BUDDY 11
「本気だってんなら、お断りだ」
「なんでだよ」
「無抵抗の奴を仕留める趣味はないんでね」
よく言うよ、と思った。逃げる己を串刺しにしたクセに。
「————たクセに」
「あ? なんてった?」
「なんでもない。さっさと戻れば? 藤ねえが探してる」
思わず声に出たのを誤魔化し、ランサーさーんと呑み友達を呼ぶ大河の声の方を指さす。
「坊主、大丈夫か?」
「何が?」
「なにって……、そりゃあ、いろいろ……」
言い澱むランサーは、結局それ以上は何も言わず居間へと戻っていった。
時折聞こえてくる笑い声に頬が緩む。
ここは、士郎に一番馴染みがあって遠い世界だ。もう二度と帰ることのできない、失くした世界。
「この世界の衛宮士郎には、間違った選択なんて、しないでほしいな……」
たいして話したわけでもない。少し前、ここに世話になっていたときは忠告みたいなことをしてきたが、その後は、二人で会うこともなく顔を見ることもなかった。
あのとき、アーチャーのことが見えていないと言っていたが、士郎には彼の言った意味がよくわからない。
衛宮士郎にとやかく言われなくとも、アーチャーのことは見えている。
無理をして己と契約し、魔力を補充させるためにセックスをも厭わない、酔狂な奴だとわかっている。
自分自身というものがないことも知っている。
凛に頼まれれば断れないことも、好きだと言ったことをなかったことにしたのも……。
「こんなところで夜明かしか?」
揶揄するような口調に、士郎は少し瞼を上げる。
いつものようにアーチャーは厭味な言い方をして士郎の神経を逆撫でてくる。そうして士郎が頭に来て口論がはじまるのは、いつものことだった。そうやってコミュニケーションを取っているつもりだった。軽口を叩いて、時には剣すら交えて……。
いつもの、ことだった。
けれど、それはもうしない。
「アーチャー、……もう、いいよな」
「何がだ?」
「もう、俺は、いらないだろ?」
「…………士郎?」
「契約を、やめてもらいたい」
「は? い、いや、待て。それは、凛に——」
「もう疲れた」
「士……」
「もう消えたいんだ」
抱えた膝に顎を置き、士郎はぽつりと声をこぼした。
***
“もう消えたい”
その意味を捉えるうちに、焦りがアーチャーの全身を襲った。
「お、おい、早まるな! 待て、それは、お前の一存では…………」
肩を掴み、振り向かせた士郎はこちらを見ない。明らかに泣きはらした目元に驚く。
「泣いて……いたのか?」
否定も肯定もしない士郎の瞳は、明けてもいない夜の町を見ている。
「ま、まさか、ランサーが何か、」
「ランサーは関係ない。心臓を貫いてくれって頼んだけど、断られた」
淡々と告げられる内容にゾッとする。
「な……っ、馬鹿な! 何を言っているのだ、お前は!」
声を荒げるアーチャーにも士郎は反応を示さない。まるで五感すべてを失ったかのようにぼんやりしている。
「と、とにかく、凛の家に」
連れ帰ったところでどうなるものでもないが、ここに居れば、サーヴァントの誰かしらが声をかけてくるだろう。それに、士郎は霊体になれないため、夜が明けて、土蔵の屋根の人影を見られては厄介だ。
「ああ。帰るよ」
「お、おい?」
土蔵の屋根から母屋の屋根へとんとんと飛び降り、庭に降り立った士郎は塀を飛び越えて出て行った。
士郎を追うこともできず、アーチャーは呆然とするだけだ。
(どういうことだ? いったい、どうなっている?)
今朝までは普通だった。花見のための弁当を共同で作っていた。真剣に弁当のおかずを作る士郎を垣間見て、以前と変わらず今まで通り過ごせると安堵していた。少し前の険悪な感じもなくなり、遠坂邸で家事を分担し、それなりに協力もしていた。
(いったい何が? ランサーに何か言われたか? だが、関係ないと言った。いや、それよりも、ランサーに心臓を貫けと……)
愕然としてしまう。
士郎が何を望んでいるのか、これほど明確なことはないだろう。
ランサーに心臓を貫けと言うのであれば、それは、あの一撃必殺の槍で貫けと言ったという意味で、まず間違いない。
(馬鹿な……、なぜだ?)
アーチャーにはわからない。
なぜ士郎が己の消滅を望むのか。
(疲れた、と言ったが……?)
いったい何に疲れるというのだろう。魔力さえあれば体力など無尽蔵だ。
少し前ならば身体が重く疲れることも多かったと思うが、今の魔力は活動を制限するような量ではなく、そこそこの魔術を使っても現界に問題がない程度は流れている。
だが、士郎は疲れたと言ったのだ。もう消えたいとも。
(なぜ……。私は、何か思い違いをしたのだろうか?)
士郎も納得するような関係を築くために、相棒《バディ》であるとは言わなくなった。士郎が嫌だったと言ったから、口にするのをやめたのだ。
(それだけでは足りないのだろうか? いや、それよりも、あの言葉……)
士郎はアーチャーを好きだと言った。だが、あれは嘘だと、からかったのだと言ったが……。
忘れた方がいいと思い、あれから口にしなかったが、もしかして、それが何かしら士郎に誤解を与えたのではないか。
(しかし、嘘だと言うのだから、関係のないことだろう……?)
憶測ばかりが浮かんでは消える。
(お前は、いったい何を……?)
ますますわけがわからなかった。
***
「遠坂、消えたいんだ」
アーチャーが買い物に出たのを見計い、凛に話があるとソファに向かい合い、士郎はそうこぼした。
あまりにも突然の申し出で、凛は目を瞠ったままでしばらく何も言えない。
「ダメか?」
少し前傾姿勢で俯いていた士郎は、機嫌を伺うように凛を上目で見る。
(それ、わざとじゃないの?)
そう思いつつ、凛は顔には出さなかった。
士郎は自分の意思を通したいときに、こういう言い方をして、こういう仕草をする。
これは衛宮士郎にはない士郎の話術。
ようは、それだけ歳を重ねているという証拠。
そして、何がなんでも貫き通したい、士郎の我が儘なのだと凛は気づいた。
「……そう。で、どうするの?」
真意をはぐらかして自身の望みだけを叶えようとする士郎に腹は立ったが、反対するでもなく、凛はその方法を訊ねる。そこまで言うのならば、覚悟は決まっているはずだと、士郎を測るつもりで。
(どんなやり方で消えようとしているのか、聞かせてもらおうじゃない)
腕を組み、ふんぞり返る気持ちで士郎の返答を待つ。
「ランサーに頼もうと思う。ランサーなら確実に壊してくれるから」
自身の胸元を押さえつつ、士郎は琥珀色の瞳を爛と煌めかせた。
「!」
直感で凛は感じ取った。
(こいつ、本気だ……)
その眼差しに覇気がある。士郎に二言はない。すでに覚悟を決め、確実に己を消す方法を導き出している。
そして、士郎の言葉にも表情にも迷いがない。これは、凛が何を言っても気が変わらないと理解した。
「い……、いいの? それで、本当にいいの?」
「ああ。もう、俺には何もないから」
す、と視線を落とした士郎からは、前の覇気など嘘のように消えている。