Byakuya-the Withered Lilac-6
ビャクヤを蝕んでいるのも顕現の暴走であった。つまりビャクヤも『セフィロトの剣』で突き刺せば、苦しみから解き放つ事ができる。
ツクヨミが悩んでいる間に、ゾハルは立ち直り始めていた。
やはり重病人に等しい状態のビャクヤの攻撃では、ゾハルを打ち倒す事はできなかったのだった。
「何を迷ってるのさ。親友を助けるんだろう? だったら早くその剣で止めを刺すんだ。姉さん!」
ゾハルは、体を震わせながら体を起こした。
「蜘蛛野郎……!」
ゾハルは、恨めしい顔をビャクヤに向けると、二人に背を向けた。やはり本能的に勝てないと感じたのか、ゆらゆら揺れながら逃走を始めた。
「姉さん。追いかけるんだ! あんなのすぐ追い付けるだろう!」
「けれどビャクヤが!」
「早く行けと言っているでしょう! いつから貴女はそんな甘くなったんだ。ストリクス!?」
「…………っ!?」
ビャクヤがツクヨミに向かって初めて叱咤した瞬間であった。
ビャクヤの叱咤を受け、ツクヨミは立ち上がり、ふらふらと歩くゾハルを追った。
ゾハルに追い付くのは容易い事だった。
「ゾハル、ごめんなさい……!」
ツクヨミは、振り上げた剣はそのままに、ゾハルに背を向けた。
ツクヨミの向かった先は、ゾハル以上に重症のビャクヤの元であった。
「……何を!?」
ツクヨミは、ビャクヤを押し倒し、シャツを破いて真っ白なビャクヤの胸をはだけさせた。
「ビャクヤ、私にはあなたを放っておくなんてできないの!」
ツクヨミは、ビャクヤの顕現の元、『器』に向けてセフィロトの剣を突き立てた。
ビャクヤの胸を穿った剣はパリン、と音を立てて『器』を割った。
「うああああ!」
ビャクヤは、『器』を割られた痛みに叫んだ。しかし、痛みはほんの一瞬だけだった。
顕現の消失とともに、ビャクヤを蝕むケリケラータも活動を停止した。
「ビャクヤ!」
「…………」
ビャクヤは、茫然自失の状態であった。
やがて穿たれた胸には、ツクヨミが持っていたものと同じ、黒い蝶のような痕ができた。
ゾハルの気配は消えていた。どうやら逃げ果せたようである。
虚無の気配も同じく失せていた。
「ビャクヤ、ビャクヤ聞こえてるんでしょう!? 返事をしなさい!」
ツクヨミはビャクヤを揺り起こそうとした。
「……うるさいなぁ。聞こえてるよ」
ビャクヤの意識はまだ残っていた。しかし、少しでも気を抜けば、眠りにつきそうなほどビャクヤは弱っていた。
「ビャクヤ! よかった……」
「ははは。この状態を見て安心するなんて。おめでたいものだね。姉さん」
外傷はそれほど深くはなく、肺病のような症状もない。
ビャクヤの『器』が割れたことで、ビャクヤを蝕んでいた存在も活動を止めた。しかし、完全に停止したわけではなかった。
「やれやれ。姉さんも馬鹿だね。せっかく僕が死ぬ思いでゾハルを追い詰めたのに……」
「今はあなたの命が大切よ。肩を貸すわ。ここから離れましょう」
ビャクヤは、ツクヨミの肩を借りて何とか立ち上がることができた。
「参ったね。足がちっとも動かないや……」
ビャクヤの様子に堪りかねたツクヨミは、ビャクヤを横抱きにして、近くのベンチに座り、ビャクヤに膝を貸した。
「ああ……」
ツクヨミに膝枕をしてもらいながら、ビャクヤは言う。
「今ならすっと眠れそうだ。何日でも何ヵ月でも。ね……」
そしていつか、永遠の眠りにつくであろう。ビャクヤはそう考えていた。
「姉さん。いや。ストリクス」
ビャクヤは呼んだ。
「キミとの取引は終わりだ。もうじき僕は死ぬんだろう。キミを守ることもできなくなる。お役御免ってやつさ。僕なんか捨て置いていきなよ。姉さんとよく来ていて。ストリクスにも会えたこの場所で果てられるなら本望さ」
ビャクヤは満足していた。
最愛の姉を事故で亡くし、ほぼ同時期に能力を手に入れ、『夜』を歩いて回っていると、姉にとてもよく似ているストリクスに出会った。
戦いに明け暮れる日々が続いたが、姉の姿をしたストリクスと過ごした日々は、ビャクヤの人生を満足たるものにするのに十分だった。
しかし、ツクヨミ(ストリクス)は全く逆の気持ちであった。
「弱気な事言わないで。まだ私たちの契約は終わらない。ゾハルの『器』を割るまでが約束だったじゃない!?」
「みすみす取り逃がしたのはキミじゃないか。それに僕の戦う力も。キミのせいでなくなってしまったよ」
せっかく命懸けで戦ったのに、とビャクヤは続けた。
「どうして僕の『器』を割ったのさ? ゾハルは虫の息だったじゃないか」
「それは……あなたが好きだから」
ツクヨミは、初めて自らの気持ちを認めた。
「あなたのことが好きだから、助かって欲しかった。それだけよ」
ビャクヤは、なにやら考えた様子を見せてから答えた。
「やっぱりか……」
ビャクヤはいつからか、ツクヨミが自分を好いている事はなんとなく気付いていた。
「僕もキミが好きだ。キミは月夜見姉さんの誕まれ変わりだからね」
だけどね、っとビャクヤは続ける
「それ以上に。僕は月夜見姉さんが好きなんだ。キミという姉さんがいながら。まだ月夜見姉さんを追いかけている。滑稽だよね全く……」
ビャクヤは、ごほごほと血の混じる咳をした。
「ビャクヤ!」
「げほっ! げほげほ……」
ビャクヤは、血を受け止めた手を離した。最早誰の目にも手遅れだと分かる出血量だった。
「あはは……」
ビャクヤは、真っ赤に染まった自らのシャツを見て、小さく苦笑するしかなかった。
「とうとう終わりかな? 僕も。ああ。もう眠くて限界だよ……」
ビャクヤは目を閉じた。
「ビャクヤ! 起きなさい、今眠ればあなたは……!」
「……もう眠らせてくれよ。ストリクス。僕はずっと前から。死ぬ運命だったんだから……」
ビャクヤは、姉を亡くして生きる意味をも失っていた。
死んだ姉の後を追うべく、ビャクヤは偶然にも『夜』へと来ていた。どこまでも広がる闇の中に溶けていこうと、ビャクヤはその身を地にゆだねた。
しかし、死の瞬間は訪れなかった。代わりにビャクヤに襲いかかったのは、蜘蛛の虚無であった。
大きな蜘蛛に捕食されかかったものの、命は助かった。
「……僕は運がよかったようだよ。ここまで生き延びるなんてね」
人の身には余る蜘蛛の能力を使っていては、遅かれ早かれ命に関わることは、ビャクヤにもなんとなく分かっていた事だった。
「僕はね。ストリクス。キミに出会えて嬉しかったよ。月夜見姉さんと本当によく似ててさ。姉さんが帰ってきたと思えて胸がつまったよ……」
「ビャクヤ……」
「さて。そろそろ頃合いだ。僕は眠る。僕が眠ったら。ここに捨て置いてくれるかい? 姉さんとの思い出にひたりながら逝くからさ……」
この言葉を最後に、ビャクヤは昏睡状態となった。
ずっと向こうを見ているような遠い瞳は閉ざされて、その寝顔は穏やかな少年のものである。
「ビャクヤ!」
ツクヨミは、ビャクヤを揺すった。しかし、何をしようともビャクヤの目は醒める事はなかった。
ただ静かに寝息をたてて眠る、イバラの姫(リトル・ブライア・ローズ)のようだった。
作品名:Byakuya-the Withered Lilac-6 作家名:綾田宗