Hello!My family 第1章
自室で契約書の最終確認をしつつ、義勇は、昨夜の会話をふと思い出し我知らずため息をついた。脳裏に浮かんだため息の原因は、昼は外食すると伝えたときの炭治郎の顔だ。
禰豆子は久し振りに甘露寺たちと買い物に行けると聞いて喜んでいたが、炭治郎は、明らかに絶句していたように思う。
すぐに笑顔に戻り、禰豆子においしいもの食べておいでという声にも、不満は感じとれなかった。いくら取り繕うとも、ショックを受けたのだろうということぐらい、義勇にだってわかる。けれども、その理由は今もって思いつかない。
禰豆子が炭治郎は一緒じゃないのかと残念がったのは、想定内だ。大好きな人たちと一緒に過ごすというのに、炭治郎だけがいないというのは寂しいのだろうし、留守番する炭治郎を気遣ってもいるのだろう。
義勇だって、炭治郎も一緒にと考えなかったわけじゃない。炭治郎は衣服だって少ないし、買い物の際には炭治郎の服や靴も見繕おうと思ってもいる。だが一緒に行けば炭治郎は遠慮するに決まっているし、炭治郎にだって自由に過ごす時間は必要だ。まだ高校一年生なのだから、遊ぶ時間はいくらでも欲しいに違いない。自身の昔を振り返ってみても、教室で聞こえてくる声は遊びの予定に弾んでいたから、それがきっと『普通』なのだ。
禰豆子にそう告げれば、まだしょんぼりとしつつも禰豆子は素直にうなずいてくれたのだけれど……。
思い出した炭治郎の瞳に、義勇の胸は罪悪感にさいなまれ、チリッとした痛みを覚える。
一瞬だけだったけれど、炭治郎の赫い瞳は泣きだしそうに揺れていた。気のせいだと切り捨てるには、揺らめくその瞳は義勇の脳裏に焼きついて、どうにも消えそうにない。
禰豆子を悲しませるのが嫌だったのだろうか。炭治郎は優しい子だから、禰豆子がせがめばきっと一緒に出かけるのを拒んだりはしなかっただろう。
だが、休みの日にまでこちらの予定につきあわせるのは、雇用主の傲慢というものだ。パワハラと言われても反論できない。義勇だって、炭治郎には気分よく働いてもらいたいし、無理などさせたくはないのだ。
禰豆子と二人でならばともかく、雇用主である義勇ばかりか、初めて会う義勇の同僚たちとまで一緒だなんて、高校生の炭治郎が喜ぶわけもない。
ただでさえ契約のための話し合いなんていう、堅苦しい時間を過ごさなければならないのだ。さらに自由な時間を削って、大人たちに囲まれて過ごせなど、義勇には到底言えなかった。
ふぅっと小さくため息をついて、義勇は手にした書類から視線をあげた。不死川のアドバイスにしたがって作った契約書類は、不死川にも一応合格をもらっている。これ以上チェックは必要ないだろう。
時刻は十時。そろそろ三人もやってくるはずだ。今、禰豆子は炭治郎と一緒に居間で遊んでいる。ときおり楽しげな声が義勇の書斎にも聞こえてきていた。結局子守りだ。
みっちゃんたちがくるまでお兄ちゃんとお絵かきするのと笑った禰豆子に、義勇が逆らえるわけもない。休みの日に働くなと言った手前気まずい思いもしたのだが、炭治郎は不快な様子など微塵も見せなかった。それどころか、うれしそうに禰豆子と遊んでいていいですかと義勇に聞いてくるありさまだ。こちらが頼まなければいけない立場だというのにである。
まだ同居したばかりだというのに、すでに炭治郎の厚意に甘えすぎている。このままでは、なし崩しに超過勤務を強いる羽目になりかねない。どうにかしないとと焦燥に駆られるが、いい手も思いつかず、義勇は再びため息をついた。
と、ため息と重なって馴染みのある音が聞こえた。玄関のチャイムだ。
反射的に見た時計は十時十五分を示している。少しばかり約束には早いが、不死川たちが着いたのだろう。
義勇が立ち上がったのと同時に、はーいと答える炭治郎の声が聞えてきた。
玄関に向かうと、ちょうど炭治郎と禰豆子が甘露寺と伊黒を迎え入れているところだった。
「あ、冨岡さん、お邪魔します」
「外で不死川が待ってる。車でくることぐらい、貴様でもわかっていただろう。門の鍵ぐらい開けておけ」
伊黒の嫌味な口調に内心あわてながら、義勇は、居間に通してやってくれと炭治郎に言い置くと、不死川を出迎えるために表へ出た。人の出入りする潜り戸は鍵をかけていないのだが、正門はいちいち開け閉めするのが面倒で、常日頃は締めっきりだ。十時前には開けておこうと思っていたのに、物思いにふけってすっかり忘れていた。
あわてて門を開ければ、少し手前に不死川のミニバンが止まっている。
一時間ほどもかかってきてくれた上に、段取り悪く待たされてさぞや不機嫌になっているだろうと思いきや、不死川の様子は存外穏やかだった。
「テメェが抜けてんのは先刻承知の上だからなァ。いちいち怒ってたら禰豆子が怯えるだろうがァ」
「……すまない」
あきれを多分に含んだ声音に、思わず詫びれば、素っ気ないながらも気にするなと返ってくる。禰豆子に不機嫌な顔を見せまいとしてくれているだけでなく、なんとなくだが今日の不死川はいつもよりも少し緊張して見えた。
物言いたげな義勇の視線に気づいたのだろう。車をガレージに止めた不死川は、降りてくるなり訝しげに「なんだよ」と聞いてきた。
「いや……緊張してるか?」
「はぁ? なんで俺が緊張するってんだ」
逆に問われて、思わず義勇はコテリと小首をかしげた。
「……なんでだ?」
「知るかっ!」
あぁ、結局怒られた。
どうにも不死川を怒らせてしまうのは免れないらしい。けれども、毎度毎度怒りつつ、義勇との付き合いをやめようとはせずにいてくれるのだから、不死川は本当に面倒見がいいと、義勇の口元に知らず笑みが浮かんだ。
そのささやかな笑みをどう思ったのか。不死川もニヤリと笑い「さぁて、面接といくかァ」とまるで喧嘩でもするかのように指を鳴らしだした。
「雇用はもう決定しているが?」
「テメェの大丈夫だけじゃ、こっちが大丈夫じゃねぇんだよっ。おらっ、いいから行くぞ」
先を立って玄関に向かう不死川に続きながら、義勇は、もしかしたら緊張しているのは自分のほうかもしれないと、小さく喉を鳴らした。
炭治郎なら大丈夫。そう、炭治郎ならば。
でも、と、義勇は胸中で冷や汗をかく。気づいてしまえば緊張し不安も覚えた。
不死川たちから見れば、雇用主として義勇が失格と判断される可能性だってあるのだ。炭治郎が不興を買うより、そちらのほうがよっぽどありえる。
禰豆子や炭治郎の手前、あまり不死川や伊黒に叱られたくはないなと、ちょっぴり不安になりつつ、しっかりしないとと心密かに誓う義勇を、どこかあきれたような目で不死川が見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
不死川とともに母屋に戻ると、禰豆子の笑い声が玄関まで聞こえていた。禰豆子がこんなに大きな声で笑うのは久しぶりだ。大好きなおねえちゃんである甘露寺と久々に会えて、ご機嫌なのだろう。楽しげな声に、義勇の唇に知らず笑みが浮かんだ。
炭治郎と出逢って以来、禰豆子の精神状態はかなり落ち着いている。笑顔は圧倒的に増えた。
このままつらい記憶を忘れてくれたらいいのだが。
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA