Hello!My family 第1章
十二時を告げるチャイムがオフィスに鳴り響いた。
周囲のデスクの同僚たちが、三々五々立ち上がる。義勇も手を止めると、座ったままコキリと首を鳴らした。慣れた作業とはいえ、長時間パソコンに向かっているとどうにも肩がこる。
作業中のファイルを保存し、義勇は、通勤カバンと一緒にデスクの下に置いてある紙袋へと、ちらりと視線を向けた。紙袋には、弁当の包みが入っている。仕事中は気にしないようにしていたけれど、入社以来初めての弁当持参に、なんとはなしソワソワとしてしまう。
手作り弁当など高校の時以来だ。保育園に向かう途中、グラタングラタン今日のお弁当はグラタンと、即興で歌うぐらいご機嫌だった禰豆子ほどではないが、どうやら自分も思う以上に浮かれているらしい。
中学までは給食だったから、義勇が弁当を持っていってたのは、高校の三年間だけだ。正直言えばいい思い出はひとつもない。
当時は持ってきた弁当を誰にも見られたくなくて、昼休みのたびに教室を抜け出し、屋上につづく階段にひとり腰かけ食べていた。思い返せば苦いばかりの記憶だ。けれど、今日の弁当は炭治郎の手作りである。母の作った弁当には、素直に感謝することはできなかったが、炭治郎が作ったものならば、なにも心配する要因はないだろう。
紙袋から取り出した包みに、知らず期待に胸を騒がせている自分が少しおかしい。弁当を楽しみにするなんて、まるで幼子のようだ。
「あれ? 冨岡さん食堂行かないの?」
感慨深く包みを見つめていた義勇は、不意にかけられた声に、ワクワクとした自分を見透かされたような気がして、少し気まずく声の主を仰ぎ見た。
「……あぁ。今日は弁当がある」
「なんだ、おまえが弁当などめずらしいな。初めてじゃないのか? ちゃんと食えるものを作ったんだろうな?」
「あら、冨岡さんは毎日禰豆子ちゃんのご飯を作ってるんでしょう? きっとおいしいと思うわ。私もたまにはお弁当作ろうと思うんだけど、荷物になっちゃうから、どうしても食堂にしちゃうのよね~。毎日作ってる冨岡さんは偉いわ」
小馬鹿にしたように言いながら近づいてきた男に、反論したのは義勇ではなく先の声の主だ。
「甘露寺は電車通勤だからな。せっかく作った弁当がくずれてはもったいない。そうだ、弁当を作った日は俺に連絡をくれれば迎えに行こう。車なら多くても荷物にもならない」
「それじゃ伊黒さんが遠回りになっちゃうじゃない。社員食堂もおいしいし、量も多いから大丈夫よ」
「遠回りと言っても、十分かそこらだ。気にしなくてもいい」
……どうでもいいが、ここで会話するのはやめてくれないだろうか。
二人を無視して弁当を食べだすのはためらわれるのだが、盛り上がってしまった二人は、一向に立ち去る気配がない。弁当の包みをほどくこともできず、さりとて楽しそうな二人の邪魔をするのも申し訳なく、義勇の眉尻が思わず下がる。
義勇の所属する財務部と同じオフィスにある経理部の甘露寺はともかく、伊黒の部署は開発部で、フロアさえ別だ。だというのに毎日せっせと甘露寺を迎えにくる伊黒のマメさは感心するが、貴重な昼休みを無駄にしてもいいのだろうか。
甘露寺だって、社員食堂のおいしさが入社の決め手と言っていたほどなのだから、義勇の弁当にかかずらっている暇があるとは思えない。経理部だって月初めの今は大忙しで、一分一秒でも惜しいはずだろうに、食いはぐれてもいいのだろうか。
第一、もはや二人の会話の内容は、義勇の弁当からかけ離れている。なにもこの場で会話せずとも、食堂で話せばいいのにと、義勇は小さくため息をついた。
「なんだ貴様、甘露寺が褒めてやったというのにため息をつくとは、無礼にもほどがあるぞ」
「……今日の弁当は、俺が作ったわけじゃない」
一事が万事、甘露寺優先の伊黒の言には、もう義勇も慣れっこである。それぐらいにはつきあいも長くなった。
もう一人、法務部の不死川も含めた義勇たち四人は、入社が一緒の同期だ。短大卒の甘露寺だけがいくぶん年下だが、新人研修のグループが同じだった縁もあり、人との交流が苦手な義勇も、甘露寺や伊黒とは比較的よく話をする。というよりも、愛想の欠片もない義勇に臆さず話しかけてくるのは、同期の三人ぐらいなものだ。離婚騒ぎの際に、世話になった恩もある。
だから話しかけられれば、義勇とて会話に参加するのはやぶさかではない。まぁ、伊黒は、入社時に甘露寺と同じ経理部に配属されたばかりか、移動した財務部でもオフィスは同じという義勇への当りが、少々強いきらいはあるが。
ともあれ、義勇としては、褒められるのはお門違いだと告げたいだけだったのだが、なぜだか二人は、義勇の言葉を聞いたとたん、目を大きく見開き唖然とした顔をした。
いったいなんなんだと、わずかに眉を寄せて義勇が二人を見上げたとき。
「はぁ!? 冨岡、テメェ再婚でもすんのかァ!?」
大きな声が響き、周囲がどよめいた。声の大きさもさることながら、その突拍子もない内容に驚いて、声のしたほうへと顔を向けた義勇は、周囲の視線に気づき、ビクリと肩を震わせた。オフィスに残っていた社員たちが、息をつめてこちらを凝視している気がする。特に女子社員の視線は痛いほどだ。
しかし、そんな周囲の変化が気になったのは、義勇一人だったらしい。甘露寺は目をキラキラさせているし、伊黒は苦虫を噛み潰したような顔で、義勇を睨み据えている。そして、とんでもない発言をした当の本人である不死川はと言えば、険しい顔で大股に近づいてきた。
「え? え? そうなのっ!? 素敵! ねっ、冨岡さん、どんな人!?」
「おい、禰豆子はちゃんと懐いてるんだろうなァ。また変な女に騙されてんじゃねぇのかァ?」
「というか、不死川、いきなり来てなんなんだ。そんなわけないだろう。こいつにそんな甲斐性があると思ってるのか?」
伊黒の言い草はアレだが、内容は、反論のしようもないほどにそのとおりである。
あわてて義勇は、こくこくとうなずいた。再婚など考えたこともないし、今後もあり得ないと断言できるというのに、変に誤解されてはかなわない。
「昨夜、こいつが相談があるって連絡してきやがったから、わざわざ来てやったんだ。うちも今忙しいからなァ。飯食いながら聞けばいいと思ってよ」
「あぁ……忘れてた。そういうことだ、伊黒」
不死川の言葉にぱちりとまばたいた義勇は、伊黒に向かってこっくりとうなずいた。
「なぁにがそういうことだ、だっ。テメェ、自分から相談もちかけといて、忘れてたとはどういう了見だァ? あぁん?」
強面の不死川がすごむと迫力があるなと、ぼんやり思っていれば、甘露寺の心配げな声がつづいた。
「あの……相談って、禰豆子ちゃんのことかしら。冨岡さん、禰豆子ちゃんになにかあったの?」
「そうなのか? 冨岡」
伊黒も、甘露寺に追従するばかりでもなく、声に憂慮と緊張がにじんでいる。
「違う。いや、違うとも言い切れないが……」
心配させるのは申し訳なく、即座に否定はしたものの、禰豆子にかかわる相談でもあるのは確かだ。どう説明したものかと思っていると、軽いため息とともに不死川が言った。
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA