桜が謳うサンサーラ
そんな子らに字を教えてくれと乞われ、了承したのはいいが左手で書いた文字は我ながら下手くそだった。尋常小学校に通っていたころよりも、よっぽど一所懸命に書き取りしたおかげで、今では以前と変わらぬ字が書ける。それを語る義勇のまなざしは、わずかに和(やわ)らんだ。
先の老爺などは、野良仕事の合間に義勇を見かけるたび、一休みと言いながら義勇を招いてくれるから、しょちゅう畔に並んで腰かけ話をした。
答えを返さぬ口下手な義勇を相手に、老爺は気を悪くした様子もなく、ひとり楽しげにしゃべりつづけていたものだ。
その会話はなんとはなし炭治郎を思い起こさせ、どことなしうれしく、たまに散策するおりには自然と老爺の畑の近くを歩むようになったことなどを、義勇は問わず語りに興じつづける。
三年という月日は、人づきあいのうまくない義勇にも、それなりに実りを与えてくれた。鬼殺隊で刀をふるっていたころからすれば、思いもよらぬほどに、平穏でのどやかな暮らしだ。
「おまえは心配していたが、俺だってひとりでもそれなりに暮らせていた。安心したか? 炭治郎」
少し自慢げに笑って、義勇は歩いていく。炭治郎の答えはない。
鳥や獣の鳴き声と、梢をわたる風が鳴らす葉擦れの音だけが、義勇の声に相槌を打つようであった。
三年前、なにごともなかったかのように笑いあい、別れを告げる義勇と炭治郎に、多くの者が困惑したに違いない。このまま離れ離れになっていいのかと、思慮もしただろう。
けれども当のふたりに憂いはなく、別れも至極穏やかだった。
炭治郎が去り、己の身辺を整理しだしたときにも、義勇は泰然としていた。
おそらくは義勇自身よりも、宇髄をはじめとする知己のほうが、炭治郎たちの帰郷までの日々を、よっぽどヤキモキと過ごしたことだろう。
炭治郎を追わなくていいのか。離れ離れでつらくはないのか。心配したり発破をかけたり、なぜそこまで気にかけるのかと、義勇が少々あきれてしまうほどに、みなふたりの仲を案じてくれたものだ。
とくに宇髄は、誰よりも義勇に親身だったように思う。炭治郎たちが去る前からやけに義勇を心配しては、本当にいいのかと何度となく問いかけてきたものだ。
もう義勇がしでかした不道徳な逃避行は、宇髄らの耳にも届いていることだろう。
元同僚の見目好い顔が、苦々しくしかめられる様を思い描き、義勇は小さく嘆息した。
「おい、冨岡。本当にいいのか、炭治郎を行かせちまってよ」
炭治郎と禰豆子の旅立ちにそなえあわただしくなった蝶屋敷の片隅で、そう義勇に問いかけた宇髄の顔は、いかにも不満げであった。
義勇と宇髄の視線の先では、炭治郎と禰豆子が困り顔で笑っている。
蝶屋敷の娘たちが差しだす衣類やらを、ふたりは笑いながら、けれども頑(がん)として固辞しているようだ。
あの兄妹は人の好意に対して素直な質だが、物品や金銭がからむとどうにも頑固だ。
いかにもなその様子に微笑ましさを感じつつも、炭治郎たちと仲のよかった少女たちの心情を思うと、少しばかりハラハラと心配にもなる。
しかしながら、そんな心配にも義勇の表情がくずれることはなく、傍目には常の無表情であっただろう。
まるきり宇髄の言葉を無視しているように見えたのか、ちゃんと聞けとばかりに、宇髄の声にトゲが含まれた。
「今ならひきとめられるんだぞ? これきり逢えなくなってもかまわないってのか!?」
「当然だ」
「なにが当然だってんだ。おまえら惚れあってんじゃねぇのかよ」
腹立たしそうな声に、ちらりと視線を向けてみれば、宇髄の瞳には義勇への懸念がありありと浮かんでいた。
心配されているのだと悟り、義勇はほんの少しうつむいた。胸によぎったのは感謝である。
あの死闘以前は、こんなふうに親しく話しかけられることも少なかった。自分が周囲となじむ努力をしなかったからではあるが、もったいないことをしたのかもしれない。義勇は内心でそっと苦笑した。
宇髄は派手な出で立ちとは裏腹に、存外面倒見がいいらしい。もっと胸襟を開いてつきあっていれば、口下手ゆえに人が周りにいつかぬ義勇とも、親しくしてくれたのだろう。
仲間だというのに、ずいぶんと申し訳ないことばかりしてきたものだ。
炭治郎がいなければ、こんな後悔すら生まれることはなかったのだろう。
思いつつ、義勇は静かに口を開いた。
「惚れていればこそだ」
「……ったく、鬼殺隊の柱ともあろうもんが、弱きなこった。てめぇも男なら、黙って俺についてこいって派手にぶちかましてやれや」
「炭治郎も男だ」
「そういう問題じゃねぇよっ!!」
ごまかしやがってもう知らんと、元忍びとは思えぬほどに足音高く立ち去る宇髄に、義勇はほんのわずかに口元をゆがめた。
ごまかすつもりはなかったのだが、やはり自分は人とのつきあいかたが下手だと自嘲する。
わかってもらえず残念だと思いもした。
義勇が望むものは炭治郎の幸せだけだ。炭治郎の望みも、義勇の幸せだろう。それを義勇は重々承知していた。
同時に、互いに思い描く相手にとっての最上の幸せには、己の姿はないこともまた、義勇は知っている。
宇髄をはじめ、周囲の人々は勘違いしているようだが、炭治郎と義勇は恋仲ではない。
たしかに胸に抱く想いは恋慕と呼んでよかったが、それを口に出して告げたことは、お互い一度もないのだ。
言葉なく目があった刹那に、まなざしで心を交わしあい、生涯口にしてはならぬ秘め事として、ふたりそろって思いにふたをする。義勇と炭治郎の恋とは、そんな恋だった。
江戸時代の武士ならば、衆道の契りも交わせよう。だが、大正デモクラシーだなんだと世間の目が世界に向けて開けていくなかで、男ふたりが得られる未来とはいかほどのものであろう。
明治に発布された鶏姦律令は短期間でなし崩しに消えたというが、男色を法で禁じる時代が到来していることに違いはない。
諸外国との関係も、じわじわときな臭くなってきているようだ。他国との戦争ともなれば、兵士として戦うことのできなくなった男ふたりの暮らしは、どれだけ嘲笑と非難をあびることだろう。
世間をはばかる関係を、相手に背負わせることなどできない。
その決意はまがうことない義勇と炭治郎の本心である。
残された時間が少ないのならなおのこと、妻を娶り子をなすのが、相手にとっての最上の幸せだと、ふたりは疑わなかった。
傷の舐めあいをしたいわけではないのだ。完全な形の幸せを、義勇は炭治郎に与えたかった。炭治郎もまた、義勇に同じことを望んでいるだろう。
互いに口には出さずとも、炭治郎が目を覚ました夜に見交わした瞳が、ふたりの想いのすべてをあまさず伝えあっていたと、義勇は確信していた。
ほかの誰の共感を得られずともよい。互いに納得し、互いの幸せを祈り生きる。それが自分たちにとって一番よいのだと、義勇は信じていた。
炭治郎との思い出も色濃い慣れ親しんだ水屋敷をあとにして、義勇が移り住んだのは、雲取山を望む鄙(ひな)びた農村の、小さな家だった。
義勇がその家をえらんだのは、炭治郎との出逢いの際に見た炭治郎の生家と、少しばかり似ているように思えたからだ。