は覚えている。
 熱が下がったときの、炭治郎の喜びっぷりは激しかった。体温計を見るなり平熱! と叫び、良かったなぁとボロボロ泣いて、月彦を強く抱きしめてきたのだ。炭治郎の声が聞こえたのだろう。部屋に駆け込んできた義勇もまた、心底の安堵を隠さなかった。言葉もなく青い瞳を潤ませると、炭治郎ごと月彦を抱きしめたものだ。
 体力を失った病み上がりの体では、抱きしめてくるふたりを押しやるのも億劫で、月彦はされるがままになるしかなかった。なんて無様な話だ。けれども、腹立たしいと吐き捨て、偽善者どもめとなじるには、ふたりが心から月彦の回復を喜んでいるのは疑いようがなかった。
 月彦を投資対象として求めているのならば、早速、これは割に合わないと悟っただろうに。ふたりは落胆など微塵も見せない。
 寝込んでいるあいだ、赤ん坊のように抱きしめられて手づから口に運ばれた粥は、とろりとおいしかった……気がする。これぐらいなら食べられるか? と、義勇が買ってきたヒヤリとしたクレームキャラメル(プリン)は、やさしい甘さだった。
 児童養護施設でも寮でも、汗を拭かれたり着替えをさせられたりはしたが、あれほどこまめにではない。うなされながら目を覚ましても、誰もいないことのほうが多かった。けれど、義勇と炭治郎は、けっして月彦から目を離すことがなかったのだろう。意識が浮かび上がり、熱で潤む目を開ければ、必ずどちらかの顔がのぞき込んできた。

 ようやく起き上がって学校に行ったのは、木曜になってからだ。月彦はランチに給食を選んでいるというのに、炭治郎が迎えにきた。
「義勇さんは仕事中だから、昼ご飯は俺と食べような!」
 明るく笑う炭治郎に家に連れ帰られ、出された昼食はパンケーキだ。ベーコンとサニーレタス、ウ・オゥ・プラ(目玉焼き)を乗せたパンケーキは、甘じょっぱくて、トロリと溶ける黄身はなんとなく心が弾んだ。もちろん、そんな自分をこそ月彦は恥じたのだけれど、炭治郎の作る料理はいかに気に食わない相手ではあっても文句のつけようがない。
 ランチを誰かと食べるなんていう経験も、学校に入ってからは一度もなかった。スキップした月彦は、同級生よりはるかに年下で、やっかみや下卑た好奇心の的になりがちだ。人形のような美貌も仇となっているのだろう。いっそバカロレアを取得してユニヴェルシテ(大学)まで一気に進んでしまえば、それなりに周りも成熟した者が多くなるかもしれないが、コレージュ程度では生徒もまだまだ子どもじみている。あからさまないじめがないだけマシだとあきらめるよりない。
 もとより、月彦は子供が嫌いだ。理性より感情で動く生き物など、猿と変わらないではないか。

 炭治郎は、見た目通り子供に近い。明るく裏がなく、笑うのも泣くのも開けっぴろげだ。やたらと月彦を抱きしめたがり、キスしたがるが、性的なものは一切感じなかった。
 つきあいやすいのは、やはり義勇のほうだ。義勇は口数が少なく、常に冷静に見える。ところが、変に子供じみたところもあるのが、なんとも解せない。なぜ毎度毎度だらしなく口の端に食べかすをつけてしまうのか。まったくもって呆れてしまう。
 それをまた炭治郎が、ひょいとつまんでやるのがお約束の光景だ。仲睦まじさを見せつけられているようで、甘ったるい空気に胸やけしそうになる。
 フランス語も義勇のほうがマシで、堪能とまでは言わないが、意思疎通にはまったく問題がない。炭治郎は発音がいまだに難ありだ。持ち前の明るさと物怖じのなさで、会話に不都合はないようだが、月彦としては苛々してしまう。
 フランス語しか話せない月彦への配慮からか、ふたりは家でもフランス語で通している。だが月彦は知っている。最初に会ったそのときに、立ち去る際ふたりが交わしていた言葉は、明らかに耳慣れず、日本語であるのは容易に知れた。普段ならば家では日本語で会話していたのだろう。月彦だって承知しているのだから、遠慮などすることはない。なのにふたりは、月彦が自室にいてふたりきりだろうと、フランス語でしか話さないと決めているようだった。

 それを知ったのは、月彦が夜中にトイレに立ったときのことだ。リビングの明かりが見えて、とっさに壁際に身をひそめた月彦の耳に入ったのは、フランス語だった。月彦がうっかり日本語の会話を聞いて、なにを話しているのかと不安になってはいけないとの理由らしい。月彦が日本語を覚えたいって言ってこないかぎり、日本語は封印ですねと、炭治郎は笑っていた。一気にフランス語上達しちゃうかもなんて、変に前向きなのが癇に障った。
 だが、同時に胸の奥がザワザワと、不快感とは違う落ち着かなさを覚えたのも確かだ。

 炭治郎と義勇は、毎日、月彦が眠る前に同じことを言う。

 明日は今日より元気になる。明後日は明日よりもっと健康になる。

 呪文のように、神への祈りの言葉のように、ふたりは毎日、そんな言葉を月彦にささやき、ギュッと抱きしめてくる。
「日本には言霊という信仰がある。言葉には力が宿っていると信じられているんだ」
 神など信じない月彦は、義勇の言葉に鼻で笑ってしまいそうになったが、ふたりがささやくときの真摯な眼差しは、嫌いじゃなかった。
 こんなはずではなかったのだ。たったの十日足らずだ。たかがそれしきの時間で、まるで温かな普通の家族のような暮らしに馴染みだすなど、自分でも思っていなかった。
 いつかきっと化けの皮が剥がれると念じるように思ってみても、そう思いたがっているだけだということは、敏い月彦にはもうわかっていた。
 だが、まだ認められない。信じた瞬間裏切られるのはごめんだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「今日は学校休みだな! 薄曇りでちょうどいいし、ピクニックしよう!」
 最初の土日には月彦は寝込んでいたし、水曜の休みも、病み上がりなのに学校へ行って疲れただろうと、どこかへ出かけることはなかった。休日の家族らしい過ごし方をするのは、この土曜日が初めてとなる。
 言われ、月彦は無意識に窓へと視線を向けた。炭治郎の言うとおり空にはうっすらと雲がかかっていて、月彦にとっては過ごしやすい天候だ。雨の心配もなく、日射しも強くないとなれば、屋外で過ごすのも無理ではない。
「お弁当は日本式にするつもりだけど、全部手づかみで食べられるものにするから安心していいよ」
 笑って言う炭治郎には他意はないのだろうが、月彦は思わず顔をしかめた。初めて箸で食べた食事は、散々だった。義勇のことを笑うどころではない。うまく使えず、月彦は物心ついて以来初めて、頬に食べかすをつけまくるという経験をしてしまった。
作品名:真昼の月のように 作家名:オバ/OBA