Hello!My family 第1章
自己嫌悪におちいりかけた義勇に気づいたわけでもないだろうが、炭治郎は、すっと肩の力を抜き苦笑めいた笑みを浮かべた。
「心配してくれてありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。俺、頑丈なのが取り柄なんです。働けるだけでもありがたいし、働かなきゃ家賃も払えなくなっちゃいますから」
「……おまえが払っているのか? 親は」
「俺、孤児なんで」
さらりと、なんでもないことのように、炭治郎は言う。微笑みすらして、言いよどむこともなく。
きっと、何度も繰り返し口にした言葉なのだろう。炭治郎にはなんの気負いも見られなかった。動揺しているのは、義勇だけだ。そしておそらくは、動揺されることにももう、炭治郎は慣れているのだろう。かける言葉を失った義勇に、炭治郎はなおも笑った。
「養護施設には高校卒業までいてもいいんですけど、俺、早く自立したかったんです。施設の先生たちは優しかったし、下の子たちもかわいかったけど、早く家庭を持てるようになりたくって」
静かに笑う炭治郎を、義勇がなにも言えずじっと見つめていると、くいくいと手が引かれた。おびえさせたのは禰豆子も同様だったことを思い出し、内心少しあわてながら禰豆子を見下ろすと、禰豆子はちょっともじもじとしながら、コジってなに? と聞いてきた。
どう答えたものかためらう義勇より早く、禰豆子の疑問に答えたのは炭治郎だった。
「お父さんとお母さんがいない子のことだよ」
「お兄ちゃん、パパとママがいないの?」
「うん、赤ちゃんのころからいないんだ。禰豆子はいいな。こんなかっこよくて優しいパパがいて」
しゃがみ込み、禰豆子と視線を合わせて言った炭治郎に、禰豆子の顔がなぜだか泣きだしそうにゆがめられた。その様子には、義勇のみならず炭治郎も驚いたのだろう。どうした? と聞く声があわてている。
「お兄ちゃんにはパパがいないのに……禰豆子ばっかりパパがいて、ごめんなさい」
「なんで謝るんだ? 禰豆子は全然悪くないぞ?」
「でも……」
自分ばかり恵まれてズルいとでも思ったのだろうか。大好きなお兄ちゃんにたいして、禰豆子はたいそう罪悪感を抱いてしまったようだ。
義勇も困惑したが、炭治郎もまさか禰豆子が落ち込んでしまうだなんて、想像すらしていなかったのだろう。どうなぐさめたものかとあわてている。義勇だって禰豆子が悲しむのはつらい。けれど、なにを言えばいいのか……と、悩んだりあわてたりしている義勇と炭治郎をよそに、不意に禰豆子はパッと顔をかがやかせた。
そして言ったのだ。
「そうだ! お兄ちゃんにパパを貸してあげる!」
は?
今、炭治郎と自分の心境は、ぴったりとシンクロしているのだろうなと、呆然としながらもほんのちょっぴり笑いたくなった義勇だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
義勇たちの困惑など気づいてもいないのだろう。禰豆子はニコニコとたいそううれしげに笑って、言葉をつむいだ。
「パパね、禰豆子にお勉強教えてくれるの。禰豆子もうひらがなもカタカナも書けるんだよ。パパが教えてくれたから! だからお兄ちゃんも、パパにお願いしたらいいと思うの。絶対にお勉強教えてくれるよ。あとね、パパはね、寝るときにご本も読んでくれるんだよ。それからね、ご飯も作ってくれるし、一緒にお買い物したり、お掃除したりお洗濯もしてくれるの。禰豆子もお手伝いするんだよ。お兄ちゃんもパパと禰豆子と一緒に、ご飯作って食べればいいと思うの。玉子焼きとかちょっとこげてるけど……えっと、オムライスも玉子が破れちゃうんだけど、でもねっ、でも、パパが作ってくれたらおいしいの! ちょっとしょっぱかったり、あんまり味がしないこともあるけど……でもね、おやつだって食べていいんだよって言ってくれるの! んっと、お洗濯もたまに白いTシャツがピンクになったりするんだけど、でもちゃんと毎日お洗濯してくれるよ!」
ますます義勇が動揺していくことなど、まったく禰豆子は気がついていない。動揺はすぐにいたたまれなさへと変わり、今すぐにも禰豆子の手を引き逃げ出したくなる。
そんなこと、できるはずもないが。
楽しげに話す禰豆子の言葉をさえぎるという選択肢など、義勇にはない。羞恥に身が焼かれるのをただ耐えるしかなかった。
炭治郎は禰豆子の話に、なにを思っているだろう。炭治郎の顔が見られずに、義勇はわずかにうつむき、禰豆子の言葉を聞いていた。
下世話な好奇心とは無縁の少年に思えるが、いかにも家事能力の劣る男やもめな内容に、あきれるのはしかたがないだろう。子煩悩な父親として好感を持たれていたようではあるが、それも今日でおしまいだろうなと、残念に思う自分が不思議だった。
それでも禰豆子が楽しげに笑ってくれるならそれでいい。どれだけ恥をかこうと、かまわない。自尊心だのプライドなんて、紙くずほどにも役に立たぬものなど捨て去れる。たとえこの先、炭治郎が自分を見る瞳に、憐憫や軽蔑の色が宿っても、禰豆子の笑顔には代えられなかった。
けれどそんな決意も、つづいた禰豆子の言葉に、一瞬薄れた。
「あとねっ、あとお風呂も一緒に入るの! 毎日入っていいんだよ、すごいでしょ! パパ、頭洗うの上手になったよ。いつも禰豆子の頭洗ってくれるんだぁ。パジャマもね、出してくれるの。優しいの。ねっ、お兄ちゃんもパパと一緒にお風呂に入ればいいよ!」
「禰豆子っ!!」
さすがにギョッとして、大きな声で禰豆子を止めた瞬間に、ビクッと禰豆子の薄い肩が跳ねた。
しまったと思ったときには、すでに禰豆子の顔は青ざめていた。小さく頼りない体を小刻みに震わせて、義勇の顔を見上げることもせずに、ギュッと目を閉じ体を縮こまらせている。肩にかけた通園バックのストラップをにぎるモミジのような手も、あわれなほどに震えていた。
焦燥のなか、泣きだしたくなる気持ちをこらえ、義勇は禰豆子の前にしゃがみ込んだ。
二度とこんな顔をさせないと誓ったはずなのに。何者からも守ると、それだけが自分の生きる意味だと心に誓ったというのに、このザマか。
すぐそばにいる炭治郎のことすら脳裏から消えていた。恥などという言葉すら浮かばない。義勇は震える腕で、禰豆子をそっと抱いた。
「禰豆子……大きな声を出して悪かった」
「おしゃべりしてごめんなさい。もうしません、ごめんなさい。いい子にします」
「違う。禰豆子は悪くない。なにも悪くないんだ」
目を閉じたまま、うわ言のように謝罪を繰り返す禰豆子が、どうしようもなく悲しい。こんなこと二度と言わせたくはなかったのに。
後悔と自責の念が義勇を責め立てる。どうか笑ってくれと願った。優しく、禰豆子をかけらもおびえさせないように優しくと自分に念じる。不安や焦りを表に出せば、禰豆子をますますおびえさせてしまう。冷静に、優しくと、自分に言い聞かせながら、禰豆子がおびえないことをひたすら願って、義勇はゆっくりと言葉をつむいだ。
「全部俺が悪い。禰豆子はなにも悪くない。禰豆子はいい子だ。おしゃべりしていい。いっぱいおしゃべりしてくれ」
「……お部屋、行かなくてもいいの?」
「いい。二度と禰豆子を閉じ込めたりしない。一人ぼっちにはさせないから……ごめん、禰豆子」
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA