BUDDY 11
(突然、終わるんだからな、人生は……)
だから、今できるのであれば、なんでもやってみた方がいい、と今なら士郎は言える。
(気持ちもそうだ。抱えているだけじゃ、重くなるだけだぞ……)
かつての己に教えてやりたいことが山ほどある。望みなどなくても、迷惑をかけるとわかっていても、蔑まれる、嫌われる、避けられる、そんなことになったとしても、想いを閉じ込めているだけというのはお勧めしない。
(想っているなら、伝えるべきだったんだ。俺みたいになる前に……)
こんな、歪な存在になってしまう前に、人であるうちに、その想いを昇華させてしまわなければならなかったのだ。
(こうなることがわかっていたら、俺ももっと早く、全部ぶちまけていたよ……)
これを後悔と呼ぶのだろうか、と士郎は星が見えはじめた夜空を見上げた。
衛宮邸の玄関に着いたものの、インターホンを鳴らしていいものかどうか迷う。やはり、衛宮士郎以外の者が出てくると厄介だ。
(とりあえず、何人いるのか……)
息を潜めて気配を探れば、一人分のものしかない。
(ひとり……)
サーヴァントではなく人間の気配だった。衛宮士郎であればいいが、士郎のことを知らない者だった場合、面倒なことになる。
士郎には気配の有無はわかるが、それが誰だと特定することまではできない。仕方なく庭に回って、開け放たれた縁側から侵入した。
かつての我が家とはいえ、泥棒まがいのことをしているな、と気が引けてしまう。荷物を置いたらさっさと帰ろうと決め、居間へと向かった。
気配を殺し、障子が開いたままだったので中を覗く。台所に立っているのは衛宮士郎だけだ。少しほっとして気を緩める。
「遠坂から頼ま——」
もう気配を隠さなくていいことに安堵し、カウンターに荷物を置いた士郎の目の前を銀色の筋が通り過ぎた。仰け反らなければ流血沙汰必須の案件だったろう。
「なんだ、お前か」
包丁を真横に薙いだ衛宮士郎が意外そうな顔でこちらを見ている。物騒この上ない出迎えをしておきながら、謝罪の一言もないことにむっとしたが、士郎はかまわず、荷物を指さして用件を伝える。
「遠坂から頼まれたものだ」
つっけんどんに言った士郎に、衛宮士郎もむっとしながら頷いた。
「確かに渡したからな」
「おう。って、お前、帰るのか?」
衛宮士郎の問いかけが、すぐに踵を返した士郎の足を引き止める。
「ああ」
「でも、これから二次会だぞ?」
「俺がそんな場に居られるわけないだろ」
士郎は呆れながら言うが、衛宮士郎は納得のいかない顔をした。
「あー……っと、め、飯だけでも、どうだ?」
「は?」
「空いた部屋に居ればいいだろ。どうせあり余るほど部屋はあるんだから。適当にお前を探して飯は持ってくから待ってろよ。その……お前だけ、なんか、」
「除け者だとか思ってんなら大きなお世話だ。俺には慣れ合う意味も必要もない」
「そ、そんな言い方ないだろ! とにかく、どの部屋使っていてもいいから待ってろ!」
「俺に飯なんか必要な——」
「必要か不要かなんて、どうでもいいだろ! せっかくお前も現界してるんだから、他のサーヴァントみたいに——」
「俺はサーヴァントじゃない」
「似たようなものだろ!」
「お前、どうかして——」
「俺は正気だ! だけどな、いくら人間じゃないっていっても、そこに居るのに、居ない奴みたいな扱い、おかしいじゃないか!」
士郎は言葉に詰まった。衛宮士郎の言うことはもっともだと思ってしまう。過去において、士郎も口にしそうな言葉だった。
「……お前、甘いって、言われるだろ? アーチャーに」
「それがどうした。あいつに何言われても、俺はやりたいようにする、それだけだ」
「…………そっか」
目を伏せた士郎は、衛宮士郎に背を向ける。
「あ、おい? 絶対、家のどこかにいろよ? 土蔵でもいいから!」
返事の代わりに頷き返し、士郎は居間を後にした。
「何やってんだ、俺……」
衛宮士郎に言われた通り、あれから衛宮邸に留まっている。
帰ろうと思えばすぐに帰れた。縛られているわけでもないのだから……。
「あいつの言葉に従うことなんて……」
真っ直ぐに己を見据えた琥珀色の瞳は眩く見えた。もう自分の瞳にあんな輝きはないだろうと士郎は思う。
羨ましいわけではない。眩しいと思うだけで、戻ることのない過去に拘ったところで仕方のないことだ。
(消えてしまえたらって、本当に思ってる……)
今、士郎の切なる願いは、それだった。
けれど、ここにいて、衛宮士郎の言った通りにしている。矛盾を感じないわけではないが、どうしてか、遠坂邸に戻る気になれなかった。
満開の桜が月明かりの中、遠目に見える。春はどこか心を軽くするというのに、士郎の心は深く沈んだままだ。
独り土蔵の屋根の上で、ぼんやりと花霞の夜を眺めている。
衛宮邸では花見の二次会がはじまっていた。その賑やかな居間の雰囲気に一度顔を向け、再び夜空を見上げる。
「運命だと思った……」
あの夜。
ランサーに追われ、土蔵に追い詰められたとき、月光の下に現れたのは、赤い外套を翻したアーチャーだった。
あの瞬間《とき》のことはずっと忘れられない。
見上げる体躯、静かな瞳、表情のない頬。だが、ひとたび剣を握れば、熱を灯したように躍動し、苛烈に戦う。
「運命だって…………思ったんだ……」
片膝を抱えて顎をのせ、瞼を下ろせば珠の雫が音もなく落ちていった。
「よう、坊主」
なんでこんなタイミングなんだ、と反応を示さないままでいると、
「あ、あれ? おーい、どうした?」
「べつに」
「なぁんだよ、ひとり除け者にされて寂しかったのかー?」
茶化すランサーに答えることなく士郎は膝に顔を埋めた。
「おーい……、っと、あー……、あっちの坊主に頼まれて、メシ持ってきたぞ。おにぎりしか残らなかったって謝ってた」
顔を上げずに手を出せば、温かいおにぎりがのり、そっと頭に大きな手がのせられた。
「お前ら、うまくいってないのか?」
お前ら、とは誰と誰のことか、何をもってうまくいくという表現をするのか。士郎は疑問を浮かべてしまう。
ぽんぽん、と軽く頭を撫で叩くランサーの大きな手には優しさが感じられた。
「子供扱いするな」
「ガキみてぇに泣きべそかいてるクセにか?」
「かいてない」
「……まあ、いいけどよ」
がしがし、と今度は荒く頭を撫でてくるランサーの手を払う。
「早く戻れよ。あんたも二次会しに来たんだろ? さっさと行けよ」
「外の空気吸ってるだけだ」
「……あー、そうかよ…………」
気のない返事をした士郎はようやく顔を上げ、何が見えるわけでもない夜の町を眺める。涙は止まっていた。
「なあ、ランサー」
「んー?」
「もう一度、俺の心臓、貫いてくれないか?」
「…………は?」
ランサーが素っ頓狂な声でこちらを見たのはわかったが、士郎はランサーに顔を向けない。
「あんたならできるだろ? 俺の心臓壊すくらい、朝飯前だろ?」
「朝飯……って、冗談もほどほどにしとけよ、坊主」
ランサーの声が低くなる。さすがにこんな言い方をされれば、面白くはないだろう。
「冗談なんかじゃない」