例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。
磯野波平は、悲しみに屈しそうになり、握りこぶしを作った。
ちくしょう……。好きしか言えねえのか、俺は。
頭悪いとこんな時、困ったもんだな。
乃木坂の象徴みてえだったいくちゃんが、乃木坂を去っていく。
こんな時、俺は何ていやいいよ、いくちゃん。
初めてケンカに負けた時、俺は世界で一番強くなかった事が証明されたみたいで、俺の心は泣いていた。だけど、実際には泣かなかった。
でも今は、いくちゃん。泣いちまうよ……。
今日泣いたら、もうすぐに明日が待ってるな。
でもしたらいっか、また泣けば。
気が済むまで泣いてやらあ。
どうやらそれが、俺の『好き』らしいぜ。
どこまで行けっかなあ、いくちゃん。
どこまでも行くぜ、一緒にだ。
「どこまでも、一緒にだ」磯野は顔を歪めながら、鼻水をすすりながら、しゃべり終えた。
「お前何、誰にしゃべってたの?」夕は不思議そうに磯野を見つめる。「まさか今この瞬間にポエムなんて、ないよなあ?」
「るせえ、…っ、黙って、泣かせろ」磯野は歯を食いしばって、生田絵梨花を見つめた。
「……はは、おうよ」夕は、にこやかに頷いた。
生田絵梨花のセンターで、美しく始まる『羽の記憶』が、オーディエンスの心に、全国各地のファンの心に、記憶の詰まった羽を降り積もらせていく……。
「圧倒される……」稲見は感動に呑み込まれる。
「なんて楽曲で、なんて歌い手だよ……」夕は涙をふいた。
「羽がある……」磯野は涙目で呟いた。
「可能性、無限大でござる……」あたるは涙ぐんで囁いた。
「はあ、凄い感動します……」駅前は驚愕した。
梅澤美波のMCでトークが行われる。筒井あやめは、生田絵梨花が憧れの人で、ドラマをきっかけに、生田絵梨花を乃木坂46だと知り、いっぱい活躍されている生田絵梨花に、乃木坂46は歌って踊るだけじゃない事を学んだと語った。
賀喜遥香は、『アイシー』での生田絵梨花とのダブルセンターのエピソードを語った。生田絵梨花の眼を見るだけで落ち着くと。生田絵梨花がこの曲を踊ると楽しいと言ってくれた事が嬉しいと。
山下美月は、生田絵梨花とはいつもふざけ合う仲間だと語り、『遥かなるブータン』で任せたよ、と生田絵梨花に言われ、練習して本当に上手くなったと、サビの部分を踊ってみせた。
VTRで、生田絵梨花は表題曲についての印象を語った。今しか出来ない楽曲について語った。
生田絵梨花が最後に踊っておきたかった楽曲――。
それは『命は美しい』であった。生田絵梨花をセンターに、静寂と激しさの両面を持つ旋律が乃木坂46を表現者として踊らせる……。
炎の演出と共に『インフルエンサー』が始まる。霞(かすみ)がかったホワイトの柄入りのロングドレスが朱色のライティングに染まる。ライティングが青になれば蒼く。赤になれば紅く。迫力のステージであった。
続いて梅澤美波のセンターで『シンクロニシティ』が始まる。静かな旋律から、突如として激しく、そしてまたリズムを刻み、メロディが爆発する。美しく舞い踊る天使たち。途中から、センターが生田絵梨花に変わり、ひたすらに美しくこれを歌いきった。
齋藤飛鳥のセンターで、『シング・アウト』が始まり、齋藤飛鳥の煽りが『クラップをして下さい』と会場中のオーディエンスに、全国各地の配信で見守るファン達に訴えた。センターは齋藤飛鳥で、齋藤飛鳥のソロダンスは、妖艶な笑みを浮かべられ、この世のものとは思えぬほどに美しいステップを踏んだ。
『裸足でサマー』で齋藤飛鳥が、生田絵梨花が『おーいお前ら、そんなもんじゃないだろー、まだまだやれんのかー!』と会場中を煽り、抱きしめ合って歌唱が始まった。センターは齋藤飛鳥である。ステージ中に、会場中に巡る乃木坂46のメンバー達。手を振り、笑顔で、くたくたの体力と精神力を奮い立たせる。
「飛鳥ちゃーーん!」夕は叫び声を上げる。
「いくちゃん達、くったくただろうな」磯野は心配そうに呟いた。
「青春だ」稲見は確信に近いものを感じていた。
「凄いでござる~、今日凄いでござる~」あたるは感動している。
「胸に刻みつけますからね、皆さん」駅前は囁いた。
生田絵梨花の『横浜アリーナー、騒げ~!』という熱狂的な煽り声から、『ガールズルール』が生田絵梨花のセンターで始まった。
「真夏に恋してでカメラまなったんに寄って!」磯野は叫んだ。
「卒業していくで、いくちゃんにカメラが寄ったあ!」夕も叫んだ。
「神業だね」稲見は高揚(こうよう)していた。
「今日凄いでござる~」あたるは感動して泣く。
「と、鳥肌が……」駅前は絶句した。
生田絵梨花のトークが始まる。次で最後の曲ですと告げられた。それは『最後のタイト・ハグ』であると。
フル・サイズで披露するのは、おそらくこれが最後だろうと。
『皆さんの心を感じながら歌えたら、いいなと、思います。最後のタイト・ハグ』
生田絵梨花の歌唱から『最後のタイト・ハグ』が始まった。火花が降り落ち、火花が上がり、しっとりとした感動の中、これを完成とした。
秋元真夏のMCで生田絵梨花とのトークが始まり、本日は、ありがとうございました――と、深く深く頭を下げて、ステージを去っていく乃木坂46……。
最後に、オーディエンスからの拍手が巻き起こった。
すぐさま、スティック・バルーンのアンコールが始まる。
紫色一色のステージ。
黄色いサイリュウムに染まった会場。
スティック・バルーンの木霊が加速していく……。
「ヤバいヤバい、泣いたぁ……」夕はにっこりと微笑んだ。
「素敵だったね、いくちゃん」稲見は心から思った事を口にした。
「お前ら泣きすぎ!」磯野は笑う。
「自分でござろう……」あたるは小さく呟いた。
「一生涯、忘れません」駅前は微笑んでいた。
VTRが始まる。それは、泣きながら卒業を発表する生田絵梨花の姿であった。
そして、十四歳の頃の、オーディションの映像。
シングルに参加しなかった頃の映像や、センターに抜擢された時の映像。
ピアノの弾き語りのライブ映像。
ナレーションは語る。そんな生田絵梨花は、乃木坂46の礎(いしずえ)の財産になったと。
乃木坂46、生田絵梨花――。
宝石のちりばめられた純白のロングドレスで再登場した、生田絵梨花は、眼を疑うほどに美しかった。耳には煌めく雪の結晶のようなピアスが揺れている。
思いの内を語る。
最初の頃は、からみづらかったんじゃないかな、とか。
後輩も、気まずかったんじゃないかな、とか。
でも、今の私は凄い笑ってて、乃木坂46が大好きでたまりません。
こんな人間に育ててくれたのは、まぎれもなく、皆さんだと思っています。
辛いことも沢山あったけれど、当たり前のようにあった日常が無くなるのは、凄く凄く、寂しいです。
マネージャーさんと時にはぶつかりながらも、ずっとそばで、走り続けて来てくれたこと。
気づけば、後輩たちが甘えて来てくれたりと。
一期生は、無駄がらみをしている時は、迷惑そうな対応するけど、弱ってる時は、そっと、寄り添ってくれました。
こんな温かな人達に囲まれて、私は、十年間、幸せな体験をしました。
作品名:例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。 作家名:タンポポ