BUDDY 12
ずる、とベッドについたはずの手が支えを失った。
「アーチャー!」
士郎の焦った声を聞きながら、その身に受け止められる。
「何してるんだよ、アンタ! 二度目だぞ!」
「……すまん」
そう、二度目だ。
先日は病み上がりのような身体だったから、ベッドから落ちても呆れられることはなかった。だが、今回は、さすがに士郎も呆れているだろう。二度も同じような失態を演じているのだから。
「まだ調子が戻らないか?」
ベッドへ身体を戻すのを手伝ってくれた士郎が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いや……」
どこも悪くない。ただ、考え事をしていた。
ずっと考えている、士郎のことを。
そして、近づこうとした、士郎に。
「アーチャー?」
お前のことを考えていたのだ。
そう言葉にすれば、士郎は喜ぶのだろうか?
「どうした?」
心配そうな顔をして、士郎は私の背を無意識にさすっている。
(ああ、もどかしい……)
どうして答えが見つからないのだろう。モヤついて、落ち着かない。
「アーチャー、遠坂に言って、きちんと診てもらった方がいいんじゃないか?」
「必要ない」
「でも……、運動機能が戻らないって症状だったら、やっぱり——」
「身体ではない」
「へ?」
真っ直ぐに私を見つめる琥珀色の瞳から逃れるように項垂れる。
お前のことを考えていたら、ベッドから落ちたのだ。
しかも、これで二度目。
私はいったいどうしてしまったのだろう。
今まで、何度か聖杯戦争に喚ばれはしたが、こんな支離滅裂なことはなかった。
その上、何もかもがわからないというのに、身体的にも変調を来していて、いったいどういうことなのか。なぜ私は、睡眠を取らなければ立ち行かない身体になっているのだ。
「アーチャー、ほんとに、大丈夫なのか?」
掛け布団の上に置いた手に手を重ね、間近に迫った士郎の顔に驚いて、思わず後退りする。
「あ……、悪い」
「い、いや、問題ない」
「そうか……」
今のは、まずかったのではないだろうか。
要らぬ誤解を与えかねない態度だった気がするが……。
「なんでもないのなら、いいけど」
士郎はすぐに背を向け、椅子の方へと歩いていく。別段変わった様子はない。
(杞憂だったか)
内心ほっとして、再び椅子に腰を下ろした士郎を盗み見る。
どうしてそこへ行くのか、という疑問が浮かんだ。なぜ、離れていくのか、と……。
「士郎、なぜ、お前はこの部屋にいる?」
うまく訊けなくて、そんな質問を投げかけてみる。
「…………アンタが俺の借りた部屋のベッドを占領してるからだろ」
こちらを見ることなく答えた士郎は、今さら何を言っているのかと呆れた口調だ。
「そう、だが……」
「まだ夜も明けていない。今は眠る必要があるんだから、眠っておけよ」
「……ああ」
士郎は眠らなくても大丈夫なのに、私はどういうわけか、眠りの必要なサーヴァントになってしまった。
凛のガンドがこんな後遺症を残すとは思わなかったが仕方がない。どのみち座に還れば、こういう縛りも失われるはずだ。別段、問題はないだろう。
再びベッドに横になり、士郎に目を向ければ、手持ち無沙汰な様子で士郎は座っている。
確かに私が士郎のベッドを占拠してしまっている。元々は士郎が凛に借り受けた部屋でありベッドである。それを私は我が物顔で占領してしまっていて……。
べつに、士郎に睡眠が必要というわけではない。凛と契約した少し前であれば身体を休めることが必要不可欠だったが、私と契約をしている士郎には滞りなく魔力が流れ、サーヴァントとほとんど変わらない状態の存在である。
したがって、眠る必要もないのだから、士郎にベッドは要らない。だが、士郎とて横になりたい時もあるだろう。家事に勤しんで、少し休憩を取りたいと思うことだってあるはずだ。
だから、これは、なんら問題のないことだ。
「士郎」
ベッドの真ん中から少しずれて手招きすれば、要らない、と士郎は首を振る。なおも手招きをやめずに呼べば、
「魔力は足りてる。必要ないだろ」
素っ気ない答えが返ってきた。
いや、魔力を与えようとしているのではない。ただ、お前と————。
(……魔力を与える以外で私は、士郎と接触しようとしているのか?)
自分自身が信じられず、自分の行動に驚き、呆然としてしまう。
士郎を呼ぶのを諦め、ひとり布団をかぶった。
そうして、じっと士郎を見ていた。それこそ、穴が開くと文句を言われるまで…………見ていたかった。
(それにしても、なぜ、魔力を与えようとしていると思ったのだろうか?)
魔力をやる、とは言っていない。ただ手招きをして、ここで休めというつもりで士郎を手招きしたのだ。
(魔力のことなど、まったく意識していなかったのだが……)
ふと、士郎が軽く背を預けている壁際の机に目が向く。
(あの試験管……)
魔力を感じる。
あれは、もしや、凛が用意したもの、なのか?
空になった試験管から残り香のような魔力が微かにある。
確か、あれは、魔力を補給するためのものだったと凛が言っていたが……?
それをなぜ、士郎が間借りする部屋に?
凛の部屋にあるならまだしも、我々が借りている部屋にあるのは……。
「士郎、魔力が足りていないのか?」
一つの結論に辿り着いた。
この部屋に魔力補給用の容器があり、それを摂取しているのは、私か士郎だ。だが、私は凛から魔力を存分に流されている。
では、私が士郎に魔力を流せていない?
馬鹿な。私は士郎と契約をし、滞りなく魔力を流している……はず……。
驚いて、目を瞠ったままこちらを見ている士郎に、そうではないのだという事実を知った。
「まさか……、私はお前に魔力を流せていない、のか?」
何かを言おうとした士郎は、やがて口を閉ざし、視線を落とす。
沈黙は肯定だ。士郎は何も言わないが、その通りだと示しているのだ。
再び身体を起こす。
「士郎、」
今度ははっきりと、有無を言わせない気概を込めて呼んだ。
「来い」
逃げるかもしれないと思ったが、士郎は素直に私の言葉に従い、歩み寄ってくる。
ベッドの側まできた士郎の手首を掴み、引き寄せて抱き込んだ。
身を固くした士郎は何も言わない。不平も不満も、拒否することもなく大人しく腕の中にいる。
身体が冷たい。
四月になったが、夜はまだまだ冷えるのだ。
「なぜ、言わなかった」
ベッドに横になり、布団を引き上げながら訊いたが、士郎は何も答えない。
「私の意識がなかったからか?」
顎のラインを指で辿り、顔を上げさせると、真っ赤に染まった頬と、潤んだ琥珀色の瞳が間近で見える。
「まったく。要らぬ気遣いをするな」
「っんぅ……ぁ、」
閉ざされた唇を喰み、口を開けさせて舌をねじ込む。逃げようとする腰を片腕で引き寄せ、逃げ場を塞いだ。
逃げる舌を追い、捕らえて味わう。ねっとりと深く口づけを交わせば、息が上がったように忙しない呼吸を繰り返し、くたり、と身体の力が抜けている。
こういう反応は、じつに男心がそそられる。男女問わずこうなのか、と一度訊いてみたいが、今はこちらに集中させたい。
「士郎……」