BUDDY 12
む、と眉間にシワを刻んで、台所へ逃げた士郎を目で追う。
(また、気遣いか……)
アーチャーに対して、士郎は何かしら遠慮しているところがある。
初めてそれを指摘し、士郎に妙な気遣いをするなと言ったのは、契約をしてから半年ほどが経った頃だった。少しずつ士郎の表情が増えてきたのもその頃。
そうして、アーチャーに一つの願いが生まれた。絶対に無理だろう、と諦めていた、淡い願い。
士郎が終の住処で呑気に笑う余生を送る、そんな、平凡な願いだった。
アーチャーは正義の味方など、大それたものを願ったりはしない。何しろその理想を追った衛宮士郎が己という失敗作なのだ。そんな轍を士郎に踏ませるわけにはいかない。
四度、聖杯戦争にアーチャーとして喚ばれ、その度に衛宮士郎と出逢ったが、どんなにへっぽこでも、どんなに不器用でも、己の信念を貫き、アーチャーに見たこともない世界を見せてくれると約束した士郎は、ただ一人だ。
ともに花火を見て、土蔵の屋根をアーチャーの特等席だと言って微笑っていた。
思い出せば、胸がくすぐったさにざわつく。
いつのまにか親しげに名を呼んでいた。
懸命に、アーチャーの言葉をすべて吸収しようとする真っ直ぐな表情、そのひたむきさがアーチャーに熱を灯した。
士郎に導かれることを楽しみにしていた。
士郎が見せてくれると約束した未来がくるのを心待ちにしていた。
その約束は、士郎に訪れた突然の死によって果たされることなく、今となっては互いの関係性まであやふやなものになってしまっているが……。
アーチャーにとっては、表情がそれほど多くない士郎が、たまに見せる笑顔が奇跡のようだった。
己に信頼を寄せ、また信頼させてくれる士郎に、ここまで成長したのかと、鍛えた側としては、大変満足のいく成果もあった。
(だが……)
道半ばであった。
何も成しはしなかった。
士郎に大きなことをさせようとしていたわけではない。ただ、己との約束だけは守ってほしかったと思う。
なんの因果か、士郎がアーチャーの座に転がり込み、一度終わったと思っていた縁に再び搦めとられて————、
(この現界が……、奇跡のようだ)
そう、思えてならない。
士郎が入っていった台所を見遣る。静かに立ち上がり、開いたままの扉から覗けば、昼食の準備をしている士郎がいる。
「焼き飯でいいよな? アンタや遠坂みたいに本格的な炒飯は無理だけど」
了解を得ているような口ぶりではなく、確認事項のように淡々と士郎は言う。
平日昼間、凛は学校なので、遠坂邸には二人だけだ。ならば、凝った昼食などいらないだろう、という士郎の考えにアーチャーは同意する。
いそいそと調理台と冷蔵庫を行き来する士郎を眺め、手際良く材料を刻んでいく手元から横顔へと視線が移る。
耳朶の弾力を知っている。顎のラインを辿って行きついた紅い唇は、いつも少しカサついている。
まろみのある頬が赤く染まり、少し開いた唇から熱い吐息をこぼし、舌っ足らずに掠れた声でアーチャーを呼ぶ……。
「アーチャー?」
驚いてこちらを振り返った士郎をシンクに押しつけ、両腕の間に閉じ込めて、じいっと見つめた。
(可愛いと、思った……)
ベッドで抱きしめれば、赤くなり、熱くなり、壊れそうなほどに心臓が胸を叩き、それをどうにかして押さえ込もうとする士郎が、思わず呟いてしまいそうになるくらいには、可愛かった。
なぜ、可愛いなどと思うのか、と、改めて士郎を見つめる。
(どの衛宮士郎とも同じ……。目も鼻も口も、パーツの配置、背丈や肉付きも大差ないというのに……)
不思議でならない。
なぜ、目の前にいる士郎だけが、そんなふうに思えるのか……。
「ちょ、あーちゃ、っ」
吐息が触れ合うくらい近づいていることにハッとした。
「すまない」
すぐさま離れたが、士郎はその場にしゃがみ込んでしまった。
「お、おい?」
「からかってるのかよ……」
言葉のわりに張りのない声で言って、士郎はこちらを睨んだ。その目には涙が滲んでいる。
「い、いや、違う」
首を振って、慌てて否定するが、士郎はふい、とそっぽを向いてしまう。
「そんなつもりはない。そうではなくて、っ……」
何をどう説明すればいいのかアーチャーにはわからない。
なぜ、士郎を可愛いと思ったのかが不思議で、その原因を探ろうとしただけだ。それが、思いのほか熱中してしまい、士郎を間近で観察するということになってしまっただけで……。
(いや、本当に、そうか?)
何か他に、理由があるはずだ。
(士郎を、ただ見ていた、というのとは、違う……)
士郎の前に膝をつく。
「なに?」
不機嫌な声だが、士郎はこちらを向いた。
「教えてくれ」
そっと頬に触れる。見開かれていく目は、驚きの色を宿している。
「好き、というのは、どういうものだ?」
士郎の手が、アーチャーの頬に触れ、やがて白い髪を後ろへと撫でていく。思わず、心地好さに目を細めた。
「アンタが、失くしたものだよ……」
カサついた唇が頬に触れてすぐに離れる。
「はぁ……。アーチャー、アンタが好きだ。嫌だったら、もう、俺を消してくれ……」
士郎は微笑んでいた。
土蔵の屋根で、花火を見ながら微笑《わら》った、あのときと同じ顔で。
そうして、唇を塞がれる。
半開きだった口の中に、遠慮がちな舌が差し込まれてきた。熱い吐息と熱い舌、カサついた唇も、滑った舌も、頬に添えられた指も震えている。
(士郎……)
瞼を下ろす。
拳を握りしめた。
嫌なのではない。
諦めでもない。
ただ、我慢している。このまま襲ってしまわないように。
でなければ、こんなに震えている士郎を壊してしまいそうだ。
我慢しながら口づけを交わす。
ねっとりと甘く、濃く、熱く、互いの舌を貪り合って、士郎の唇がぽってりと腫れるまで、何度もキスをした。
◇◇◇
我慢、できなかった。
アーチャーが近づいてくるから。
俺には逃げる要素なんてない。そんな気もない。
だから、一か八か、嫌なら消してくれと言って、キスをしてみた。
反応のないアーチャーに絶望しそうになったとき、アーチャーが応えた。
嫌だとは言われていない。
消すわけでもない。
だったら、いいのか?
俺は、アンタが好きなんだぞ?
いいのか?
気持ち悪くないのか?
ああ、もう、わからない、どうでもいいや。
そんなことよりも、気持ち好い。何も考えられない。
アーチャー、キス、うまいな。
はあ、勃ちそう。
触ってほしい。
撫でてほしいのは背中じゃなくて、他にあるんだ……。
アーチャーは、教えてくれって言ったけど、どうやって、教えればいいんだろう。
好き、を教えるって、どうやれば……?
俺の状態を見たら、わかるものかな。
これが、好き、だぞって……。
俺、こんなに、全身で好きって言ってるのに、案外通じないものなんだな……。
どれくらいの時間、アーチャーとキスをしていたのかわからない。
なんだか身体が火照って、あちこち熱くて、アーチャーをまともに見ることができない。
台所で何やってるんだって、遠坂に怒られそうだ。