例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。
「いろごとが、好きな事」綾乃は磯野に答えた。
「いろごとってえ?」磯野は顔をしかめて綾乃を凝視する。
「…いろごと、てえ……何?」綾乃は美月を見る。
「え、いやあ……」美月は少しだけ考えてから、磯野に言う。「女好き、てことじゃない?」
「誰が女好きだこらぁ!」磯野はあたるに襲い掛かる。「乃木坂がたまったま女だらけだっただけだろうがっ!」
「わかってるでござるわかってあは! くすっ、くすぐらないでほしいでござっはっは!」
「でもさあ、先輩達が素敵な結婚してくのって、なんか幸せだよね、こっちも」葉月は騒いでいる磯野達をしり目に、女子達に言った。「がんばってればいい事あるかなあ?」
ぴたり、と争い事をやめて、磯野が言う。「俺達じゃダメなのかよ、葉月ちゃん」
「ダメって、ダメとは言ってないけどさ……」葉月は言葉を詰まらせる。
「世界中にいる乃木坂ファンの男女が、葉月ちゃん達を大好きなのでござるよ?」あたるは両手を広げて説明した。「それこそ、大スターでござる。何か、物足りないのでござるか?」
「ううん、そうじゃなくて」葉月は首を振った。
「いつかはさ、結婚したいじゃん? うちらだって」綾乃は擁護(ようご)するように言った。
「できんだろ、それこそ、望んだ数だけ」磯野は顔をしかめて言った。
「いや一度しか望まないけどさ」綾乃は苦笑する。
「飛鳥ちゃんは、結婚願望あんのかねえのか、よくわっかんねえ感じだったな」磯野は冷静になって言う。「結婚願望、あっていいんじゃねえか。それごとひっくるめて女じゃねえか。乃木坂は女だぜ? 俺達ぁその女に惚れた男よ、結婚願望の一つや二つでショックなんて受けねえ」
「いやショック受けてるの丸見えだよ」美月は苦笑した。
「いいや! 受けてねえ!」磯野は大声で言い放った。「俺の右手よ、美月ちゃんになつけ! わお~ん!」
磯野波平はソファを移動して、「なになに?」と怖がっている山下美月の真横まで移動し、犬を形どった右手で山下美月にからんだ。
「わんわお~ん! ハアハア、わんわんわん!」
「やーめーて、波平君、ちょ」美月は笑う。「うざっ」
「わふっ!」
与田祐希のリアルな犬の鳴き声が、磯野波平の奇行を止めた。
磯野波平は、右手の犬を突き出して、顔をしかめながら、与田祐希を静かに観察する……。
「わふっ……」
もう一度、与田祐希は吠えた。
「ハアハアわんわお~ん!」磯野は祐希のそばまで小走りに移動する。
「何がわんなんだ、やめんか!」
磯野波平と、そこにいた全員が振り返ると、フロアの星形に五台並んだエレベーターの方から激怒しながらこちらにやってくる風秋夕の姿があった。
「ちぇ」磯野は真っ直ぐに立ち上がる。「何だよ、お前今日用事なんじゃねえの?」
「何がわんわんわおーんなんだ、貴様は!」夕は怒り顔で空いているソファに腰を下ろした。「与田ちゃんに何かしてみろ、俺は殺すね、お前を」
「何もしてねえだろ?」磯野は溜息をつく。
「美月ちゃんにもわんわんわおーんを、やったでござるよ」あたるは早口で暴露した。
「てめっ」磯野は、夕を見る。「ま、へへ、あんま、怒っととさかに血ぃのぼるぞ」
「美月ちゃんに、何をした?」夕は、ソファを立ち上がる。
「あー、ちょっと吠えられただけだから」美月は仕方なくそう言い、苦笑した。
風秋夕は着席する。「いいか、波平……。改めて、第一の掟だ。乃木坂に、無意味に触るな……」
「あ、触ってねえよこれは?」磯野は右手で犬をやる。「かまってほしいワン公だから」
「乃木坂が嫌がる事もするな。いいか、これは殺人予告だ」夕の眼はぎらぎらと滾っていた。「やぶれば永久にお前を地下室から出さない。俺にはそれができる」
「わかったよ」磯野は愚痴を呟きながら、空いているソファに着席した。「本当にはやめろよ? な? おま、犯罪だよ?な? やめなよ君ぃ! 脅迫(きょうはく)っていうんだよそういうの!」
「うるっせえ、やんなきゃやんねえよ」夕はそう言って、美月、祐希と、微笑んだ。
「てめえを昔っから知ってるから、嫌がってんだよこっちは……」磯野はそっぽを向く。で、にたあ、と笑って祐希を見つめた。「与田ちゃん、ワン公のマネ、上手すぎんな? そんな可愛いワン公なら飼うぜ、俺」
「犬としゃべれるから」祐希は自信ありげに言った。
「美月ちゃん、じゃない方の彼女って、最後どうなっちゃうの?」夕は興味津々な笑みを浮かべて美月に言った。「マー君と結ばれんの?」
「いやー、どう、だろうねえ」美月は微笑んだ。「観て下さい。ドラマの方を」
「あ…、ああ……」
姫野あたるが激しく動揺したので、そちらの方を見てみると、乃木坂46二期生であり、今日この日が卒業の日でもあった寺田蘭世が、右眼に眼帯をつけた二期生の北野日奈子と、こちらへと歩いてくる姿があった。
ソファ・チェンジが行われ、〈レストラン・エレベーター〉を背にした東側のソファに、寺田蘭世と北野日奈子が座り、その正面となる西側のソファに山下美月と与田祐希が座り、南側のソファに向井葉月と吉田綾乃クリスティーが座り、その正面となる北側のソファに、風秋夕と磯野波平と姫野あたるが座った。
「蘭世ちゃん、コングラッチュレーションズ・オン・ユア・グラディエーション」夕は握手を添えてそう蘭世に言った。
「ご卒業、おめでとうございます」
寺田蘭世の乃木坂46卒業を祝う声が、その場に交じり合った。
「ありがとう~」蘭世は微笑んだ。「あー、なんか、落ち着いてるけど、終わったんだな、…て感じ」
「写真集いい感じだね」夕は蘭世に微笑む。「内容もいいけど、売り上げも好調みたいだね。さすが」
「ありがと」蘭世は首を横に振った。
「きいちゃん眼、どしたの、痛いの?」夕は心配そうに日奈子の顔を見る。「大丈夫?」
「はい大丈夫ですこれは」日奈子は笑顔で答えた。「もう治療してあるんで」
「きいちゃん!」磯野は日奈子に叫んだ。
「はい!」日奈子は眼をむいて磯野を凝視する。「なにい……」
「セカンド写真集、発売決定! おめでとう!」磯野は立ち上がった。「空気の色から三年、待ちに待ったぜえ!」
「おめでとう、そしてありがとう」夕もにこやかに日奈子に言った。「波平、座れ」
「おめでとうございます」
その場の空間に、祝福の言葉が交差した。
「あーありがと~」日奈子は笑顔で返した。「期待してていいやつだから、期待してて」
「し、刺激的なのでござるかぶんっ!」
姫野あたるは、磯野波平のひじであごを殴り上げられた。磯野波平はにたにたとし、姫野あたるは絶句する。
「犬たちとさ、触れ合って走ってる写真、あれって写真集のワンカットなの?」夕は日奈子にきいた。
「あー、そう」
「あれすげえ好き」夕は満面の笑みを浮かべる。「あれ一枚だけでもすでに欲しい」
「ほんと?」日奈子は鼻筋に皺を寄せて笑った。「ありがと」
「どれだよ!」磯野は興奮する。「どこにのってんだ!」
「自分で探せ」夕は冷たく言い放った。
「小生もまだ見てないでござるよ!」あたるも興奮する。
作品名:例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。 作家名:タンポポ