BUDDY 12
それより、どうして…………。
なぜだ、士郎。
どうして消えたい、などと……。
士郎…………。
***
薄っすらと瞼が開く。白い睫毛が瞬きに震えた。
常に寄せられていた眉根に刻み込まれたようなシワが今は見当たらない。こんな、すべてから解放されたような彼の姿を知る者は少ない。
「アーチャー?」
おそらく、その気の抜けた姿を知っている唯一といっても過言ではない者の声を耳が拾い、アーチャーは目を向けた。
すぐには焦点が合わず、何度か瞬けば、次第に、視界一杯に心配そうな顔がぼんやりと見えてくる。
「……っ…………ぅ」
その名を呼んだつもりだったが、声にはなっていなかった。
「ちょっと待ってろ」
どこに行くのかと問うこともできず、咄嗟に手を伸ばす。いや、実際には伸ばせずに、アーチャーの手はシーツを掻いただけだった。
(士郎……)
声にならない呼び声がアーチャーの中で繰り返される。意識が浮上する前も、ずっと呼んでいた気がする。それほどに馴染んだ名だ。
目で追った士郎は部屋を出たわけではなく、ベッドサイドのテーブルに置いてあったコップに水を注いでいた。
「身体、起こせるか?」
士郎の腕が肩の下に差し込まれ、その補助を受けたまま、アーチャーは僅かに頭を起こす。コップが口に当てられて、生温い水が唇を潤した。
こく、とひとくち口内に入った水を飲み込めば、存外水分を欲していたようで、コクコクコクとコップの半分くらいまで入っていた水を飲み干してしまった。
「まだ、飲むか?」
そっと寝かされたアーチャーは、僅かに首を振り、いや、と答えた。声が出たことに少し安堵して士郎を見上げると、こちらをじっと見下ろしている。なぜか、泣きそうな顔に見えた。
「……ごめん…………」
何に対しての謝罪なのかと、アーチャーは疑問を浮かべる。
「いろいろ、その……」
アーチャーが不思議そうにしていることを察した士郎は、説明をしようとしているようだが、うまく言葉がまとまらない様子だ。
「何も……謝られることなど……ない……」
言葉に詰まる士郎より先にアーチャーが掠れた声で答えれば、士郎はますます顔を歪める。
「でも、ガンドを喰らったのは、やっぱり俺のせいだから……、ごめん」
謝罪など求めてはいない。アーチャーが今聞きたいのは、ただ一つの疑問に対する答えだ。
どうして、とずっと思っていた。
熱に浮かされながら、繰り返し繰り返し、なぜだ、どうしてだ、と答えのない疑問を浮かべていた。
「どうして……」
「え?」
ずっと考えていたからか、つい声に出ていたようで、士郎が訊き返してくる。
訊きたいと思っているが、訊いてもいいのかどうかを迷った。だが、今を逃せば、きっかけを失ってしまい、有耶無耶になりそうだ。
「士郎……訊きたいことが、……ある」
ゆっくりとだが、アーチャーは、はっきりと声に言葉を乗せた。
「な、なんだ?」
少し唇を引き結んだ士郎が緊張したのがわかる。
「“あれ”は、本当に、嘘だったのか?」
「え……?」
大きく見開かれた目から、琥珀色の瞳がこぼれ落ちそうだ。士郎には予想外の質問だったのか、動揺からか瞳が揺れている。その反応を見れば、“あれ”という内容を士郎は理解しているようだ。
アーチャーは、ずっと疑問に思っていた。嘘だと言ったあの言葉は、本当に嘘だったのか、と。
それがずっと気になっていて、ずっと問い質したかった。
それに、あの時、士郎は確かに泣いていた。
その意味もわからず、あの言葉自体が嘘だと言われては蒸し返すこともできず、訊けないままでいれば、士郎は消えたいと言い、凛に呼び出されて港へ行けば、ランサーに槍を向けられていた。
もう、わけがわからない。
アーチャーは現状を理解することなく、とにかく士郎を失うまいと本能的に動いてガンドを喰らっている。
だから、と言えば見返りを求めているようだが、そんなことはどうでもよく、アーチャーは士郎の真の言葉が聞きたい。それだけが、今、アーチャーを突き動かす原動力になっていると言えるだろう。
「そ、それは……」
言い澱む士郎は、アーチャーを覗き込むような体勢から身体を戻した。答える前に何処かへ行ってしまうのかと思い、手を伸ばそうとしたが、士郎は何処へもいかず、ベッドの側に置かれた椅子に腰を下ろしただけだった。
それでも少し距離が空いたことに変わりがない。それが嫌だとアーチャーは思った。
沈黙が、室内を覆う。
伏せられた瞼は何度も瞬きを繰り返していて、こちらを見ることのない琥珀色の瞳に影を落としている。
「士郎?」
促すように呼べば、突かれたように顔を上げ、士郎はこちらを見た。
その瞳に決意の色が見て取れる。
迷うように何度か開きかけた唇から、声がこぼれた。
「……嘘じゃない」
***
「嘘じゃない」
士郎は覚悟を決めてあの時の嘘を否定した。
「では、私を好きだと、言ったのは、」
「うん……、ごめん……」
驚いた顔で問うアーチャーに答え、士郎は俯く。
「ほんとに、ごめん。気持ち悪いだろ……俺に好きとか、言われても……」
「それを……言うなら……私の方が……………」
それきり声が聞こえず、士郎は顔を上げてアーチャーを窺う。
「アーチャー?」
声をかけたが、すう、と寝息が返ってくるだけだ。
「ね、寝たのか?」
肩を揺すってみるが、アーチャーは目を開ける様子がない。
「な…………なんだよ……、アンタの方が、なんだって言うんだ……? 言いかけて寝るとか、ずるいぞ……」
けれど、否定されることも、嫌な顔をされることもなかった。いまは熱でぼんやりしているのかもしれないが、すぐに消してやるとも言われなかった。
なぜかはわからないが、アーチャーは少し微笑んだように思えた。
期待はしない。けれど、アーチャーは怒りを見せはしなかった。
(受け入れられるとは思わないけど……)
強く拒絶されることがなかったというのは、士郎の気持ちを少しだけ楽にしてくれた。
あれからアーチャーは、寝て、覚めて、を繰り返している。熱はほぼ下がっているのだが、意識が浮上したり沈んだり、と不安定な状態に陥っている。
相変わらず士郎へ流れる魔力はほとんど感じられず、凛に施された魔力補給用のドリンクを飲んで魔力不足をしのいでいた。
すでに四月も二週目に入り、凛は毎日登校し、世の中も年度はじめの慌ただしさで過ぎていく。
そんな世の中と比べると時が止まったような一室で、士郎はかいがいしくアーチャーの世話をしている。
次第に目覚めている時間が長くなってはいるが、いまだ活動するには至っていないアーチャーを目の当たりにし、
(遠坂のガンド、おそるべし……)
できれば喰らいたくはないものだ、と士郎は身震いをしながらアーチャーを気の毒に思った。
(俺のせい、だよな……)
アーチャーがガンドを喰らった原因は士郎にあると自覚している。そのことも謝らなければと思っているが、今、アーチャーと話すことはほとんどない。あの時の嘘を否定してから、とくに会話というものをしていないのだ。したがって、謝罪もしていないのが現状だった。