例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。
かかわった全ての皆さんに、感謝を伝えたいです。
本当に、十年間、ありがとうございました――。
『この曲に、この十年の感謝を込めながら、でも次の道に進むために、しっかりとこの曲を歌って、お別れをしたいと思います』
『今日は弾き語りで、歌いたいと思います』
『それでは聴いて下さい、歳月の轍……』
弾き語りで、生田絵梨花の最後のソロ曲、『歳月の轍』が歌われる……。
舞い落ちる雪とは、こんなにも美しいものか……。美しい歌詞を始めとした楽曲自体が舞い落ちる雪のような錯覚を引き起こした。
風秋夕は思いを巡らせる……。
いつからだろう。たまに思う時がある。
形だけ一人前の、どこにでもいる優等生。それが俺だった。
ふと気が付いたら大切な人設定に設定されていた乃木坂の中で、自分と似たような優等生の姿を見つけた。
その人は、もっと自由な発想を持っていて、真剣な顔してる事が多かったけど、笑うとすても素敵で、何より、幼い時からぶれない夢を持っていた。
そして、その夢を叶えていっている凄い人だった。
いくちゃんになら、言おうかな。夢ってやつを。
俺の夢は、自分はひもじい思いをしながら、俺に一切ひもじい思いをさせずに、一人で俺を立派に育ててくれた母親を、幸せにすることだ。
俺自身が幸せになる事が、母親の一番の幸せらしい。馬鹿正直な俺は、それを鵜呑みに今、幸せを感じ生きている。
いくちゃんたちを見て、笑っていられる時間が、俺の一番の幸せだ。
この十年間も、幾度笑ったかなんて、馬鹿らしくて神様だって数えないんじゃないかな。それぐらい、笑ったんだよ、イクタリアン。
いくちゃんたちは、俺だけじゃなく、俺の母親や、世界中の多くの人達を幸せにしている。クリスマスに一回訪れるサンタクロースより凄いことしてるよ。
忘れられない事で、いっぱいなんだけど。その中でも、今この瞬間も強く記憶に残るんだと思う。
ディア・ジャイアン。君が好きでした。
未来は君の理想の中にある。未来で笑っている君が見える。それは、今まで笑った数よりも、きっと。
これから先の君の歌声は、どんなメロディを響かせているのかな。
それが、凄く待ち遠しいよ。
卒業、してほしくなかったけど。
誰よりも言いたいな、おめでとうって……。
「いくちゃん……、いーくちゃーーーーーん!」
風秋夕は、俯いて、腕で涙をぬぐった。己の好きを貫き通し、想い続けた彼女の事を、今も誇りに思いながら――。
『最後は、大好きな皆の歌声と、姿を、弾きながら、眼に焼き付けたいと思います。それでは、聴いてください。君の名は、希望……』
楽曲が始まると、一列ずつ、ピアノを演奏している生田絵梨花の元で歌っては、代わっていく。
姫野あたるは巨大スクリーンに映し出される乃木坂46を、生田絵梨花を、大きく見つめた。
秋元真夏のMCで生田絵梨花との最後のトークが行われる。秋元真夏は日本語が可笑しくなるぐらいに泣いていた。
秋元真夏からのサプライズで、手製の手紙を読む事に……。
オーディエンスからの盛大な拍手が沸き上がった。
次が、生田絵梨花の、乃木坂46最後の曲だと告げられた。
『ダンケシェーン』が生田絵梨花のセンターで始まった。純白のロングドレスを身に纏った生田絵梨花以外のメンバーは、黒のツアーTシャツに紺のスカート姿であった。珍しく齋藤飛鳥が顔を隠して泣いていた。
ゆっくりと、会場を巡る生田絵梨花とメンバー達。抱き合ったり、涙したり、笑ったり、生田絵梨花は純白な心で会場のオーディエンスに手を振った。
秋元真夏の『やっぱいくちゃんだな!』『だな~!』で、この曲をしめくくった。
道の途中で、ハグし合う生田絵梨花とメンバー達。会場に手を振りながら巡っていると、生田絵梨花の後ろに率いられている一期生のメンバー達の中に、与田祐希が加わり、和やかな笑顔が生まれた。
これからも、乃木坂46を、よろしくお願いします――。そう深々と頭を下げた生田絵梨花は、美しい笑顔を浮かべていた。
本日は本当に、ありがとうございました――。深々と頭を下げるスター達。
顔を上げると、会場中には『ダンケシェーン』というプラカードが会場を埋め尽くすようにオーディエンスによりかかげられていた。
生田絵梨花は言った。『皆さんに、ダンケシェーン』
ドイツ語で、それは、ありがとう。という言葉――。
彼女は階段を上っていく……。
最後、満面の笑みで、またきっとどこかで会えますように、皆さんの事が、大好きです。十年間ありがとうございました。
そう語り、生田絵梨花は、大きく最後まで手を振り、笑顔で、この十年間を飾る最後のライブステージから消えていった……。
しっとりと拍手に包まれて始まったこのライブは、煌めき続け、星々の星座のように輝き、汗を流し、泣いて、そして笑い、愛されて、盛大な拍手に見送られ、終焉とした。このステージに、彼女はもういない。
13
二千二十一年十二月二十四日、クリスマス・イヴの聖なる夜。ミュージックステーション・ウルトラ・スーパー・ライブ2021の乃木坂46の出演後、今宵〈リリィ・アース〉ではクリスマス・パーティーが開催されていた。地上一階から地下二十二階までが全てクリスマスにちなんだ装飾が施され、〈レストラン・エレベーター〉の奥に控えるシェフ達も普段よりも多く人材をそろえていた。
聖なる夜には、乃木坂46と、その卒業生の何名かが訪れていた。
地下二階のエントランス、メイン・フロアの各ラウンジのソファ・スペースにある大型ビジョンにて、アナウンサーふうの眼鏡姿の風秋夕と、アナウンサーふうの眼鏡姿の磯野波平の二人が映し出され、『ザ・リリィ・アース・ニュース』というタイトルのニュース番組が放送されていた。
乃木坂46と、今集まっているその卒業生達は、西側のラウンジにある大型ビジョンと、東側のラウンジにある大型ビジョン、その二手に分かれて、談笑を交えながら放送を見守っている。
『えー、続いてのニュースです』デスクに座った風秋夕は、澄ました顔で書類を読み上げていく。『現在、リリィ・アースでは全国のクリスマスにちなんだ世界料理キャンペーンを実施中です。どこのレストラン・エレベーターからでも、イーサンを通しましてお手軽に注文できますので、現在この放送をご覧の方たちは、どうぞお試しあれ。それでは、磯野さん、お願いします』
『はい、ありがとふあきさん。磯野です、よろしくお願いします』
地下十八階の各〈スタジオ〉のいずれかで撮影したのであろうか、今度は眼鏡にスーツ姿の磯野波平が書類を読み上げていく。
『いやー、冬ですね。夏じゃあない事は確かですよ。いやあ、本当ですってば、間違いないはずですよ、だって家のトイレが寒いですからねー』
『アホか。普通に書いてあることだけ読め』
作品名:例えば、こんなメロディをポケットに響かせて。 作家名:タンポポ