BUDDY 11
「何とも……、向き合ってない……俺は、逃げて……ばかりで…………」
ぽつ、とアーチャーの頬に雫が落ちた。
「どうにもならないからって……俺は…………アーチャーから、逃げようとしていただけで……っ」
だから、と凛を見上げる。
「もう一度だけ、チャンスが欲しい。アーチャーときちんと向き合う機会を、少しの間でもいいから、俺に与えてほしい」
少し呆れつつも笑みを浮かべていた凛を、士郎の滲んだ視界では捉えられない。したがって、互いに目配せして、ニヤリと顔を見合せる凛とランサーにも、返答のないことに気が動転している士郎は気づけない。
「遠坂、頼むから——」
「はいはい、わかったわよ。じゃあ、帰りましょ。アーチャーのことなら大丈夫。手加減したから、ちょっと酷い風邪程度のものだわ」
「で、でも、意識が、」
「それよりも、わかった? 士郎。あんたのどうしようもない気持ち」
「…………わ、わかった」
言い聞かせるように言われて士郎は頷く。
「ふふ……。ほーんと、世話が焼けるんだからー。感謝してよね。あんたたち二人して、なーんにもわかっていないみたいだったから、わからせてあげたのよ」
「え……?」
驚いた様子で士郎は瞬く。
「士郎は何よりもアーチャーを優先しているでしょ? そして、それは、アーチャーもなのよ」
「は? アーチャーもって……?」
「さっき、自分で言ったことじゃない。自身の我が儘の決行なんて無視して、アーチャーのことが心配で、何がなんでも私にどうにかしてほしいと思った。そうでしょ?」
「そ、そう、だけど……」
「アーチャーが士郎にとってどうでもいい奴なら、気にせずランサーにさっさと消してくれって言うはずだものね。だけど、士郎はアーチャーを優先した。それからアーチャーもだわ」
「……俺は、そうだけど、アーチャーも?」
「だって、ランサーの槍の前に出てこないでしょ、普通。アーチャーはその槍の威力を知っているのよ? なのに、あんたを庇うように飛び出してきちゃって、ほんっと周りが見えていないっていうか……」
ブツブツと愚痴る凛は嫌悪感を発しているわけではない。その言動は、むしろ士郎とアーチャーへの配慮の塊だ。
「気づかせてあげようと思ったの」
「気づ……かせる? アーチャーに、何を?」
「士郎がどれほど大切な存在なのかってことをね」
「俺が、大切?」
「そ。ランサーの槍の前に出てくるくらいだもの。下手をすれば自分が座に還ることになるのよ? だっていうのに、盾になるなんて……、よほど焦ったんでしょうね」
「アーチャーが? そんなこと……」
「信じられない?」
「だって、アーチャーは、俺がいてもいなくても、何も変わらないし、」
「じゃあ、話し合ってみればいいわ」
「話し……合う?」
「アーチャーときちんと話しなさい。これは命令よ。って、言っても、士郎は私と契約しているわけじゃないものねー。じゃあ、アーチャーだけへの命令になるのかしら?」
宙を見上げて首を捻っている凛から目を逸らすように士郎は俯く。
「話す……。ああ、そうだな、アーチャーに話すよ。俺の気持ちをきちんと話す。だからといってアーチャーに変化があるわけじゃないだろうし、今と何も変わらないと思うけど。消すのは、それからで——」
「変わらないかどうかは、話をしてみないとわからないじゃない。消えることまで選んだ士郎なら、そこまでの想いがあるのなら、大丈夫だと思うんだけど?」
「大丈夫って? なに言ってるんだ遠坂……」
士郎はそれきり黙り込んだ。その先を訊くこともなく、凛はランサーへ水を向ける。
「ランサー、ありがと、面倒なことに付き合ってくれて。今度埋め合わせはするわね。それで、迷惑ついでにアーチャーを運んでくれたら、ありがたいんだけど、時間は大丈夫かしら?」
「しゃあねぇなぁ。嬢ちゃんの頼みなら、ちぃとばかし遅刻したってかまわねえよ」
「ますますお礼しなきゃいけないわね!」
「おう。楽しみにしてるぜ?」
言いながらランサーが意識のないアーチャーを士郎から引き離して肩に担いだ。
「あ……!」
奪われるような気がしてしまい、士郎は咄嗟に手を伸ばしてアーチャーの腕を掴んでしまう。
そんな士郎と目が合ったランサーは、
「なんにもしねぇよ。運ぶだけだ。とって食いやしねえ。ほら、坊主も行くぞ」
促されて、のろのろと立ち上がった士郎は、所在無さげな顔で二人についていく。
凛とランサーは、少し前を歩きながら何ごとかを話していたが、その声は士郎の耳に入ってこない。
士郎は現状を把握することと、ともすれば溢れてしまいそうな涙を堪えることで精一杯だった。
凛に自身を消してほしいと頼み、それにランサーが手を貸したという流れまでは理解できている。だが、ランサーは士郎の心臓を貫くことなく、凛の家へと向かっている。アーチャーを担いで……。
現状を目の当たりにして何を言えばいいのか、考えたところで何も言葉が浮かばない。
ただ、士郎は、二人の後をとぼとぼとついていくことしかできなかった。
◆◆◆
士郎は出かけた。凛とデートだと言って。
この胸騒ぎはなんなのだろうか。
ただ出かけただけだ。
確かにデートという言葉に少し面白くないという気はしたが、べつに、拗ねたりすることもない。
いや、拗ねるとはどういうことか。
凛は大切なマスターだ。
士郎は、相棒《バディ》とは呼べないが、目下、我々の関係を示す呼び名を模索中の存在。
二人とも私にとってはどうでもいいと考えるような者たちではない。
その二人が揃って出かけ、私は留守番。
何やら除け者のような気がしないでもない。が、二人とも、私の……。
いや、やめよう。
不毛なループに陥っている。
こういうときは、何か家事をして気晴らしを……。
ふと屋敷を見渡せば、どこもかしこもピカピカで塵一つ落ちていない。
すでに家事を終わらせてしまっていた……。
クソ……、やることがない。
庭の手入れは、昨日士郎が一通り終わらせている。アレもエミヤシロウだ。家事全般において、やることに抜かりはない。
「はぁ……」
掃除道具を片づけ、リビングにひとり佇み、窓から差し込む陽光を眺める。
日暮れはまだだが、陽が傾いている。
ずいぶんと日が長くなった。気づけば三月も終わりそうだ。
桜は、もうほとんどが散っていて、瑞々しい葉桜があちこちで見られる。
士郎とここに現界して、ふた月近くになるのか……。
昨夜、士郎が魔力をねだってきた。
もう触れることがないと思っていた唇は、微かに震えていて、やけに甘いと感じた。叶うのならばもう一度、と思ってしまう。
もっと抱きしめればよかった。
もっと味わえばよかった。
次、いつそんな機会が訪れるかわからないのだから、もっと……。
「っ……」
だめだ……、本当に、これは、だめだ……。
おかしい。なぜ、私は士郎に対して欲情めいたことを思っているのだ……。
それはそうと、先日、士郎は消えたいと言っていたが、あの考えはもうなくなったのだろうか。
ただの気の迷いなのか?
このところ、士郎とまともに話す機会もないため、訊けないままだ。