桜が謳うサンサーラ
だから義勇は、なんのためらいもなく、汚れた炭治郎に触れ、優しく洗い清めた。
くたりと垂れた性器にも、初めて触れた。それはやわやわとして義勇の手によくなじみ、思わず詠嘆のため息がこぼれる。
反応を返すことはない、炭治郎の性器。一度も他人の手が触れたことなどないであろうそれに触れながら、義勇はわき上がる愛おしさを抑えるのに苦労した。
ゆるんで排泄物で汚れたそこにも、義勇は触れた。やせて肉のそげた尻は、義勇の手のひらにすっぽりとおさまるほどに小ぶりで、なんだか胸がつまる。
せせらぎで洗い流した小さなすぼまりに、指を差し入れていいものかと、激しく葛藤したりもした。
肉体のなかに残る異物は、できるかぎり取りのぞいたほうがいい。腐敗速度が遅くなる。わかっているけれど、胃の腑の内容物を取りのぞくために炭治郎の腹を裂くなど、言語道断だ。そんなことをするぐらいなら己の首を掻き切るほうがマシだった。
ならばせめて腸(はらわた)に残るものをすっかりかきだそうと思いはするのだが、どうにも邪心がぬぐえず、ゆるんだそこをなで洗うばかりとなった。
いっそ抱いてしまいたい。
そんな衝動は幾度となく義勇をおそった。
このつつましやかなすぼまりに包まれて果てたい。願い、ふくらむ欲望を持て余しても、炭治郎の答えを得られぬままに抱くことなど、義勇にはできなかった。
合意のない行為など、ただの暴力でしかない。たとえ死して肉体だけになったとしても、炭治郎に無体を働くことなぞ、義勇にできようはずもない。
だから義勇は懸命に自制し、それ以上炭治郎の素肌に触れぬよう自分を戒めた。
洗った桶へと戻された炭治郎は、やはりなにも語ることなく、閉じたまぶたの下の瞳も、義勇を映し出すことはなかった。
そうして、日に日に腐り、今ではもう、とけた腐肉にまみれる骨だけの姿となっている。
物言わぬ炭治郎との道行きは、死期が近づきつつある義勇にとっては、それなりに厳しいものであった。
異様な出で立ちと腐臭のせいで、官憲に追われたのも数えきれない。そのつど逃げるのは体力を削るばかりであったし、万が一道半ばで義勇が倒れでもしたら、炭治郎と引き離されるのは確実である。
そのため義勇は、おおむね人の通わぬ山道などをえらんで歩いた。
しかし、ときには街道に出ねばならないこともある。
そんなときには、手や顔だけはどうにか洗わねばならない。
浮浪者のごとき姿はまだしも、血肉の汚れは人に恐怖心を与えるものだ。商店で食べ物を買うことすらままならなくなる。
飲み食いする欲求はほとんど感じることがなかったが、食わねば体が動かない。だからしかたなしに、せめてもと義勇は手を洗った。
炭治郎を抱きしめたあとで手を洗うのは、まるで炭治郎を穢(けが)れだとでも言っているかのようで、どうにもつらかったがしかたがない。
だが、そんな旅ももうおしまいだ。
並ぶ遺骨をしみじみと見下ろして、義勇は微笑みながら、炭治郎の頭蓋骨をふたたび抱きかかえた。
胸にすっぽりとおさまる炭治郎の頭が、狂おしいほどに愛おしい。
「これぐらいは許してくれ」
ささやいて、炭治郎のきちんと並んだ歯にそっと口づける。吸う舌がないのは残念だが、こんなささいな触れあいだけでも、義勇は満たされていた。
朝がまたおとずれた。
いつのまにか眠ってしまっていたらしい。炭治郎の頭をかかえたまま目を覚ました義勇は、あわてて飛び起き、炭治郎の骨を数えた。
なんてうかつなことをしてしまったのか。獣に大切な炭治郎の骨を持ち去られてはかなわない。ひとかけらたりと炭治郎を失うのはごめんだ。
丹念に数えた骨は、とうになくした左腕以外は無事そろっていて、義勇はホッと胸をなでおろした。
ふたたび地面に横になり、炭治郎の頭蓋をとくとながめて義勇は微笑んだ。
「春になったらきっと満開の花が咲く。これだけの大樹だ、見事だろうな。なぁ、炭治郎?」
炭治郎との思い出の多くは、血と涙と悲鳴に彩られている。
鬼殺隊に入って以来、鬼を狩って、狩って、狩りつづけるばかりの日々は、炭治郎と出逢ってのちも変わりはなかった。
しかしながら、その目に映る世界は、炭治郎が義勇の傍らに駆け寄ってくるようになって、劇的なまでに色合いを変えた。
それまでの義勇の目に映る世界をたとえるならば、活動写真のごときものだった。色はちゃんとわかるのだが、思い返そうとしても活動写真のフィルムのように、白黒でしか思い出せない。目の前の世界はスクリーンに映し出された映像のように、義勇だけが違う場所で見ているような気さえした。
晴れ渡った空の下ですら薄暗く、どこか灰色がかって見える。自分だけがみなが笑いさざめく世界の外で、それを見ている。喪失感と自責の底にいた義勇にとって、目に映るのはそんなものでしかなかった。
いつでも灰色の紗がかかったように、おぼろに見えていた風景。そんな義勇の世界に、いつしか鮮やかな色と光があふれた。
木々の緑や花の色が、義勇の目を慰撫するようになったのは、言うまでもなく炭治郎の笑みとともにあったからだ。
耳に入る音もそうだ。それまでは、鳥のさえずりも、川のせせらぎや風にゆれる梢の葉擦れも、状況判断の材料以外の意図を持つことはなかった。
炭治郎が笑いながら教えてくれたから、義勇も様々な音を慈しめるようになったのだ。
義勇さん、キビタキが鳴いてますよ。いい声ですね。あぁ、ほら、あそこにいた! かわいいなぁ。
竹林の葉擦れって、海の音に似ているって本当ですか? ほら、このザザザァって音。へぇ、潮騒っていうんですか。義勇さんは博識ですね! 俺は海を見たことがないんです。義勇さんと見られたらいいなぁ。一緒に潮騒を聞いてみたいです。
そうやって、ささいな音のひとつひとつを炭治郎がさも楽しげに話すから、義勇もそれらを感慨深く聞くようになったのだ。
ピーリピッピリリと鳴く小鳥のさえずりに、道ばたに咲くありふれた花に、季節の移り変わりを感じる。そんな当たり前の生活を、闘いの日々のなかでさえ、炭治郎は思い出させてくれた。
炭治郎は、それをちゃんと知っていてくれただろうか。
山奥の桜の大樹は、葉の半ばを紅葉させている。風が冷たい。人の来ない山奥に、秋は里よりも早くおとずれていた。
この木が真っ赤に色づくさまは、きっと見事なことだろう。
冬になれば真白い雪がすべてをおおいつくして、辺りを純白に染める。春には枝いっぱいに満開の花を咲かせ、蜜を求める鳥や虫がやってくるに違いない。
夏には濃い緑に包まれて、生を謳歌する生き物の音で満ちみちる。もしかしたら木陰に涼を求めて獣たちもくるかもしれない。
すべてふたりで見るのだ。炭治郎とともに、季節の移ろいを肉体を失った身で、ながめつづける。
幸せだと、義勇は静かに微笑んだ。
もう歩きまわり終(つい)の居場所を探す必要はない。
ならば、砂を噛むような思いをしてまで、飲み食いせずともよい。肉体が命を失い果てるまで、ここで炭治郎とともにあるだけでよいのだ。