再見 五 その三の一
藺晨の体の何処からか、自信と気力が漲り、熊王には負ける気がしなかった。
二人は人の流れとは逆に向かう。その先には熊王がいるのだ。
近付くにつれ、店や家々は固く閉ざされていたが、逃げ遅れたか、無理やりこじ開けられ、引きずり出されたか、女子の泣き叫ぶ声が聞こえた。
若い女子が一人、大男に髪を掴まれ泣き叫んでいた。
その男は、身の丈七尺はあるだろうか。筋骨は隆々としているが、肌は黒く汚れ、髪も整えず茫々としたまま。見るからに薄汚く、まさに熊の様相だ。いや、熊の方がまだ、身綺麗だろう。
「おいコラ!、熊公!!!。悪さは止めて、さっさとお山に帰りやがれ!。」
「なんだとぉ〜。」
熊王が藺晨の方を振り返る。
「あははは、、汚い熊め、女子を離せ。そしたら許してやる。歯向かうなら、私が許さぬぞ。」
そう言うと藺晨は、手に持っている自分の剣を、鞘から抜いた。
藺晨は、あっという間に熊王を打ち伸めす。すると街の者はわらわらと家から出て跪き、『流石は藺晨様!』と敬拝し、美しい衣を纏った美女達が藺晨を取り囲み、『天下の英雄様』と藺晨にしなをつくって侍っている、、、そんな絵面で頭の中が一杯になった。
「ふふふ、、天下の英雄様が相手してやる。」
「このぉ〜小賢しい小僧が!!!、その口喋れぬようにしてやる。」
その様子を、酒楼の二階から、長蘇が見ていた。
──何が天下の英雄だ、、バカ。
、、藺晨!、、剣を抜くなと言ったのに。──
長蘇は別行動をして、熊王が藺晨に気を取られてい隙に、女子を救う算段だった。熊王の配下には大した者が居ない。熊王に引っ付いて、お零れを貰っている様な連中だ。
そして官兵が来るまで、付かず離れず、藺晨と自分に貼り付けておけば、上々の筈だったが、、、。
──目論見が狂った。
さっさとあの娘を奪い返して、藺晨に加勢せねば。──
熊王に盾突く者がいる、と、道沿いの住人が、こっそり窓から覗いている。藺晨にもそれが分かった。
《このまま熊を討ち取ったら、皆、安心して、そして、、、、ふふはははは、、、ニヤニヤ。》
「そら、熊公、その鈍(なまくら)刀で、何処からでも来てみろ。」
藺晨は剣を持つ手をだらりと落とし、体の力を抜いた。熊王が動けば、即座に反応できる。
《私には実戦は無いが、長蘇の戦い振りを、参考にさせてもらうさ。長蘇の型は実戦向きだ。隙だらけの様であって、全く隙がない。》
「、、、ブッコロス、、。」
熊王は、生意気な藺晨の態度に、怒り心頭だ。
「きゃぁぁ、、。」
熊王は女子を、数人の手下の中に放り投げ、藺晨への一撃を繰り出した。
鋭さは無いが、とんでもなく重い一撃なのは、見ただけで藺晨にも分かった。
《うげ!、こんなの受けたら骨が砕けるぞ。》
熊王の刀は全く手入れがなって無い。刀身は錆び付いて、刃は至る所で毀(こぼ)れているのが分かる。鞘も無いのだから、熊王の刀の扱いは想像できる。こんな鈍刀で今まで戦えたのは、その怪力に裏付けされていたのだ。
藺晨は熊王の一手を躱す為に、後ろに飛ぶ。
戦いの場が動くが、熊王の配下は、『呆気なく、この若造は殺されるだろう』そう踏んでいて、笑って油断をしていた。
そこへ長蘇が、酒楼の二階から舞い降りる。
「なんだお前は!!。」
十人程の手下共が、騒然とする前に、長蘇は女子を捕まえている三人の手下を、足蹴にして倒し、奪い返すと、女子の手を引いて、一気に走り去った。
手を引かれ、女子は縺(もつ)れながらも、必死に長蘇に付いてきた。通りから十数軒ほど奥の、空き家になった家の中に入る。手下は追って来なかった。家の一番奥の、壊れた箪笥の陰に、娘を座らせた。
見た所、二十歳前の綺麗な娘だった。顔は青ざめ、がたがたと歯の根を合わせ、震えていた。
長蘇は衣を脱いで、娘に掛けてやり、乱れた髪を絹の手袋を着けた手で、そっと直してやった。
笠と紗で長蘇の顔は見えないが、長蘇が女装をしている為に、娘は女剣士に助けられたとでも思ったのか、幾らか安心した様だ。だが安心しても、娘の震えは止まらない。
──この娘は、落ち着けば自分で帰れるだろう。
それよりも、問題は藺晨だ。
、、、まだ無傷ならば良いが、、。──
一方、藺晨はというと、、、、。
長蘇の予想通りに、熊王にやられていた。
余りの怪力ぶりに、肝を冷やしていた。
《こんなの食らったら死ぬぞ、、。》
漸く、長蘇の言った意味が分かった。
なるべく剣を合わせぬ様に、逃げ回るばかりだった。
「このぉ!、ちょこまかと!。」
『当たれば剣を折られる』そう直感が働き、極力合わせたくはなかったが、、、。
熊王の剣を躱す為に、一手交えた。歯欠れさせたくないばかりに、剣の腹で受け止めた。
きぃーんと、鼓膜を破りそうな金属音を、側で聞いた藺晨は、目眩に似た感覚を覚える。
《とんでもない輩の相手になってしまった。長蘇の言う通りだった。
だが、官兵が来るまでの時間を稼げれば、私の剣も無駄にはならぬ。
早く来い長蘇!。》
剣の腹で受けたが、衝撃で、あと二、三手合わせれば、この剣は折れるだろう。
だが、剣を合わせずに、逃げ回ることも不可能だった。
三手目で、やはり剣は折れた。
「がぁっっ!。」
咄嗟に後ろに飛び退ったが、熊王の剣の力の方が藺晨を上回った。
切れはしないが、当たった時の衝撃は半端無い。飛び退って熊王の剣の威力は下がっていたが、それでも棍棒で殴られた様な衝撃がある。
藺晨は飛ばされ、店の壁に体を打ち、呼吸が出来なくなった。
「ァ、、、ウ、、ゲホッゲホッッ、、。」
胸と背中を打ったが、骨は無事だと思った。
藺晨は立つことが出来ない。口の中が血の匂いで一杯になる。
《どこか損傷したな、、肺か、、胃か?、、。》
起き上がれないでいると、熊王が胸ぐらを掴み、藺晨を起き上がらせた。
熊王は藺晨に顔を近付け、吐き捨てるように言う。
「はははは、、威勢はどうした、あぁ??。どうやら捕まえた女は逃げたようだな。この頃は女を捕まえるにも、皆、隠れやがって一苦労だ。せっかく捕まえたのに。逃がしたのはお前の仲間か?。あぁ?。
お前の身なりは良い。何処かの金持ちの馬鹿息子だろ。お前を人質にして、親に大金を出させてやる。息子が殺されたくなきゃ、金を出すだろ。はははは、、、。」
笑いながら熊王は、藺晨を手下達の中に放り投げた。
「おぃ!、コイツを押さえ付けてろ。はははは、、逃げられん様に、腕を折ってやろう。足も折りたい所だが、コイツを歩かせんと、塒(ねぐら)に戻れんからな。」
「、、や、、、やめろ、、、。」
「切った方が、お前も楽なんだろうがなぁ、、。俺の刀は鈍だからなぁ、、。叩き折ってやろう。運が良ければ繋がるかもしれんしな。あはははは、、。」
「骨が砕けたら、まともに繋がる訳ないだろ!。」
「あはははは、、、冗談だよ、真に受けるな。俺様の所から、生きて帰れると思ってるのか?、めでたいヤローだな。あははははは、、、、。」
作品名:再見 五 その三の一 作家名:古槍ノ標