思い出よりも、ずっと、ずっと
あの強くて、強くて、すっげぇ強い半半羽織も、俺と一緒なんだと思ったら、次の日から文字の練習にも力が入った。俺だってやってやらぁと張り切る伊之助に、三蔵爺さんはなんだか知らないが笑っていた。胸がホワホワとする笑い方だった。
岩五郎の手紙にはいつも、みんなが元気でいるか心配する言葉と、自分は元気でやってることが書いてある。それから、必ず半半羽織のこと。何枚も書いてくるときは、大概が、半分以上は半半羽織のことばかりだ。
義勇さんには内緒だけれどとの前置きで、きれいな女の人がやたらと代筆を頼みにきてちょっぴり胸が焼けると、岩五郎にはめずらしく愚痴っぽい手紙が届いたことがある。一番よくくる雌は違う長屋に住んでる後家さんとやらで、三日と空けずにやってくるらしい。こないだは叔父に、今日は曾祖母にと、毎日のように違う奴に宛てて手紙を頼むそうだ。
『もう五十人分くらいは書いてるんじゃないかな、親戚が多くて大変なのはわかるけど、自分でも文字を覚えればいいのにって、ちょっと苛立っちゃう日もあるんだ。仕事だから断らないけど、あの人がくると義勇さんもちょっと不機嫌になるから、多分、俺と同じことを思ってるんじゃないかな。それに義勇さんにやたらとベタベタ触ろうとするから、俺もあの人はちょっと苦手なんだ』
そんなことが書いてある手紙を読みながら、善八は
「うっわ、未亡人に言い寄られてんのかよ! 冨岡さん色男だもんなぁ、くっそぉモテモテなくせに不機嫌になるとかムカつく!」
とわめいて、やっぱり子分その三に叩かれてた。
善八が文句を言うのはわけがわからないが、毎度のことだから、まぁどうでもいい。でも、岩五郎の手紙はちょっと気がかりだ。
半半羽織も自分も、一所懸命字を練習してるのに、その雌は怠けてやがるだけじゃなく、岩五郎を困らせている。なんて腹の立つ雌だろう。手紙のつづきを聞きながら、もしもその雌に逢ったら文句を言ってやろうと、伊之助は決めた。離れて暮らしていても岩五郎は子分その一だし、半半羽織には恩がある。
まったく世話が焼けるぜ。俺様がついててやんねぇとてんで駄目じゃねぇか。岩五郎も半半羽織も、一緒に山で暮らせばいいのに。そしたら俺様がずっと面倒みてやるのによ。
思って伊之助は少し苛々して、ほんのちょっぴりしんみりとした。みんな一緒でいいじゃねぇか。なんでふたりで別に暮らすんだよと、唇を尖らせる。
でも、今日は逢える。岩五郎には秋から逢ってないし、半半羽織は前の春に逢ったのが最後だ。ふたりとも前と違っていたらどうしよう。ふと思ったら、背中になんだかヒヤリとしたものを感じた。
岩五郎が、前みたいに笑ってなかったら。半半羽織が弱みそになってたら。胸がドキドキとして落ち着かない。
善八も子分その三も、そんなのまるで考えてないように見えるのに、自分だけ不安になるのは、岩五郎の手紙を自分で読んでないからだろうか。
「ごめんくださーい!」
伊之助が落ち着かない気分でいるのにはちっとも気づいていないのか、子分その三が、大きな声で言った。家のなかからバタバタと足音が聞こえる。
「禰豆子っ!?」
ガラリと乱暴に戸が開いた。子分その三の声だってすぐにわかって、あわてて飛び出してきたんだろう。目をまん丸にした岩五郎のポカンとした顔が、見る間にとびきり明るい笑顔に変わる。前とちっとも変わらない。やさしくって胸がホワホワとする笑顔だ。
「お兄ちゃん! 久しぶり!」
「善逸に伊之助も……うわぁ、久しぶりだな! みんなでどうしたんだ?」
「どうしたじゃないよ。手紙ばかりで、おまえ全然里帰りしないじゃんか。様子を見にきてやったの!」
「そうか、ごめんな。冬場は年賀状やらで義勇さんの仕事が忙しかったんだ。こないだまで役所やらに出す書類の代筆で大わらわだったし……あ、年賀状届いたか?」
言われて伊之助は、思い出した一枚の葉書に、グッと唇を噛んだ。そうしないと、勝手に顔がニンマリと笑ってしまう。
そうだ。心配することなんてなかった。正月に一人ひとりに宛てて届いた絵葉書。きっと伊之助からの手紙で、ひらがななら読めるとわかったんだろう。岩五郎も半半羽織も、「かぜをひかないように」とか「つぎのてがみもたのしみにしてる」とか、伊之助へのものは全部ひらがなで書かれていた。
仲良く並んだ名前だけは漢字だったけれど、子分その三が、こっちがお兄ちゃんでこっちが義勇さんと教えてくれたから、「竈門炭治郎」と「冨岡義勇」だけは、伊之助も読める。
こっそりと三蔵爺さんに頼んで買ってきてもらった文箱に、大切にしまい込んでいる、伊之助の宝物だ。
「炭治郎、玄関先で話してないで上がってもらえ」
ひょこりと顔を出した半半羽織は、もうあの羽織は着ていない。でもそれ以外なんて呼んだらいいのか伊之助にはわからないし、きっとこいつは怒ったりしないだろう。
前はキンと冷えた雪解け水みたいだった半半羽織は、日向で温もった水みたいになってた。やわらかくて、あったかい。前とは変わったけれど、嫌な変わりかたじゃない。ふうわりと笑う顔は、爺さんに頭を撫でられたときみたいにホワホワとする。
お邪魔しますと声をそろえて言って上がりこんだ家は、前に半半羽織が住んでた屋敷と違って、とんでもなく狭い。どこにいたって相手の姿がすぐ目に入る。山の家と同じだ。
「書類とかも代筆するの?」
「うん。弁護士さんからの依頼も多いんだ。だから義勇さん、法律も勉強してるんだぞ。すごいだろ! 俺もその弁護士さんのとこでお遣い仕事させてもらってるんだけど、先生は義勇さんのこと本当に信頼してくれてるんだ。あ、弁護士っていっても、杉村先生はすごくいい人だよ! 立派な先生なんだ。裁判で勝てばいいなんていうほかの弁護士とは違うから! 杉村先生は隠だったんだよ。義勇さんのことを尊敬してるって言ってくれたんだ! 義勇さん、柱だったときの給金のほとんどを孤児院に寄付しちゃったんだけど、杉村先生は、そういうところも立派だって褒めてくれてさ、俺にも仕事をいっぱい回してくれるんだ」
自分のことのように誇らしげに言う岩五郎に、半半羽織は苦笑している。感心するみんなの視線に、どことなく照れているようにも見えた。
半半羽織と岩五郎は、隣りあって座ってる。ぴったりと肩を寄せあって。前にしのぶのところで食べたさくらんぼみたいだ。ふたり仲良く並んでいる。
「いきなり来て、忙しいとこ邪魔しちゃった?」
「大丈夫だ。急ぎの仕事は済んでいる」
心配する子分その三に笑いかける半半羽織の声はやさしい。
「看板も外しておいたから、今日はもう仕事はこない」
「気にしないでいいぞ、禰豆子。それよりせっかく来たんだ、なにかうまいものでも食べに行こうか」
あいにく今、家にはなんにもないからと岩五郎が言ったとたんに、善八が顔を輝かせて手を挙げた。
「はいはいはいっ! 行くなら絶対に銀座! 銀座にしようぜ!」
「ちょっと、善逸さんったら! お兄ちゃん、気を遣わないでいいよ。連絡もしないで来た私たちが悪いんだから」
作品名:思い出よりも、ずっと、ずっと 作家名:オバ/OBA