桜が謳うサンサーラ
ひとり暮らしにはいくらか広いが、なに、荷物も同居人も増える予定のない暮らしである。多少不精な生活をしても汚す心配もないだろうと、そこに決めた。
鬼殺隊士全員にお館様が支給した慰労金は、辞退した。
お館様と妹君たちはまだ幼い。これからいくらでも金がいるはずである。決戦時に崩壊した建物の再建や、障害を負った隊士たちへの先々の保障にかかる費用も、莫大なものになるはずだ。国政が戦争にむかう気配のある今、それらを工面するには、いかに潤沢な資産を誇る産屋敷家であっても苦心するだろう。
浪費する質ではない義勇は、それまでの給金にもろくに手をつけていなかったから、貯蓄だけでも人生の終焉まで暮らすにはこと足りる。辞退するのに躊躇は一切なかった。
その決断をしたのは、なにも義勇だけではない。
五体満足に生き延びられた隊士や隠はほぼ全員が、義勇と同じく慰労金の受け取りを断ったと、宇髄から伝え聞いた。もちろん、お館様のもとに残ることとなった不死川や、炭治郎と同期の少年少女も同様である。
幼いお館様がほろほろと涙をこぼし、そんなことを言わずに受けとっておくれと泣くのを、みな一様に笑って断ったのだという。その涙と今までの恩寵だけで十分だと、義勇と同じく誰もが言ったらしい。
そうして田舎の小さな家を買いとった義勇のもとに残ったものは、つつましやかに暮らせば三、四年は暮らせるはずの金銭と、隊士となったときからずっとそばにいた年老いた鴉だけであった。
姉と錆兎の形見である羽織は、もはや修繕もかなわなかった。捨て去ることはそれでもできず、わずかばかりを切りとり、守り袋へと姿を変えて義勇のふところに常にある。
小さな守り袋のなかには、炭治郎の髪が少しと、一枚の羽。たった一度だけふたりきり、夜空を見上げて語りあい、思い出として切りあった互いの髪が、義勇のなにより大事な財産である。
そう、たった一度。ただ一度きり、義勇は炭治郎と逢瀬と呼べる時間を持った。
それは、冬支度のことを思えば、雲取山に帰るにはギリギリだろうという、秋の初めのことだった。
床払いしても炭治郎たちは蝶屋敷で世話になっていたが、義勇はそうもいかず、水屋敷へと戻っていた。
慣れぬ隻腕での暮らしを蝶屋敷の娘たちは案じてくれたが、炭治郎や禰豆子はともかく、義勇にはちゃんと自分の屋敷があるのだ。
それにこれからは、この体でひとり暮らしていかねばならない。身のまわりのことに早く慣れる必要もあった。
とはいえ、義勇が一人きりでいた時間は、存外少なかった。
なんとなれば、代わる代わる誰かしらがたずねてきては、義勇の暮らし向きになにかと心くだいてくれたのだ。
怪我の経過を心配する蝶屋敷の者らが様子を見にくるのは、義勇とて想定内である。だが、宇髄の嫁たちやら村田やら、隠などまでがなにくれとなく屋敷をおとずれては、食事の支度や洗濯など、義勇の固辞に耳を貸すことなく世話を焼いたのは、いったいどういうことなのか。
もちろん、感謝はしている。だけれど、そんなにも頼りなく思われているのかと、少々心外な思いをしたのも事実だ。
これでは片腕の暮らしに慣れるどころではないと、ため息をついた義勇に、炭治郎はアハハと楽しそうに笑っていた。
義勇さんってなんとなくほうっておけないんですよねと、クスクス笑う炭治郎に、義勇は憮然と顔をしかめた。
おまえたちは俺を子どもだとでも思っているのか。少しばかりふてくされた気分で言えば、そういうわけじゃないんですけどと苦笑する。
「義勇さんもしばらくしたら水屋敷を出るつもりなんでしょう? 別れを惜しんでくれてるんですよ」
世話を焼かれるのも柱の務めだと思って諦めてください。
そう言って笑う炭治郎に、さらにため息をつきたくなった。けれども本音を言えば、炭治郎も別れが寂しく惜しいと思ってくれていることが、うれしかった。
屋敷をもっとも多くおとずれ、義勇の世話を誰よりもかいがいしく焼いたのは、誰であろう炭治郎だ。
ときには禰豆子や同期の少年たちをともなうこともあったが、炭治郎はたいがいひとりでやってきた。
自分だって隻腕であり、片目も視力を失ったというのに、炭治郎はこと家事においては、義勇よりよっぽど有能だった。とはいうものの、やはり隻腕の不自由さにかわりはなく、義勇とふたり、炊事や洗濯の方法などを試行錯誤しつつこなしていく。
残された日々をできうるかぎり義勇と過ごしたい。そんな想いがあったのだろうか。炭治郎はいつでもうれしそうに笑っていた。
別れの前日にも、炭治郎はやってきた。
本当ならば宇髄の提案で、盛大な別れの宴が開かれるはずだった夜のことである。
上げ膳据え膳で炭治郎と禰豆子をもてなし、若い兄妹の行く末を祝そうという宴は、けれども当のふたりの断固とした辞退により、果たされることはなかった。昼間にふらりとやってきた宇髄から、義勇は残念だとの愚痴を散々聞かされたものである。
義勇にしてみれば、さもありなんと苦笑するよりほかない。
あの子らはそういう子だ。自分たちばかりが心づくしを受けて送りだされるなど、納得するわけもない。どうあっても祝い礼を述べたいのなら、ふたりに対してではなくすべての隊士を対象にしなければ、あの子たちが了承するわけがなかろう。
だから宴会が流れたことは義勇も納得していたのだが、まさか今夜やってくるとは、さすがに思いもよらなかった。
驚く義勇に、してやったりと言いたげないたずらっぽい笑みを見せ、炭治郎は、最後ですからと翳りのない声で言った。
その日は繊月(せんげつ)であった。
夜空には、針のように細い月が青白く輝き、星があまたきらめいていた。
もう九時ごろにはなっていただろうか。そんな夜更けに炭治郎がやってきたことは、今まで一度もない。
早朝にいきなりやってきて、おとないをあげるなり返事を待たずに上がりこんでくることはたびたびあったが、夜半の訪問は初めてだ。
夜更けであれば、義勇としても泊っていけと言わざるを得なくなる。だからだろうか。炭治郎はいつも遅くなる前には帰っていった。
義勇と炭治郎が夜をともに過ごしたのは、蝶屋敷の隣りあった寝台の上でだけだ。
夕餉をともにすることは多々あったけれど、外食ならば店先で別れるし、水屋敷で炭治郎が料理したなら、後始末は義勇がうけおった。
もう遅いから泊っていけ。そんな文言を義勇が口にせずともいいように、ふたりは注意を払っていたものである。
それなのに炭治郎は、こんな夜更けにやってきた。
あぁ、本当にこれでお別れなのか。もう、最後なのだな。
改めて別れを感じ、義勇の胸に言い知れぬ寂寥が満ちた。
だからといって、特別なにかをするわけでもない。想いを告げることもない。
いつもと同じように縁側に並んで腰かけ、他愛ない会話に興じる。ただそれだけのこと。
こんな夜には酒がつきものだと思いはするが、まだ十五の炭治郎では、酒をふるまうわけにもいかない。ましてや酔ってしまっては、うかつなことを口走らぬともかぎらない。並んで月を見上げるふたりの手にあったのは、番茶の入った湯飲みである。