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Hello!My family 第1章

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 もちろん、禰豆子の目の前だからというのはあるだろう。しかし、ひとかけらの逡巡や嫌悪も見せないのは、なぜなのか。
 出逢ってからまだ二月ほど。話すのは精々五分程度の、顔見知りとしか言いようのない仲だ。だというのに、雇用関係を結んだとはいえ、炭治郎の表情にも声音にも、雇用主に対する媚めいたものはなにもない。心の底から義勇と禰豆子を信頼し、いい親子だと信じているとしか思えなかった。
 義勇自身の認識との差異は、どうにも違和感をぬぐえず、座りが悪いことこの上ない。なぜそんなにも無条件に自分なぞを信じられるのかと、かすかにとはいえ、身勝手な苛立ちも義勇の胸には生まれた。
 けれども、今大事なのは、禰豆子の不安を晴らすことだけだ。義勇にとって、それ以上に大切なことなどない。
 大丈夫と言いはしても、目まぐるしい境遇の変化に炭治郎だって精神的な疲労は感じているだろう。睡眠不足だとも言っていた。そんな炭治郎には悪いが、この場は禰豆子の気持ちを優先させてもらうしかない。当然のこと、自分のことなど二の次だ。
「パパ……」
「……炭治郎の言うとおりだ。禰豆子はわがままじゃない。いい子だ。禰豆子……」
 腕を広げ、禰豆子を待つ。今この場で、一番おびえているのは自分だろうなと、心の片隅で自虐的な嘲笑が浮かんだ。
 言葉選びの下手な義勇が禰豆子を安心させるには、抱きしめるのが一番だった。禰豆子を安心させてやりたいのが大きな理由ではあるが、言葉よりも抱擁を選んでしまうのは、義勇自身の臆病さも少なからずある。

 腕のなかにおさまる小さな体を、優しく抱きしめれば、禰豆子はいつでもホッとした顔で笑ってくれる。その笑顔にこそ、義勇は安堵する。

 おずおずと細い腕を伸ばして、しがみついてくる禰豆子が愛おしい。この柔らかく温かい存在が、自分の腕のなかにいてくれるのなら、羞恥心などいくらでも抑えつけよう。
「炭治郎……すまないが、禰豆子に食事を用意してやってくれ」
「はい! ていうか、それが俺の仕事ですよ。悪いなんて思わないでください」
 朗らかに言い、炭治郎は張り切った顔で腕まくりした。
 禰豆子を抱いたまま廊下を進む義勇の隣を歩きながら、炭治郎は禰豆子は嫌いなものあるか? と、いかにもうれしげに聞いてくる。
 不安をあらわにしていた禰豆子も、炭治郎の笑みにつられたか、なんでも食べられると良い子のお返事でニコニコとしだした。
 それにホッとしながらも、胸の奥が傷むのは、自分の傲慢さなのだろうと義勇は自嘲する。
 親子だと言っても、昔はまともな会話などなかった。禰豆子のことはかわいくてしかたがなかったが、苦労をさせないことぐらいしかしてやれることなど思いつかず、ろくにかまってやらなかったのは自分だ。たった四歳の幼児が暗く沈んだ顔をしているというのに、妻の言うイヤイヤ期だの人見知りだのという言葉を鵜呑みにして、禰豆子の話を聞いてやらなかった自分に、傷つく権利などあるはずもない。

 それなのに、禰豆子の笑みをたやすく引き出せる炭治郎に、恥知らずにも嫉妬している。浅ましくうらやんでいる。傲慢と言わずしてなんと言おう。

 鬱屈していく義勇の心情など気づかぬまま、禰豆子はすっかりご機嫌だ。対する炭治郎はといえば、禰豆子に笑いかける笑みは温かくなんの含みもないようなのに、義勇に差し向けるまなざしには、なぜだか気遣わしげな色が浮かんでいる気がした。
 誰からも感情が読めないと言われる鉄仮面っぷりだ。よもや自分の懊悩を感じとったわけでもあるまい。きっと自分の卑屈さがそう見せているだけだと、義勇はあえて炭治郎の物言いたげな視線を無視した。

「ろくなものがないから、すまないが握り飯でも握ってやってくれ」
 台所に着くなり、よしやるぞ! と冷蔵庫や戸棚を探りだした炭治郎に、義勇は禰豆子を椅子に腰かけさせながら声をかけた。
 そこはかとなく申し訳なさがにじむ声になったのは、いたしかたない。
 雇用上は雇い主と家政夫という立場にはなるが、本音を言えば炭治郎を支援してやりたかっただけだ。だというのに、初めての家で休む間もなく働かせるうえ、まともな食事もさせてやれないなんて、自分の不甲斐なさが恨めしい。
 だが、炭治郎はそんな義勇の罪悪感を吹き飛ばすように、上機嫌な笑顔を見せた。
「大丈夫です、これだけあればなんとかなりますよ! あ、なにか使ったらまずいものはありますか? 冷凍庫の食品は使っても大丈夫ですか?」
「冷凍食品は禰豆子の弁当用だが、すべて使いきるのでなければかまわない」
「あ、そうか。禰豆子の弁当もあるんですね。じゃあ、明日の分を残してっと……うん、できそうです! スパゲッティでいいですか?」
「スパベピイ?」
「スパゲッティ。パスタだ」
 きょとんとする禰豆子に教えてやりつつも、義勇も心情的には首をかしげたいところだ。ソースはなにも常備していないのに、いったいどうするつもりなのだろう。ナポリタンならケチャップがあるけれど、具材になりそうなのはウインナーぐらいだ。それでも義勇は文句など言うつもりはないし、禰豆子も同様だろうが、炭治郎は楽しげに冷凍庫から食材を出している。
「そっか、スパゲッティって今はあんまり言わないかもな。お店のメニューもパスタって書いてあるし。禰豆子ぐらいの子だったら、スパゲッティとは言わないかぁ。俺は、施設の先生たちがそう言ってたから、パスタよりもスパゲッティのほうがなじみがあるんですよね。年配の先生が多かったもんですから」
「……俺もそうだ」
 義勇がスパゲッティと口にすると、顔をしかめてパスタと言い直していた妻の顔を思い出そうとしたが、うまくいかなかった。もちろん、顔かたちを忘れたわけじゃない。ただ、関心がなかった。
 思い出す元妻の顔は、いつでも醜悪な嘲笑を浮かべている。離婚届に判を押し、せいせいしたと嗤った顔だ。
 禰豆子と血がつながっているのだと示す桃色の瞳が、侮蔑をあらわにせせら笑うのを、義勇は冷めきった目で見ていただけだった。むしろ安堵していたとも言える。

「じゃあ禰豆子もスパベピイって言うね!」

 愛らしい声に思考の底から引き上げられ、禰豆子を見やると、禰豆子は桃色の丸い瞳をきらきらと輝かせてうれしそうに笑っていた。
 似ているようでまったく違う、禰豆子の桃色の瞳に、義勇の口元に笑みが浮かんだ。
「スパゲッティ」
「シュパベッピー!」
 あれ? とまばたきして、シュパ、んと、スパベティ、あれれ? と繰り返す禰豆子に、炭治郎も楽しそうに笑う。
「言いにくいよな。パスタでいいぞ、禰豆子」
「いやっ、禰豆子もパパとお兄ちゃんと一緒がいい!」
 絶対に言えるようになるもんと、小さな拳をにぎりしめて、フンスッと意気込む禰豆子が、義勇の胸にほわりと温かな灯をともす。
「そっかぁ、それじゃ頑張れ! 俺と練習しような、禰豆子!」
「うん!」
 明るく笑いあう炭治郎と禰豆子に、泣きたいぐらいふわふわとした温もりを感じる。それはやっぱりどこか遠いのに、それでもたしかに義勇の心を優しく癒すものだった。

 ぼんやりとふたりのやり取りを見ているあいだにも、炭治郎は手際よく動いている。
作品名:Hello!My family 第1章 作家名:オバ/OBA