再見 五 その三の一
長蘇は起きていられず、地面に伏した。
藺晨が抱き起こそうとするが、身を捩(よじ)って、抵抗する。
「何を怒って、、、?。
血か、、?。私が血を飲ませたから、、か?。」
長蘇は怒りに震えて、声も出さず、伏したまま泣いていた。
「仕方がなかったのだ、こうしなければ、お前は命を失って、、、。
私が無理矢理に飲ませた。お前が血を求めて飲んだ訳じゃない。命の危険があって、私がした事なのに、何故そんな事にこだわるのだ!。」
《いや、、違う、、。気絶する程強い発作が起こっても、頑なに血を飲む事を拒んで耐え続けたのは、長蘇が『人』であるという領域を守りたかったのだ。どんな状況だったにしろ、血を飲んだ事は、その境界線を越えた事だったのだ。
、、、、今日、長蘇は熊王らに、バケモノ呼ばわりされたのだ、、、。
血を飲ませ、私が更に追い打ちを、、。》
「、、長蘇、、悪かった、、。今日の事は、全て私が悪い。お前の気が済む為ならば、私は何でもする。許してくれ。」
そっと長蘇の肩に、触れた。
長蘇は拒む事はしなかった。そしてふらふらと起き上がろうとした。だが、立つことは出来ない。
藺晨の腕に支えられ、やっと座っていられる状態だった。
『藺晨、、頼む、、、。』
「何だ?、私はどうしたらいい?。」
長蘇は藺晨の腕を払い、地に両手を就き、藺晨に叩頭をする。
『藺晨、、頼む、、、私を、人の姿に、、。』
「、、何っ、、。
私に、火寒の毒を取り除けと、、?。」
『頼む、、後生だ、藺晨、、。私を人の姿にしてくれたなら、、私が何でもする、、。お前にしか、、もう頼めないのだ、、、。』
「それは別の話だ。、、出来ぬ、、無理だ。私は外科的な施術の経験が乏しい。父上の様には出来ぬ。お前を死なせてしまう。」
長蘇は、立ち上がろうとする藺晨の衣を、弱々しく掴み、縋(すが)り付いた。
《このままの姿で、世間に出られなくても、私が死ぬまで面倒を見ると言っている。何故、これ程、人の姿になりたがる?。施術の危難は散々言い含めた。なのに、、何故、、。》
藺晨は長蘇を起こし、長蘇の弱々しい目を見た。
《長蘇は元来、気位が高い。人に命令はすれど、こんな無様な姿を晒してまで、人にものを頼む男ではない。
自分の自尊心を殺してまで、、、そこまでするのは一体、、。》
藺晨の心の奥底の『軋(きし)み』が、その正体を現わす。
「、、、簫景琰、、の為か?、、七皇子?。
、、、七皇子の為に、お前はそこまで?。
、、、、私の事を、利用しようと、、、お前は、私の心の中に入ってきたのか?。
、、、、私は、てっきり生涯の友を得たものだと、浮かれていた、、私はなんて愚かな、、お笑い種た。」
藺晨に、悔し涙が溢れた。
藺晨の衣を、弱々しく掴む、長蘇の手を外す事は容易だった。
『違う、私はお前を利用したりなぞしない、、お前しか、、お前しか私を救えぬのだ。
、、、頼む、、。』
藺晨は長蘇に背を向けた。
長蘇は、外された手を踏ん張り、体を起こしていたが、ふぁさりと落ち葉の音がして、長蘇が崩れたのが分かった。それでも藺晨は振り返りはしなかった。
「、、長蘇、、、私はその手には、、乗らぬ、、。」
ゆっくりと長蘇の側を離れた。
火寒の毒を除く事は、とてつもない痛みと苦しみに長く晒され、そうまでして得た身体は、恐ろしく虚弱で、十年程しか生きられない。
何故、長蘇が己の命を削ってまで、人の姿になりたいのかと、ずっと考えてきた。
藺晨は、長蘇が琅琊閣に来て、復讐の意思を知った時から、『林殊の事』を調べ始めた。
長蘇は『梅嶺で果てた七万の赤焔軍と、梁の民の為』と言っていたが、それは『建前』に過ぎず、別の思惑があるに違いないと思っていた。
林殊は、類稀なる才の持ち主であったと。林殊は目を通した書を、全て正確に覚え、黎崇大人を仰ぎ、大人と対等に論じられたと。天下に覚え目出度い才能を持ちながらも、素行の悪さから『悪童』を通り越して、『怪童』と呼ばれた。文才以上にも武術にも秀で、天下には、林殊と並び立つ者はいなかったと。
《前途洋々だった林殊。それ程の者が、復讐如きに命を捧げるか?。
長蘇は、幼馴染の七皇子を皇帝に据えて、権力を握りたいのだ。
その七皇子は、廃長子 簫景禹と林家を擁護し、皇帝に盾付き、追放同然に辺境を流離(さすら)っていると。
辺境で危機に陥っても、援軍すら送ってもらえぬという。
長蘇はその七皇子を救いたいのだ。》
《だが、、そう仮定しても、腑に落ちぬ事は多く、辻褄が合わない。例え痛みに耐えて人の姿になり、復讐を成し、七皇子を天子に据えても、十年程に縮まった寿命で、世の何を謳歌すると言うのだ。
そもそも、皇帝が処した審判を、覆す復讐こそが、どれ程、難しい事か、、。
幼馴染の七皇子を救いたい、、それだけでは無いのかも知れぬ。
長蘇の『想い』を、私は図りきれぬ。》
「分からぬ、、長蘇、、、、。風雲を起こし、天子を正し、そしてその後お前が得る物に、何の値打ちがあるというのだ。」
怒りに満ちていた藺晨の心は、次第に冷め、冷静さを取り戻すと、置いてきた長蘇が、気になって仕方がなかった。
藺晨は、歩みを止めて、振り返る。
辺りは薄闇に包まれて、とうに長蘇の姿は見えない。
「、、、私は長蘇を捨てられない。
お前は私にとって、それ程大きな存在なのだ。」
藺晨は長蘇の元に、一歩一歩戻り始める。
闇に横たわる長蘇は、藺晨に縋った手を外され、伏したままだった。
《私は長蘇を、闇の中に一人、置き去りに、、。》
長蘇の体を起こし、そのまま抱き締めた。
「すまぬ、、私が悪かった。こんな状態のお前を置いて行った。すまぬ、、。」
長蘇は力なく、だが優しく微笑んでいる。
《、、、長蘇は、私を信じて待っていた。》
その微笑みを見て、藺晨の心が痛んだ。
もう一度抱き締め、長蘇の耳元で静かに言った。
「私が最後まで、付き合ってやる。
火寒の毒を除く施術は、私に少し時間をくれ。
頼みの父上は、何処に居るやら、見当もつかぬ。
決して時間稼ぎをして、お茶を濁そうとしている訳では無い。私が必ず、お前を人の姿に戻してやる。
ただほんの少しだけ、施術を成功させる、確信を得るまで、、。」
長蘇は小さく頷いた。
『感謝する、、。』
藺晨の耳に小さな声だが、確かに、そう聞こえた気がした。
「行こう、長蘇。」
藺晨は長蘇を背負って、馬車のある方へと、ゆっくりと歩き出した。
背中から長蘇の、冷たい体を感じる。
藺晨は、簡単には果たせぬ、大変な約束をされせられた、という気がした。
《必ず、約束は果たしてやろう。見返りなぞいらぬ。
長蘇が困っているなら、助けてやろう。
長蘇が欲しい物なら、贈ってやろう。
長蘇は私にとって、それ程の存在なのだ。私に失望して、去って行くなど耐えられぬ。》
《火寒の毒を除去したら、、、長蘇が最も手に入れたい物は、、『刻』に他ならぬ。
長蘇が、幾らでも望むままに与えてやろう。命長らえる為の治療法を、私は探さねばならぬ。
これ迄以上に、学ばねば。
作品名:再見 五 その三の一 作家名:古槍ノ標