BUDDY 12
シャツの裾から滑り込ませた手で脇腹を撫で上げ、胸元まで到達する寸前、手首を掴まれ、止められた。
「なぜ止め…………」
不平をこぼそうとしたが、それ以上は言えなかった。
水膜に覆われた琥珀色の瞳を揺らし、小さく首を振って拒否を示す士郎に、何も言えず、何もできない。
「……悪い」
捲れたシャツを戻し、組み敷いた士郎の上から脇へ退き、それでも魔力を与えることは必要だから、と言い訳がましく士郎を胸の上に抱き込んで、瞼を下ろす。
「…………ごめん……」
小さな謝罪の声が聞こえたが、その背を撫でるに留まった。
(私を好きだと言うが、魔力供給はしたくない、ということなのか……?)
わからない。
好きだというのならば、キスをして、抱き合って、果てはセックスをするのが当たり前の行動なのではないのだろうか。
私の思い違いなのだろうか。
なぜ、私とセックスがしたくないのか。
普通はしたいものではないのか?
まさか、逆、なのか?
女役ではなく、私を抱きたい、ということなのか?
(それは、少々、ハードルが高い気が……)
悩みの種が増えてしまった。
悶々としながら、士郎を胸に抱いて、私はまた眠りに落ちていた。
目覚めたときに士郎の姿はなく、手持ち無沙汰な感覚と、わけのわからない空虚さを噛みしめ、苦い思いが胸を重く沈ませた。
***
魔力不足は厄介だ。
士郎は、ため息をこぼしながら洗濯物を干して、そんなことを思った。
数日続いた晴天がなりを潜め、今日は空一面に雲が広がっている。
洗濯のような家事全般に好き嫌いはないが、晴天ではない日の洗濯はあまり気が進まない。
いつ雨が降るとも知れないため、外ではなく室内干しにしているからか、どうにも気分が滅入ってしまう。
「いや、天気のせいでもないんだけどな……」
原因は他にある。
「なんだってこう……、俺は魔力不足に縛られなきゃなんないんだか……」
エミヤシロウの特性だろうか、と思わず自身の運命を恨みたくなるが、それを自分が言うわけにはいかない。
一番の迷惑を被っている者がいるため、士郎がその者よりも不平不満をこぼすわけにはいかないのだ。
昨夜、アーチャーに抱きしめられて眠った。
正確には眠っていたわけではないが、朝が来るまでアーチャーの腕の中にいたのは事実だ。
アーチャーは士郎を抱き込んだまま眠ってしまい、カーテン越しに明るくなってきても目覚めることもなく……。
いつまでこうしていればいいのかと思案し、多少の魔力が補えたことに安堵し、士郎としては、いつまででもこうしていられれば、という思いが脳裡を掠めて、いやいやダメだ、と思い直し……、結局、アーチャーを起こさないようにその腕から逃れてベッドから抜け出た。
しばらくベッドの傍らに立ち尽くしていたが、だんだんといたたまれなくなって部屋を出たのが、一時間ほど前のことだった。
規則正しいアーチャーの寝息を聞きながら、ずっと落ち着かない自身の鼓動を落ち着けようと苦心している自分がひどく情けなく思え、自分だけが舞い上がっていることをこれほどはっきりと理解させられたことが、ありがたいような、腹立たしいような……。
「アーチャーは、なんにも気にすることなんか、ないんだよな……」
好きだと言ったのは士郎だ。それについてアーチャーは何も言わず、咎められることもなかったのだが、この感情がアーチャーにとって良いものなのか、悪いものなのかの返答は聞けないままだ。
白黒はっきりしないグレーなままで、士郎はどこへ向かえばいいかもわからず、ただ、本調子ではないアーチャーに無理をさせないように家事に勤しんでいるだけ。
「中途半端……」
何もかもがすっきりしない。
このままでいいはずがないと思うのに、決定的な言葉がアーチャーから聞けないために、士郎はどうすることもできないでいる。
その上、魔力不足であることまでバレてしまい、接触を増やして魔力を与えられている。
「これじゃ、昔と変わらない……!」
生前にアーチャーと契約を交わした当初は、微かな契約の繋がりと僅かな魔力しか与えられず、常に密着して眠っていた。それに加えて、普通のサーヴァントであれば必要としない三食と睡眠でアーチャーは現界を可能にしていたのだ。
「また、同じことを、やらせてる」
あの頃と同じ、アーチャーに無理をさせていると、士郎にはわかっている。立場こそ逆になったが、魔力を与えるためにアーチャーは士郎との同衾を余儀なくされているのだ。
「こんなんじゃ、ダメなのに……」
悔しさに唇を噛みしめ、洗濯物を干し終えて、多少なりとも風を入れるために開け放った窓へ顔を向ける。
曇った空はまるで自分たちの現状のようだ。今の半端な状態が映しこまれたように見え、苦笑いが浮かんでしまった。
先にベッドへ入っていくアーチャーを追うように、士郎も後に続く。何も会話はなく、半分空けられたベッドへと潜り込んでアーチャーに背を向ければ、ためらいのない腕が士郎の身体に回り、アーチャーの腕にすっぽりと包まれる。
アーチャーは、直接供給を勧めてきたが、士郎は到底頷けない。
(好きだと知られているのに、セックスみたいな行為、できるはずがないだろ……!)
デリカシーがなさすぎだ、とアーチャーに憤慨したが、そんなことすらわからなくなるほどアーチャーは人間味を失っているのだと気づく。
人としての感情、当然あるべきはずの倫理観、そういうものがアーチャーには欠けているように思えてならない。
つきあってられない、と思うのに、士郎はアーチャーを想うことをやめられなかった。
「士郎、どうして言わなかった」
「何を?」
不意に問われて、何のことだかわからず訊き返す。
「魔力不足だと、なぜ訴えてこなかったのだ」
「ああ、それ。……アンタ、眠ってたし」
そんなことか、と少し呆れながら答えた。
「私が起きているときに言えばよかっただろう?」
今さらなんだ、と思いながら目を据わらせ、士郎はうんざりしながら説明する。
「アンタに魔力が必要だから」
「お前にも必要だろう」
「俺へ流す分が滞るってことは、それだけアンタに必要なんだろ。そんなの説明されなくてもわかる。だから、言わな——」
「私のせいか?」
「いや、ちが——」
「私のせいだろう。私がお前の契約主であるのだから、お前に魔力を流せないのは私の落ち度だ」
「確かにそうだけど、そうじゃないっていうか……」
アーチャーが寝込んだ原因を考えれば、一概にアーチャーの落ち度だとは認められない。アーチャーが凛にガンドを喰らわされた原因は士郎なのだ。ということは、士郎の自業自得ということにもなる。
「不自由はないか? 以前のように動くこともままならないのならば、こんな回りくどいやり方ではなく、直接供給をした方がいいだろう。その方が、確実に魔力を与えることができる」
「バカ言うな」
「どこがだ。確実な方法だろう? 魔術師であれば、子供でも思いつく方法だ」
アーチャーの頓着のない言葉が胸を刺す。すでに突き刺さった杭を、ぐいぐいと押し込まれているようで、思わず胸元のシャツを握りしめた。