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思い出よりも、ずっと、ずっと

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「迷惑な大声出したのは炭治郎ちゃんじゃなくて、あの後家さんだろ。謝んなくていいよ。かなり冨岡さんに入れあげてたのに、えらい剣幕だったじゃないか。まったく、炭治郎ちゃんがいるのにやたら冨岡さんにベタベタしてさ。冨岡さん、あんたもいい加減そんな格好およしよ。書生みたいな格好してるから、あんな女をつけあがらせるんだよ。金に困ってんだろうから仕事をくれてやるぐらいに思ってたに違いないんだ。仕事なら断れないだろうと思ってさ。本当に胸くそ悪い女だよ。大体さぁ、一目見りゃ冨岡さんと炭治郎ちゃんが好い仲なことぐらい、誰だってわかるってのにねぇ。あの女の目ん玉は色目使うのにしか使ってないから、炭治郎ちゃんと冨岡さんの仲睦まじさも見えちゃいなかったんだろうよ。さっきの剣幕からすると、袖にしてやったんだろ? いい気味さ。うちらのことも小馬鹿にしくさってたからね、あの女。あんな高慢ちきで尻の軽い女が、炭治郎ちゃんにかなうもんかい。身のほどを知れってんだよ」
 フンと鼻を鳴らす隣の雌に、岩五郎は困ったように笑って頬を掻いてる。半半羽織はスンッと表情が消えた。ずいぶんとおしゃべりな雌だ。雌と見れば鼻の下を伸ばす善八まで呆気にとられてやがる。子分その三だけが、アハハと楽しそうに笑ってた。
 キンキン声でまくし立てる雌は嫌いだけれど、岩五郎たちの味方なら、許してやろう。



 事の次第を聞きたがる雌にぺこぺこと頭を下げてどうにか出発し、銀座とやらに着いたときには、もうお天道様は空のてっぺん近かった。
 熊も山犬も出ないからと刀さえ取り上げられて、市電に乗っているあいだはずっと不機嫌だった伊之助も、銀座に降り立ったときには、思わず目を輝かせた。
 銀座とやらは、ピカピカでキラキラだ。めずらしいもんで溢れてる。
 柳が揺れる通りにはアーク灯が並び、道の両側は洋風の大きな建物ばかりだ。固い煉瓦の道には背の高い丸太がにょっきりと立っていて、何本もの黒い縄で丸太同士繋がっている。電線だから触ったら感電するぞ、登るなよと、半半羽織に釘を刺されなければ勇んで登ったのに、残念だ。善八にまで絶対にやるなよとにらまれ、伊之助はまた頬をふくらませた。
 善八は、あきれ返るほどずっと大興奮だ。建物を指差しては『せーよーけん』だ『てんかどー』だと、うるさいぐらいにはしゃいでいる。
 子分その三は「善逸さんたら、子供みたいにはしゃがないの!」と叱るけれども、自分もウキウキとしてるのがはた目にもわかる。目がキラキラしてるし、頬がちょっぴり赤らんでた。
「先に飯にするか」
「そうですね。なに食べましょうか。蕎麦かうどんでも……」
「えぇーっ! 銀座まできて!? 洋食にしようぜっ!」
「善逸さん! 図々しいこと言わないの。第一そんなお金はありません!」
 プンッと頬をふくらませ、腰に拳を当てて叱る子分その三は、善八を完全に尻に敷いてる。しょんぼりと眉を下げて、それでも「だってぇ、せっかく来たのにぃ」と泣きべそをかいてる善八に、半半羽織が、フハッと声をあげて笑った。静かに小さく笑う顔は見たことあるけど、こいつのこんな笑い方は初めて見た。
 こんなところも前とは少しずつ違う。でもやっぱり、嫌じゃない。こいつと岩五郎の変わり方は、嫌いじゃない。
「今日は俺がおごろう」
「えっ、駄目ですよ! 義勇さんが一所懸命働いて稼いだお金なんですから、禰豆子たちの分は俺が出します!」
「わざわざ出向いてくれた連れ合いの家族におごることもできないような、甲斐性なしにさせないでくれ」
 ポンポンと岩五郎の頭を軽く叩いて言う半半羽織に、また岩五郎の顔が赤くなった。
「連れ合い……」
「違うのか?」
「ち、違いません!」
 ブンブンと首を振る岩五郎に、善八と子分その三が顔を見あわせて、へらりと笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えます、お義兄さん!」
 やたらと出てくる連れ合いという言葉は、伊之助にはよくわからない。でもきっと番ってことだろう。半半羽織と岩五郎は、さくらんぼみたいにずっとくっついてる、仲のいい番だ。雄同士で番うのはよくわからないけれども、それを伊之助は疑わない。
 笑いあうふたりを見ていると、なんとなく胸の奥がこそばゆくなるような心地がした。

 

 西洋料理は気になるけれど精養軒では敷居が高すぎると、いざとなったら尻込みする善八に苦笑して、違う店でポークカツレツとかいう肉を食べた。天ぷらとは違うけど、これもべらぼうにうまい。
「手づかみで食うなよっ。ほら、ちゃんとナイフとフォーク持てって」
「あぁん? めんどくせぇ」
「俺たちみたいに、スプーンで食べられるのにしとけばよかったな」
 笑う岩五郎はヲムライスとやらを、その隣で半半羽織はハッシュドライスとかいうのを、匙で食べている。ふたりはナイフとフォークを使えない。片手しか使えないから。でもふたりはちっとも苦にした様子はない。
「おいしいですねっ」
「うん。一口食うか?」
「じゃあ、俺のも一口どうぞ」
 互いに匙で自分の頼んだものを相手の口に運ぶ姿は、ヒナに餌をやる親鳥みたいだ。そうしてふたりはまた、にっこりと笑いあう。善八が同じことやろうとして、子分その三に頭をはたかれてた。
 うまいけれど食い足りない。そう言えば、また善八が
「そんなら千疋屋の果実食堂に行こうぜ。水菓子や西洋菓子を店のなかで食えるんだって! フルーツパーラーって言うんだってさ!」
 と騒ぎだした。俺になんだかんだ言ってやがったくせに、テメェのほうがよっぽどみっともねぇじゃねぇか。伊之助はつい唇を尖らせる。
 とはいえ、流行りものにうるさいだけあって、善八が行きたがる店はどれもうまいのは確かだ。『あいすくりん』とやらは甘くてひんやり冷たい。『ますくめろめろ』とかいう瓜も、丸ごと食いたくなるぐらい甘かった。

 銀座ってうめぇ! これならまた遊びにきてやってもいいな。
 
 ここでも半半羽織と岩五郎はずっと並んで、うまい、甘いと騒ぐ俺らを見て笑ってた。そうしてまたお互いの食いもんを食わせあって、にっこり笑いあう。
「お土産もいっぱい買えてよかったね」
 デカい店屋をいくつか回って、ソーラン本店とかにも入った。パチパチする水は口に合わないけど、『あいすくりん』はやっぱりうまい。だけど、加平とかいうとこの泥汁コーヒーなんていうやたらと苦い飲みもんは、二度とごめんだ。
「ソーダファウンテンにカフェーのブラジルコーヒーだって言ってんだろ!」
 善八は本当に口うるさい。ビール頼めば女給さんが席に着いてくれるのにってぼやいて、子分その三に思い切りつねられたくせに。

 腹もいっぱいだし、土産もたんまりと買った。半半羽織は、俺らにも好きなものを買えって言って、子分その三が遠慮するたびしょんぼりしやがる。おかげで菓子だの服だので大荷物だ。こんなにいっぱいと困り顔する子分その三に、半半羽織は「なに、それなりに蓄えはある」と笑っていた。岩五郎も「俺も働いてるから大丈夫だよ」とニコニコしている。