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再見 五 その三の一

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 熊王が呻いて、地面に転がった。
 右足からは、膝の裏と足首から酷く出血していた。
 長蘇は熊王の手足の腱を、念入りに絶ったのだ。熊王は今後、刀を振るって悪逆を尽くすのはおろか、歩く事さえ儘ならぬだろう。
「ひー、、、親分が!!。」
 熊王の手下共は、親玉の悶絶する姿を見て、青くなる。これ迄、熊王を傘に着ての、悪行三昧だったのだ。熊王のどうにもならぬ姿を見て、自分達が危うい事を察したのだ。
 押さえつけていた藺晨を投げ捨てて、散り散りに逃げ出した。
「長蘇!!。来いっ!!。逃げるぞ!。」
 藺晨は長蘇の手を掴んで一緒に逃げようとしたが、長蘇は藺晨に背を向け、建物の二階の屋根の上に飛んだ。そして風のように屋根の上を走り去り、視線ですらもう追う事は出来ない。
 今まで手合わせした時より、遥かに長蘇は高く飛んだ。剣捌きも動きも、藺晨の目には追えなかった。内功の成せる技だ。
「長蘇ー!!、行くな!、お前の体が、、。」
 怒りに任せて内力を出し、長蘇は力の制御が出来なくなっていた。
《泣いていた、、、長蘇、、、。
 姿を晒したからか?、、それともバケモノと言われた事か、、、、。》
「長蘇を放っとけない。探さねば。」
 藺晨は後を追ったが、どんなに探しても姿は無い。

 馬車を預けた宿館にも来てはいない。
 だが、馬に跨る白髪の乙女が、道を駆けて行ったと教えてくれた。馬は鞍も付けない裸馬だったが、乙女は恐ろしい位に乗りこなしていたと。あれ程の乗り手は見た事がないと言った。
「それだ!。」
 街を去り際、店の軒に繋がれていた馬でも、拝借したのだろう、、無断で、だろうが。
 乙女が向かった先は、琅琊閣の方角だった。
 長蘇は戻ろうとしているのだ。

 乗ってきた、琅琊閣の馬車を操り、長蘇が向かった方角を目指した。

《私が長蘇の言う事も聞かず、調子に乗って刀を抜いた、、。
 私が剣を抜かねば、長蘇にこんな思いをさせずに済んだだろうか、、。
 、、、長蘇は、、私を恨んでいるだろうか。来なければ良かったと、、。
 、、、今更、、後悔をしても、、。》 
 今は、長蘇を見つける事が、第一だった。

 日はあと一刻程で落ちるだろう。
《闇に包まれる前に、見つけ出さねば。
 長蘇の体が心配だ。上衣を着ておらぬのだ。このまま日が暮れて、夜気に晒されたら、体が冷え切る、、。そして発作を起こしたら、、、、、。
 この辺りは狼が出る、、。》
 幸いにして、まだ長蘇を乗せた馬らしい、新しい足跡は見える。


 日はどんどん傾いて、藺晨の気持ちだけが焦る。
《何処なのだ、、長蘇、、。》

 馬の足跡は、道から逸(そ)れる。
 離れた森の方に向かっている様に見えた。
 馬の足跡は、間隔が狭くなり、とぼとぼと歩いている様にも受けとれた。
《この先には泉がある。長蘇は、水でも飲みたくなったのか?。
 馬が速度を落としたのなら、追いつける。》
 森の道に入ると、馬車では進めなくなった。
《仕方ない、、ここからは歩くか、、。》


 そのまま森の道を進んで行くと、落葉樹の木々の中を馬が歩いてくる。
「長蘇!!!。」
 当然乗っているものと思っていたが、馬は誰も乗せておらず、愕然とする。
「何故だ!、違ったのか?、この馬ではないと?。」
《いや、そんな筈は無い。この馬は長蘇を乗せた裸馬で、私は確かに、この馬の足跡を追ってきたのだ。》

「、、、、お前!、長蘇を落としてきたのか!!。
 どこだ!!!、どこに!!、、。」

「長蘇─────!。どこだ────!!。
 返事を、しろ──────!!。」
《ここまで長蘇はいなかった。きっとこの先で、、。
 長蘇は馬にも乗れぬ程、疲れ果てて、、、。》
 藺晨は馬の来た方へ、長蘇の名を呼びながら、進んで行く。
 落葉樹の森の中とはいえ、日が沈みかけ、薄暗さがどんどん増していく。
 目を凝らして辺りを見回す。先の方で、白い何かが蹲っているように見えた。
「長蘇!!。」
 長蘇は倒れていた。
 結い上げた髪に付けていた冠は、何処かで落としてきたのだろう。乱れた髪は長蘇の顔を隠す。
 走り寄った藺晨に、抱き起こされた長蘇の体は、冷え切って力が無い。
「長蘇!、しっかりしろ!、おいっ!!。」 
 乱れた髪を直した長蘇の顔には、血の気が無かった。
 一目で昏睡しているのが分かった。
「まずいっ!!。」
 急いで首筋から脈を診た。
《脈が酷く弱い。、、脈が捕まえられぬ程、弱くなるとは。今までは、強い発作の後でも、これ程弱くはならなかった。このままでは命が危うい。》
 懐を探ったが、ある筈の長蘇の薬の瓶が無かった。
「、、あいつらめ!!。」
 熊王の手下に押さえつけられている時に、手下達が藺晨の懐から抜いたのだ。帯に付けた玉の飾り房や、銭入れも無くなっていた。
 袖に入れていた、鍼の包みだけは無事だった。
 ほっと安堵する。
 急いで、経絡に鍼を打ち、長蘇の脈を診るが、一向に良くならない。
「くそっ、、、何故だ、、。」
《それだけ酷い有様なのだ。病の身で、あれ程内力を出したのだ、、。当然と言えば当然だが、、。
 このままではまずい。一刻も早く、脈を戻さねば、このまま命を落としかねん。、、、だが、どうする?、今ここでは、薬も無いのだ、、。》
「、、、、。」
《馬車ならば、薬があるが、戻る時間はない。一か八か、可能性にかける。
 、、、、長蘇は嫌がるだろうが、、他の選択の余地は無い。》
 藺晨は長蘇の帯に挟まれた、小刀を取り出し、左の掌で小刀の刃を握った。そして思い切り、掌から小刀を抜いて、掌に切り傷を付けた。
「ぅ、っっっ、、。」
 藺晨の掌に付けた傷からは、どくどくと血が溢れてくる。
 抱き起こした長蘇の口を開け、掌に溜まった血を、長蘇に飲ませた。
 こう衰弱しては、飲む事も難しいかと思ったが、長蘇の首の経絡を撫でれば、噎(む)せずに少しずつ飲み下した。。
 二度三度繰り返すと、藺晨の血は止まりかけ、飲ませる程の血は、出なくなる。手巾を巻いて、傷を隠した。
「一度で駄目なら、、何度でも飲ませる、、。」
 体の経絡に血が通う様に、長蘇の体を摩った。
 幸い効果はあり、弱いながらも脈が戻り出した。
「、、良かった、、。」
 じわりとと藺晨の目に、涙が浮かぶ。
「このままお前を死なせたら、私は生きていられない。良かった、、本当に、、。」
 長蘇を抱き締める。長蘇の体温が、ほんの少し戻ってきているのが分かった。
 藺晨の耳元で、長蘇の浅い呼吸がする。
「すまぬ、、悪かった、、。私が、剣を、、。」
 体を離すと、薄ら長蘇が目を開ける。
 長蘇は藺晨の顔を見て、弱々しい笑みを浮かべた。
「良かった、、本当に、、、良かった、。」
 藺晨の声は、一気に緊張から解かれて上ずり、手巾を巻いた手で、顔にかかる長蘇の髪を直す。
 藺晨の血が滲んだ手巾を見て、長蘇の顔が俄に険しくなった。そして、自分の口の中の異変に、気が付いた。
 手袋をした手で、口元を拭って見てみれば、手袋には血が付いていたのだ。
 長蘇は自分が、藺晨の血を飲んだ事を察したのだ。
「、、、、。」
 長蘇は弱々しい力で、藺晨の手を振りほどく。
「長蘇?!。」
作品名:再見 五 その三の一 作家名:古槍ノ標