例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。
「これから、真夏さんのサポートしながら、乃木坂を盛り上げてくから、ダーリン応援よろしくね?」美波はあたるを気遣って微笑んだ。
「よろしくね」真夏は笑顔で言った。
「りょ、了解でござるうぅ」あたるは、笑顔で、泣いた。
稲見瓶は別の部屋にて用事を済ませると、また〈無人・レストラン〉二号店へと出向いた。ふと見かけた人影に、話しかけに向かう。
「やあ、飛鳥ちゃん。来てたんだ?」
「ああ、おう。イナッチ」飛鳥は稲見を見上げて言った。「来てましたよ。今だけど、来たのは」
「かずみん、なぁちゃん、こんばんは」稲見はそちらの二人にも笑みを浮かべた。
「おーイナッチ~」一実はにこやかに稲見に答えた。「今日はドレスコード無くてよかったよー、あったら来てなかったなー、あはは」
「うん。ドレスコードあったら、めんどいかな」七瀬は稲見に苦笑してみせた。
「いやあ、卒業ラッシュだね」稲見はしんどそうに、苦笑した。「かなり、こたえる。思えば、なぁちゃんや若月ちゃんの時から、もうずっと卒業ラッシュな気もする」
「なぁちゃんの時、有観客で、声出せてよかったねえ、ファンがさ」一実は眼を見開いて七瀬に言った。
「あー、うん。それは本当によかった」七瀬は小さく頷いた。齋藤飛鳥はとことこと何処かへと歩いて行く。「あのタイミングだったと思う。やっぱり」
「だよね」一実はにこやかに言った。
「ちょっと、早かったけどね」稲見は七瀬に言った。「かなり深手を負ったからね、なぁちゃんの卒業を受け止めるファン達は。俺達もそうだった」
「ふふん?」七瀬は微笑んで、稲見と一実を見る。「ん?」
「いやあ、なぁちゃんが乃木坂をひっぱってるところあったからなー」一実は表情豊かに七瀬に言った。「ファンは痛かったと思うよ、ほんと」
「ふふ」七瀬はにこやかだった。
「あれ?」稲見は周囲を見渡す。「飛鳥ちゃんは?」
風秋夕は、齋藤飛鳥の姿を見つけ、少しだけ早歩きで近づいた。
「あ~すっかちゃん」
「ほお、夕君。おっす」飛鳥は無表情で言った。
「ねえ飛鳥ちゃん」夕は微笑み、飛鳥を見つめる。
「ん?」飛鳥は夕を上目遣いで見上げた。
「最近、飛鳥ちゃんの存在が、いかに乃木坂にとって、俺達ファンにとって、偉大であるかを思い知ってる。飛鳥ちゃん、超絶、大好きです」
「なに、今更」飛鳥は鼻を鳴らして苦笑する。
「ライブ、もうすぐだね」
「あー、ですねえ」
「飛鳥ちゃーん、て。精いっぱい叫ぶから、笑ってね」
「ふん。何それ、……こわ」
10
二千二十一年の十二月も中盤戦に入った頃、全国イベント参加者限定『オンライン・ミート&グリート(個別握手会)』を終えた乃木坂46の数名は、〈リリィ・アース〉に訪れていた。
現在、地下二階エントランス、メイン・フロアの東側のラウンジ、通称〈いつもの場所〉のソファ・スペースにて談笑しながら食事をとっているメンバーは、乃木坂46三期生の山下美月、同じく三期生の与田祐希、向井葉月、吉田綾乃クリスティーであった。
乃木坂46ファン同盟からは磯野波平と姫野あたるが参加していた。
現在、この広大なフロアを飾っている音楽は、乃木坂46の『歳月の轍』である。
向井葉月は携帯電話の画面を愛しそうに眺める。「うすきみどりの子が、コメタン。で透き通った青みたいな色の子が、パンタ」
「どれ、見せて」美月は水わらび餅をテーブルに置いて、葉月の携帯画面を覗き込む。「へ~、あー、可愛い。小さい、けど、ほんとにカエルだね」
「見せて」続いて寿司を食べていた祐希が、携帯画面を覗き込んだ。「あー、私が食べたやつより、ちょっと大きいのかな」
「何でそういう事言うの!」葉月は携帯電話を瞬時に隠した。「いじわる!」
「ふふ四十六時間テレビで、飛鳥さんに無理やり、食べさせられた」祐希は笑った。「ごめんごめん」
「見せて~」綾乃はさりげなく葉月の手から携帯電話を抜き取った。食べかけの水わらび餅はテーブルで沈黙していた。「あー。可愛いじゃん」
「ね? 可愛いでしょ?」葉月はにこやかに言った。黒蜜きなこアイスの続きを食べる。
「餌(えさ)とかなんなんだ?」磯野は眉を上げて葉月を見た。「ゼリーとか?」
「いやカブトムシ!」あたるは磯野に手で突っ込んだ。「カエルはあれでござろう、生餌(いきえ)、でござろう?」
「うん」葉月は頷いた。「生きたコオロギとか……冷凍コオロギとか、人口餌とかかな。でも生きたコオロギが一番食いつきがいい」
「うえ」美月はまずそうなリアクションをした。「ご飯、食べれなくなるからいいよ、その先は」
「はっはっは」祐希は笑った。「それぐらいでご飯食べられなくなっちゃうんですか」
「確か~、俺がちいせえ頃に飼ってたうさぎの名前が、パンコ、だったな」磯野は葉月に言った。」
「うそ、近いじゃん。ね。うちはパンタ。とコメタン」葉月は笑顔で言う。
「米とパンでござるな」あたるは微笑んだ。「主食でござる」
「な、その、言い方……」葉月はショックだったらしい。
「パンコと、もう一匹は、クロ、だったな」磯野は懐かしそうに言った。
「いっぴき、ではなく、いちわ、と数えるでござるよ、ウサギは」あたるは磯野に言った。
「マジで?」磯野は顔をしかめる。「鳥みてえじゃねえか……」
「鳥といえばさ、夕君の背中に、フクロウのタトゥーが入ってるって本当?」綾乃は男子達二人に可愛らしく小首を傾げた。
「本当だぜ」磯野は口元を引き上げる。
「そのフクロウの持ってる、玉? の中に、好きな人の名前が入ってる、て…聞いたんだけど」綾乃は男子達二人を交互に見つめる……。
「確かに、入ってるでござる」あたるは頷いた。「ただし、小生が言えるのは、ここまで。硬く、禁じられているでござるよ」
「乃木坂じゃないの?」美月はあたるを見つめて言った。
「乃木坂だぜ」磯野はけたけたと笑いながら言った。「誰だろうなあ?」
「秘密でござるよ、波平殿!」あたるは強く磯野を睨みつけた。
「誰だろう……」祐希は呟いた。
「あれじゃない、飛鳥さんじゃない?」葉月は思いついたかのように言った。「それか、七瀬さん、とか、白石さんとか」
「何で?」美月は不思議そうに葉月を見つめる。
「昔に彫ったって聞いたから」葉月は答える。「私達がいるかどうか、そのぐらいの時に彫ったらしいよ」
「ふーん」美月は視線を移して納得する。
「あああああ!」磯野は叫んだ。
「っくりしたあ……」祐希は磯野に眼を見開いて言う。「なにい?」
「若!」磯野は叫ぶ。「結婚した!」
「あー」綾乃はにこやかに頷いた。「びっくりした」
「何で俺と結婚しねえんだ若は! ああん?」磯野はあたるにつっかかる。「何でだ!」
「知らないでござるよぉ~」
「素敵な方だったね、お相手の方」美月はアサヒ・スーパードライを吞みながら言った。
「精神的にもね、大人で、カッコイイ人だった」綾乃は微笑んで、アサヒ・ザ・リッチを呑んだ。「お腹いっぱーい……」
「何で若は俺と一緒んなんなかったんだよ!」磯野はあたるにあたる。
「知らぬでござるよぉ、それこそ、好色なのがいけないんじゃないのでござるか?」あたるは迷惑そうに磯野の手を払って言った。
「こうしょく?」磯野は繰り返した。
作品名:例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。 作家名:タンポポ