BUDDY 12
以前に比べると、アーチャーの起きている時間は多いというのに、士郎が話しかけず、その上、アーチャーが話しかけようとする雰囲気を察知して、どうでもいい用を見つけ出して士郎が逃げているので、会話というものは発生していない。
(ああ、ダメだ……)
凛に、アーチャーと話をすると言った手前、きちんと話し合わなければならないのだが、アーチャーが好きだという士郎の気持ちを知っても、アーチャーの態度に変化がないことが、士郎の踏み出す勇気を萎えさせている。
このままでもいいのではないか、というズルい考えが何度も脳裡をよぎる。このまま、当たり障りのない関係ならば、どちらも痛手を受けないと、そんな都合の良い考えまで浮かんでしまう。
「ダメだ、こんなんじゃ……」
わかっているのに踏み出せないのは、アーチャーに完全に拒否されることが恐いからだ。
「意気地なし……」
自分自身を蔑んだところで何も解決はしない。
壁際の机と対になる椅子は、もうベッドサイドには置いていない。はじめこそアーチャーの枕元で看病していたために、ベッドの側に置いていたが、アーチャーの熱も下がり、眠ることはあるが、それ以外はなんら問題がないアーチャーに看病はいらない。したがって、椅子は元の場所に戻しておくことにした。
アーチャーが眠るベッドを眺めて椅子に腰を下ろす。
話すことも難しいというのに、近くにいれば触れたくなってしまう。アーチャーが好きだという気持ちはいまだ士郎の心を占めており、何かにつけてアーチャーに触れてしまいそうになる。
その予防のために、アーチャーから離れた。士郎は必要以上にアーチャーに近づくことを、意図的に避けている。
アーチャーは今、眠りの時間だ。少し前まで起きていたが、士郎が家事をしている間にまた眠ったようだ。
士郎は、アーチャーが眠っているときだけはこの部屋で過ごしている。士郎が間借りしていたこの部屋は、今、アーチャーが眠る部屋であり、アーチャーの意識がないときだけ、士郎はここでアーチャーの存在を感じている。
(我ながら、情けないな……)
避けている、と言われても否定できない。
(だけど……)
士郎にも事情というものがある。まず、何を話せばいいのかわからない。そして、アーチャーと話をすれば、きっと契約解除へと話が向かうはずだ。
結果的にそうなるのだとしても、もう少しの間だけアーチャーの傍にいたいと思ってしまう。未練がましいと言われても仕方のない自分自身の行動に辟易しながら、それでも、こんなことでもして、ともに在れる時間を過ごしたいと士郎は思うのだ。
椅子に座ったまま片膝を引き寄せ、そこに顔を埋めた。
もう残り時間が少ししかないとわかっているからなのか、どうしようもなく涙が溢れてしまう。
(アーチャー……)
想うばかりの時間は、苦しいだけで何も生みはしない。それでも士郎は、アーチャーを想うだけで胸に灯る熱を宝物のように思った。
(何もなし得ないまま死んだ俺が、唯一だと断言できる、夢中になった存在《もの》……)
士郎が自身の一生を回顧すると、本当に、それだけだった。アーチャーだけが士郎の生きがいと言ってもいい。
何も望まないままで、ただ、ひたむきにアーチャーを想う。
それだけしかできないことを、士郎は重々承知していたのだ。だから、一歩も踏み出さず、何も望まなかった。
「アー……チャー…………」
掠れた声で呟いたとき、ドタッ、と大きな音がして、驚きで身体が跳ねた。何が起きたのかと、音のした方に目を向ければ、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
「え…………? ええええっ?」
思わず声を上げて驚いたが、すぐさまベッドの側へ駆け寄った。
「アーチャー、大丈夫か? どうした?」
ベッドから床に上半身から落ちているアーチャーを助け起こそうと脇に腕を差し込めば、ベッドの上に残っていた脚が床に落ちる。
痛そうな鈍い音がして、思わず顔を歪めた士郎の身体をアーチャーの腕が搦め取り、抱き込んでいく。
「ちょ、あ、あの、アーチャー?」
何も答えないアーチャーに困惑しながら、その背を撫でさすった。
***
士郎はいない。
アーチャーが目覚めると、士郎は掃除だ、洗濯だ、と言っていつも部屋を出ていってしまう。眠っている間は部屋にいるようなのに、と不満が頭を擡げたが、アーチャーは何も言わずにいた。
あれからアーチャーは、十日近くベッドの上の住人となっている。魔力さえあれば問題のない身体であるので、とくに不便なことはない。
ただ、動くことができないのが難儀ではある。
士郎の話では、凛が自炊をしており、炊事以外の家事は、空いた時間を見計って士郎がこなしているということだった。
(情けない……)
役にも立たないデクの棒だ、と自身を卑下しても、なんら現状が変わることもない。
(訊きたいことが……、いや、話したい。士郎と腹を割って、話さなければならないのだ……)
だというのに、アーチャーは思うように動けずにいる。
動くことができれば、部屋を出ていく士郎を追い、訊きたいことも訊けるのだが、今はまともに身体が動かず、全くできそうにない。
士郎が使っていたらしきベッドを占領し、自分はいったい、何をしているのか、と自分自身で呆れている。そういう状況ではあるのだが、一つだけ、一番訊きたかった疑問は解消されていた。
(嘘ではないと言った。私を好きなのだと、士郎は……)
幾つも訊きたいことはあったものの、アーチャーは一番気になっていたことを、とにもかくにも最優先に確認したのだ。
士郎はアーチャーを好きだと言い、そうして謝られ……、アーチャーは、この事態をどう対処すればいいのかと迷う。
気配を殺して静かに入ってくる士郎は、ベッドまで一直線に近づいてくる。じっとアーチャーを見下ろし、顔の前でヒラヒラと手を動かしてアーチャーが起きているのかどうかを確かめている。
いつもであれば目を開けるのだが、今日は狸寝入りを決め込むつもりだった。どのみち、何も変わらないのだ。そのうちにまた意識が遠ざかっていくだろう、という自棄っぱちな気持ちもあった。
ほっとしたような吐息が聞こえ、離れていく士郎の気配を感じる。
壁際の机の前に置かれた椅子に腰を下ろした士郎を、薄っすら目を開けて確認した。ぼんやりと一点を見つめている横顔は、そのうちに歪み、頬を濡らし、やがて引き寄せた片膝に埋められる。
肩が揺れている。押し殺した嗚咽が聞こえる。
なぜだ、と思った。
どうして士郎は泣いているのだろう、と疑問ばかりが浮かぶ。
訊きたいことが増えていくばかりだ。考えても考えてもわからないことばかりだ。
士郎から視線を戻し、天井を見つめる。今が日中か夜かもわからない。厚いカーテンが閉めきられていて、鎧戸も閉まっている。アーチャーの眠りが不規則なせいか、士郎が気を利かせて常に夜の状態を作り上げているのだろう。
(士郎は好きだと……私を……)
瞼を閉じて思い返す。
士郎が、“ずっと”と言った時間を思い出してみれば、何かわかるかもしれないと、アーチャーは微かな期待を寄せてみた。
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