桜が謳うサンサーラ
義勇がひた隠しにしてきた自分の渇望と、出逢うべき人を探すのだという決意を錆兎と真菰に告げたのは、言うなればただのなりゆきだ。
中学校に入学する前に、三人でどこかへ行こうかと言い出したのは、真菰だった。
錆兎はふたつ返事で賛成したが、義勇はためらわざるを得なかった。それはそうだろう。だって義勇はこの春から、まだ逢えぬ誰かを本格的に探す予定でいたのだから。
探しかたなどわからないけれど、生活圏内を歩きまわったところで実りはないだろう。ならば自分から色んな場所に出向こうと思っていた。
小遣いやお年玉で貯金はそれなりにある。ひとりで出歩いても、もう家族もそこまで心配はしないはずだ。だから義勇は、この春休みから少しずつ行動範囲を広げ、使える時間をすべて、まだ見ぬ誰かと出逢うために費やすつもりだった。
ためらう義勇に、ふたりは首をかしげ、心配そうに顔をくもらせた。理由を話さなければ、錆兎や真菰の心に義勇への疑念や危惧が生まれるかもしれない。それでも事情を話すには、少々勇気がいった。
夢見がちだと笑われるならまだいい。けれども家族の暗く沈んだ顔を思い出すと、ふたりにも不安を与えてしまうのではないかと心配にもなる。義勇の精神はまともな状態ではないのだろうかと、嫌厭され距離をおかれるかもしれないと、義勇自身も不安になった。
けれどもそんな心配は杞憂に過ぎなかった
錆兎と真菰は、疑ったり笑ったりするどころか、なるほど義勇がぼんやりしがちな理由はそれかと得心した顔で、義勇の言を素直に受け入れてくれたのだ。しかも驚いたことに、それならなおのこと一緒に行こうと言ってくれもした。
「義勇は人見知りだから、その人を見つけても声をかけられないかもしれないでしょ」
「中学生がひとりでうろうろしてたら不審がられるかもしれないけど、三人いれば変に疑われることも少なそうだしな。なにかあったときにも対処がしやすいだろ。決まりだな!」
義勇が口をはさむ暇も与えられぬままに、小旅行はあれよあれよと決まっていく。いや、いいのか、これ。前世なんてあるかどうかもわからないものに、ふたりまで振りまわされていいんだろうか。
展開の速さについていけず、オロオロとするばかりの義勇に気づいたか、錆兎と真菰はあきれたように笑った。
「おい、義勇。変な気をまわすなよ? 俺らはむしろ、もっと早く言えって思ってるぐらいなんだからな」
「そうだよぉ。義勇が時々すっごく悲しそうにしてたのって、まだ逢えない誰かさんに逢いたかったからなんでしょ? 言ってくれたらもっと早く手伝えたのに」
「……なんで」
頭がおかしいと思わないのか。面倒だと嫌がらないのか。言葉にはせずとも、そんな疑問はすぐにふたりに伝わったのだろう。
「友達なんだから当たり前!」
声をそろえて笑って言ったふたりに、義勇は泣きたくなった。胸にあるのは深い安堵と感謝だ。
こくりとうなずいて、ありがとうとつぶやいた義勇に、錆兎と真菰は、やっぱりうれしそうに笑った。
そんな会話をしたのが、小学校の卒業式より少し前のこと。
最寄駅から乗った電車の、終着駅に降り立った今日は、中学の入学式の三日前である。
どこへ行こうかと相談した際に、真菰からなんでもいいから浮かぶイメージはある? と聞かれて、義勇が答えたのは『大きな桜の木』だった。
医師から同じようなことを聞かれ、素直に答えたのを思い出す。けれど、義勇の答えはどれも関係性が見えなかったのか、医師にとってはあまり役には立たなかったようだ。
だから義勇も、あまり役には立たないだろうけどと、少し申し訳なく答えたのだけれど、真菰の反応にがっかりした様子はない。
大きな桜の木。海。お日様。小鳥の声。星。キラキラしたカード。お守り袋。
そんな取り留めもない言葉をふんふんと聞いた真菰は、今義勇が一番行ってみたいのはどこ? と聞いてきた。
そうしてしばらく考えた義勇が口にしたのが、桜の木だった。
不思議と桜の木を見ると泣きたくなる。行かなきゃ。そんな言葉が頭に浮かぶ。
けれども、どんな桜でもいいというわけではない。違う。違う。ここじゃない。桜を見上げては落胆し、泣きたくなった。
うながされるままにぽつぽつと、そんなことを話した義勇に、真菰と錆兎はにっこりと笑って、じゃあ桜の木を探そうと事も無げに言ってくれた。
義勇が思い浮かべるイメージに似た桜を探して、真菰のタブレットを三人してのぞき込んでいるときに、その桜の木は義勇の目に飛び込んできた。
小さな写真だ。メジャーな桜の名所などではない。簡潔すぎて素っ気ないほどの説明文は、登山客でにぎわうような山ではないからだろう。
それでも、山頂にあるという山桜の小さな写真に、義勇の心はなぜだかひどくざわめいた。
見慣れた染井吉野とは違う、紅紫色をした桜の花は、義勇に来いと誘いかけているようだった。
ここがいいと指差した義勇に、錆兎と真菰も了承し、今、義勇は急く心を持てあましながら、一心に山道を登っている。
「おいっ、義勇! ペース早すぎだ。そんなに急ぐとバテるぞ!!」
錆兎が背後でいさめる声は聞えていたけれど、義勇の足は止まらなかった。
大丈夫とだけ大きな声で返して、義勇はどんどんと進んでいく。人が歩きやすいようにそれなりに整備されているとはいえ、登山に慣れぬ足には厳しい道のりではある。錆兎の忠告はもっともだ。
けれども、義勇の心は逸るばかりで、早く早くとうったえるのだ。
息が切れる。苦しいほどに動悸が激しい。額を流れる汗が目にしみるたび、義勇は服の袖で乱暴に汗をぬぐった。
足は止まらない。つらい苦しいと音をあげそうに疲れているのに、歩みは速まるばかりだ。早く。逢いたい。早く。行かなくちゃ。そんな言葉に急かされるまま進むうち、見上げる視線の先に、桜の花がわずかに見えた。
ドクンと大きく鼓動が鳴る。義勇は一瞬息をするのも忘れた。
歩く足はますます速まり、しだいに小走りになり、いつの間にか必死に山道を駆け上っていた。
そうして気がつけば義勇は、錆兎や真菰を置き去りに、息を切らして山頂へとたどり着いていた。
ひらけた視界に飛び込んできたのは、ずっと目印として見上げてきた桜の木だった。
ビルほどにも大きな木だ。満開の桜が、淡い紅紫色の花弁を降らせている。
あぁ、この木だ。この木に間違いない。
酸欠状態になっているのだろうか。ドクンドクンとこめかみで脈打つ血流の音が、大音量で体内にダイレクトにひびくようで、義勇は思わず耳をふさぎたくなった。
くらくらと視界がゆれる。息が苦しい。それでも義勇のまなざしは、桜の木から離れることはなかった。
お愛想ていどにならされ、広場のようになった桜の周囲には、人の気配はない。
染井吉野と違って短期間で散る花ではないからか、それとも花見と言えば染井吉野で、こんな山桜は選択肢に上がらないのか。いずれにしても、騒がしい花見客がいないのはありがたい。ああいった喧騒は、義勇は好きではない。