BUDDY 11
上目で頼まれてしまうと、凛に断る術はない。士郎のこういう仕草に凛は弱い。素でやっているのだろうかと疑いたくなるが、たとえ下心があっても、そんなふうに頼まれたりすれば断る気も失せる。
(やっぱり、モテたわね……)
どうでもいいことに確信を得ながら、凛はため息を一つ吐く。
「いいわよ。私が作る。そもそも誘われたのは私だしね」
「よかった、助かるよ」
安心したように笑った士郎のおかげで、つい先ほどまで感じていたモヤモヤが消えている。
「ありがと」
凛は素直に礼を口にした。凛が弁当を作るつもりだったと士郎が察したのか、たまたまかはわからない。だが、弁当作りに加われるのは士郎のおかげだ。
「ん? 何が?」
そんなふうに感謝しても、当の士郎は首を傾げ、きょとん、としている。
「えーと、なんとなく?」
凛が曖昧に笑い、そう答えると、
「なんだよ、それ?」
ますます士郎は疑問を浮かべていた。
はりきって弁当のおかずを三品(しかも大量に)を作ったツケが祟ったのか、翌朝、寝坊してしまった凛だが、アーチャーと士郎が準備万端整えてくれたため、遅刻は免れることになりそうだ。
昨日、作り置いた弁当は、アーチャーと士郎が弁当用のタッパーに詰め込んでくれている。
「気をつけてな。楽しんでこいよ」
玄関で見送る士郎に、少し複雑な気持ちで頷き、凛はアーチャーとともに家を出る。
「ねえ、アーチャー」
「なんだ。忘れ物か?」
「やっぱり、士郎を外に出してあげたいと思うわね」
「…………」
同意を求めたというのに、アーチャーは答えなかった。
見上げた横顔に表情はなく、その心情を読み取れる手がかりもない。
「そうは、思わない?」
「今は、外出しようと思えばできる。だが、自ら外に出ようとしないのであれば、アレは出たくないと思っているのだろう」
「そう……なのかしら…………?」
拭えない疑問が積もっていく気がした。
感情の窺えない表情のアーチャーを見ていても、何が解決するわけでもない。
それでも何か、アーチャーが何らかの変化を見せれば解決の糸口が見つかるかもしれないと思わなくもない。
(士郎は、どうしたいんだろう? アーチャーは?)
考えてもわからない。
頭痛の種が消えないわ、と思っている間に、待ち合わせ場所に着いてしまった。
◇◇◇
あれは、なかったことになっている。
先日、苦しさから逃れたい一心で、好きだと言ってしまった。でも、嘘だって誤魔化したら、アーチャーは納得して、たぶん、ほっとしていた。
あれからアーチャーの態度は一切変わっていない。
ということは、なかったことにされたんだ……。
俺が嘘だって言ったから、それを鵜呑みにしてアーチャーは安心している。
自分勝手だと思うけど、腹が立った。
嘘じゃないんだぞって喚いたりすれば、アーチャーはどうするだろう?
……なんて、底意地の悪いことを思う。
まあ、できないんだけどな、そんなこと。
アーチャーは何もなかったみたいに、前と変わらない接し方をしてくる。魔力供給《セックス》をしたことなんて忘れたみたいだ。相も変わらず小言とか厭味とかを吹っかけてくるから、勢い余って投影しそうになるけど、ぐっと堪えて思い留まっている。
俺が魔力を使えば、それで動けなくなんてなれば、アーチャーに魔力供給をさせることになる。またセックスをすることになる。
それだけはさせないように、苛立ちもモヤモヤも、腑に落ちないことでも全部を飲み込んで、何も言わずに笑って見せるんだ……。
正直、疲れる。
本当は顔を合わさない方がいいんだろうけど……。
でも、傍で見ていたい。もっと近くにいたい。
だけど、もう限界だと思う。
苦しくて仕方がない。
終わりにしたいと思うようになっている。
俺のこの気持ちは、いつまで経っても消えないから、俺が存在することをやめればいいんだ。それで楽になる。きっと。
決心はついた。
じゃあ、どうやって終わりにするか、だな……。
自死はアーチャーからの魔力があるから難しい。俺の魔力が極端に減ればアーチャーに気づかれるだろうから、きっと失敗する。
誰かに頼めばいいんだろうか。
アーチャーに言ってみるか?
すぐに契約をやめてくれるかな?
ああ、でも、遠坂が反対しそうだから、遠坂に頼んだ方がいいのか?
だけど、契約主であるアーチャーを無視すると、アーチャーだって気を悪くするはずだ。
どうしようかな……。
許可なんか必要ない、勝手にやってしまえ、と思う気持ちと、きちんとアーチャーと話をつけてから、という気持ちが相反している。
こうなると、聖杯戦争が凍結されたことが残念だ。続いていれば、どさくさに紛れて消えることができたはずなのに……。
まあ、過ぎたことをどうこう言っても仕方がない。
俺は、このところ、消えることばかりを考えている。
アーチャーを嫌いになったわけじゃない。
今も好きだ。
だけど、もう、どうすることもできないから。
傍にいるよりも、消える方を選びたい……。
***
『士郎、悪いんだけど、お弁当に入らなかった余りを持ってきてくれない?』
「え? 余りを? 弁当で結構持っていったけど、足りなかったのか?」
『お弁当は足りたんだけど、これから衛宮くんの家で二次会って話になったのよ。買い出しも行くんだけど、うちに余っていたって仕方がないじゃない、それ。だから、お願いね』
「あ、ちょっ、遠坂?」
ツー、ツー、と通話の切れた音が聞こえる。言いたいことだけ言って切れた受話器を戻し、士郎はため息をついてキッチンに向かった。冷蔵庫内にはタッパーが三つ、かなりの幅をきかせている。今朝、弁当として詰め込めなかったおかずの残りだ。
「仕方ないな」
タッパーを重ねて買い物袋に入れ、遠坂邸を出る。夕闇が訪れた町には家々の明かりが灯りはじめていた。
ジャケットの襟を立て、顎元までファスナーを引き上げ、顔を襟に埋めて歩く。薄暗い時間帯であるため、衛宮士郎の知り合いにも見咎められることはないはずだが、念のため俯いて歩いた。
「俺も霊体になれればいいんだけどな……」
霊体になる方法を一度アーチャーに訊いてみたことがあるのだが、首を捻られてしまい、教えてはもらえなかった。アーチャーはやり方を意識して霊体になっているのではなく、サーヴァントとしての能力的な部分として実践しているらしい。なので、そういう努力や練習をしたわけではないと言っていた。
「そりゃ、訊かれてもわからないよな」
苦笑いをこぼしながら、かつて生きていた町を歩く。
不思議な感じがした。
生前、ほとんど帰ることのなくなったこの町を、今、人外のモノとなって歩いている。懐かしいと思い、また少し切ないとも思う。
(アーチャーと歩いたこととか、あんまりないな……)
自分のサーヴァントであったアーチャーと、並んでこの地を歩いたことなど数えるくらいしかないのではないか。
(十年、一緒に過ごしたのにな……)
後悔ということではない。ただ、そういう何げない日々を送ってこなかった自分自身に、勿体ないぞ、と教えてやりたくなる。