Hello!My family 第1章
そういえば……と、ふと義勇は昨夜の炭治郎のうろたえっぷりを思い出し、小さく苦笑した。
禰豆子にねだられたとはいえ、昨夜は三人川の字で眠る羽目になって、炭治郎もさぞ困ったことだろう。今夜からはちゃんと禰豆子に言い聞かせなければ。禰豆子だけならともかく、義勇が一緒では炭治郎だって気が休まらなかったかもしれない。
ただでさえ突然の環境の変化だ。初めて訪れる他人の家で、気疲れだってしていただろう。なのに禰豆子を傷つけることなく快諾してくれたのだ。炭治郎の思い遣り深さには、感謝しかない。
寝室に戻るころには、すっかり義勇の動揺は消えていた。せっかく悪夢も見ずにぐっすり眠れた禰豆子に、朝から不機嫌な顔など見せたくはない。
そっと室内を覗くと、禰豆子はまだスヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。
他人が一緒ではろくに眠れないだろうと思ったのに、炭治郎が部屋を出たことにすら気づかないほど自分も熟睡していたなと、ふと思う。けれど、禰豆子の安らかな寝顔の前ではそんな小さな気持ちの揺らぎは、すぐに消えた。
禰豆子の穏やかな寝顔を見ていると、ふわりとやわらかななにかに心の奥をなでられるような心持がする。温かくやさしい気持ちだけが胸に満ちて、いつまでだって見つめていたくなったが、そういうわけにもいかない。そろそろ起きてもらわなければ、せっかく炭治郎が作ってくれている朝食だって冷めてしまう。
「禰豆子、朝だ」
静かに声をかけて軽くゆすると、禰豆子の稚い眉がしかめられ、ゆるゆるとまぶたが持ち上がった。パチパチとまばたきする顔は、まだ寝ぼけている。桃色の愛らしい瞳がキョロキョロと辺りを見回した。
「……お兄ちゃんは?」
「台所でご飯を作ってくれている」
「ほんと?」
パッと顔をかがやかせた禰豆子は、義勇の一言ですっかり目が覚めたようだ。よいしょとベッドを降りて、パパおはようと笑う顔は朝からたいそうご機嫌で、義勇は、やっぱり炭治郎を雇うことにして良かったと胸中で独り言ちた。
禰豆子が幸せそうに笑ってくれているなら、自分の葛藤や戸惑いも、なんの役にも立たないプライドも、抑え込み捨て去ることなど苦でもない。
まだ自分で顔を洗うと洗面所を水浸しにしてしまう禰豆子の洗面を手伝って、着替えをさせたら台所へと一緒に向かう。飛び跳ねるようなウキウキとした足取りの禰豆子に、また炭治郎への感謝が胸にわいた。
「パパ、いい匂いするね!」
「そうだな」
ニコニコとした可愛らしい笑みは、台所に立つ炭治郎の姿を認めた瞬間に、いっそう深まった。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはよう、禰豆子。よく眠れたか?」
「うん! お兄ちゃんは?」
うれしげに炭治郎に抱きついて笑う禰豆子に、炭治郎がもちろんと笑い返す。けれども、その笑みはすぐに苦笑めいたものへと変わった。
「あんなフカフカのベッドで寝たの初めてだったから、ちょっと緊張しちゃったよ。なぁ、俺、夜中に布団取り上げちゃったりしなかったか?」
……まだ気にしていたか。
少しバツの悪い思いをしつつ、義勇は禰豆子の椅子を引き、手招いた。
「禰豆子、炭治郎が作ったご飯が冷めるぞ」
食卓には、すでに唐揚げやら、ブロッコリーとウインナーの炒め物やらが鎮座している。唐揚げは弁当用の冷凍食品だろうが、こんなにしっかりとした朝食は、久しぶりだ。
ごまかすばかりでもなく言えば、禰豆子はあわてて椅子に腰かけた。炭治郎もさらに追及する気はないのだろう。いそいそと炊飯器へと向かっている。
「朝はしっかり食べないとなっ。おかわりしてもいいぞ」
ニコニコと笑いながら差し出される茶碗に盛られた白飯も、つやつやとしていかにもおいしそうだ。同じ米と炊飯器で炊いているというのに、義勇が炊いたご飯とは見た目からして違う。
「うんっ。いただきます!」
元気に言う禰豆子に「はい、いただきます」と返した義勇と炭治郎の声が、ぴたりと重なった。
思わず顔を見あわせると、炭治郎の顔に面映ゆそうな笑みが浮かぶ。
「小さい子にいただきますって言われると、つい言っちゃいますよね」
「……そうだな」
自分では特に気にしたこともなかったが、そうか、これは『普通』のことなのか。
思い返してみれば、まだこの食卓が毎日明るい笑い声で満ちていた日々のなかで、母が姉や義勇に返していた言葉だ。ごく当たり前の家庭の風景のなかにあった言葉なのだから、問題はない。一瞬だけ胸の奥にヒヤリとしたものが走ったのを取り繕うように、汁椀を手にした義勇は、味噌汁から少し顔を出している具材に気づき、パチリとまばたきした。
「ジャガイモ?」
昨夜見たかぎりでは、残っていたのはひとつきりだったし、それは夕食に使われていたはずだ。まさか早朝にコンビニにでも買い物に出たのだろうか。まだ生活費を渡していないのに、自腹を切ったというなら、そこまでしなくていいと注意しなければならないだろう。
思っていれば、炭治郎は、あぁ、と明るく笑った。
「フライドポテトがあったんで、具に使わせてもらいました」
「……味噌汁に使えるのか」
思わず義勇は味噌汁をまじまじと眺めた。カルチャーショックもいいところだ。
昨夜のスパゲティもだが、義勇にはドレッシングをソースとして使うような発想はまるでない。ドレッシングはサラダに、フライドポテトはフライドポテトとして。それしか使い道などないと思っていた。
料理というのは意外と奥が深いなと、思わず虚無の顔で義勇は空を見つめた。
「お弁当のおかずのグラタンにも使ったんで、空になっちゃいましたけど……大丈夫でした? 買い足しておいた方がいいですか?」
なんてことだ。グラタンにもなるのか。
昨夜も思ったが、義勇にしてみればここまでくるともはや魔法の域だ。禰豆子もキラキラと目を輝かせて、尊敬のまなざしを炭治郎に向けている。
「グラタン!? お弁当にグラタンが入ってるの!?」
「マヨネーズを使ったなんちゃってグラタンだけどな。あとは朝ご飯と同じだよ。ごめんな。明日からはもっとちゃんと作るから」
少し困ったような声には、幾ばくかの申し訳なさがにじんでいるような気がして、義勇はかすかに眉根を寄せた。
炭治郎にとっては、これでも手抜きらしいが、元々食材などろくになかったのだ。それなのにこれだけの料理を作れるなんて、誇りこそすれ、困り顔をする必要などありはしないだろうに。なぜ謝ると、いっそ苛立ちすらして、義勇は味噌汁に口をつけた。
「……うまい」
「え? あ、ありがとうございます!」
「あれしかなかった材料で、これだけうまい飯が食えるなら上出来すぎるほどだ」
「おいしいよっ、お兄ちゃん!」
黙々と箸を進めだした義勇の言葉を後押しするかのように、顔をほころばせた禰豆子の言葉が、炭治郎の心苦しさを晴らしたのだろう。気恥ずかしげではあるが、炭治郎の顔にもやわらかい笑みが戻った。
良かった。不意に浮かんだのはそんな安堵だ。炭治郎にはあんな申し訳なさげな苦笑よりも、朗らかな温かい笑みのほうが似合う。
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA