Byakuya-the Withered Lilac-6
『見事だ。としか言えぬ。その矮小な身体にまだそれほどの力があろうとはな』
「キミは見抜いていたはずだよ。僕に宿る顕現の獣の存在をね。そしてそいつがどれだけの力を持っているのか」
メルカヴァは確かに、ビャクヤの中を蠢く存在を見抜いていた。しかし、その力の大きさと、その限界までは分からなかった。
「さて。お喋りはここまでにして再開しよう。言っておくけど、さっきみたいにうまく行くと思わないことだね……!」
ビャクヤは不意を突くようにメルカヴァに突進した。メルカヴァに最接近した瞬間、ビャクヤは身を低くして何かをした。
『我、穿つ! キョアアア!』
メルカヴァは応戦すべく、高速で両腕を振り回した。しかし次の瞬間、この応戦が愚策であったと、身をもって知ることになった。
「ギャアっ!?」
メルカヴァの腰より下の半身が、ビャクヤの糸によって拘束された。
「罠なんて張ってないよ?」
ビャクヤは、嘘だとまる分かりの表情、仕草をした。
そして、メルカヴァが完全に動けなくなったのを確認すると、血濡れた色の鉤爪を振るった。
「どう料理しよう?」
左側四本の鉤爪を使い、上下からそれぞれ鉤爪をメルカヴァに突き立てた。
「微塵切りがいいかな?」
ビャクヤは更に、右の鉤爪を斜め左右に回り込ませ、跳躍しつつ回転する動きで鉤爪の威力を高める。
「ほーら」
身体中から黒い血を流すメルカヴァの両腕を、ビャクヤは根本から鉤爪で挟み込んだ。
「滅多切りだ!」
ビャクヤが鉤爪を引くと、メルカヴァの腕が飛んだ。
「ギョアアア!」
メルカヴァは、両腕の支えを失い、膝をついた。
ビャクヤは、メルカヴァの腕が再生する前に追撃を加えた。やや前傾姿勢で足を動かす事なく、滑走するように距離を詰める。
やられるだけのメルカヴァではなかった。腕を失って動きをほとんど封じられてしまったが、滑走してくるビャクヤに牙を剥いた。
牙は確実にビャクヤの足元に当たったはずだったが、何故かメルカヴァに感覚がなかった。
「引っかかったね」
滑走するビャクヤは、顕現の糸になり、実体は少し離れた所から鉤爪を伸ばしていた。
メルカヴァは、糸に巻かれ、鉤爪を深く突き刺された。
「さて。そろそろ仕上げと行こうか!」
ビャクヤは両手を伸ばし、同じように鉤爪の先端を伸ばした。
「姉さん! 少し下がっててもらえるかい? 巻き込んじゃいそうでね」
ビャクヤの放たんとしていた顕現は非常に大きかった。『器』の割れたツクヨミでも危険を感じるほどだった。
「さっさと決着させなさい」
「ああ。そうだ」
ツクヨミが離れていくのを確認すると、ビャクヤは、思い出したように告げる。
「僕がいいと言うまで。姉さんは目をそらしていてくれるかな? この食事は刺激が強すぎるからね……」
「……分かったわ……」
ツクヨミが今度こそ下がりそっぽを向くのを確認し、ビャクヤは顕現を解き放った。
解き放たれた顕現は糸になり、それはどんどん広がり、ビャクヤを中心とした巨大な蜘蛛の巣が形成されていく。
まだ腕が再生しきっておらず 、動くことのできないメルカヴァは、蜘蛛の巣に捕らえられ身動きを完全に封じられた。
ビャクヤの作った蜘蛛の巣は、四方八方、上下に至り、ドームの形を成していた。蜘蛛の巣でありながら繭の玉のようであった。
ビャクヤを主とした巣の内部は、『虚ろの夜』の赤い月が照らす不気味な空間となっていた。
そんな捕食者の空間の中、もう一体の捕食者は完全に身動きできぬように絞め上げられていた。
「どうだい。痛いかい?」
ビャクヤは訊ねた。
口も絞められていたが、メルカヴァには声を発する事なく、意思を伝える力があった。
『見事だ。この身が虚無がやられようとはな』
メルカヴァは、意思をビャクヤの頭に伝わらせた。
「あはは。さすが変わった虚無だ。そんな状態になっても。まだ生きてられるなんてさ」
『……喰らわれる前に一つ教えてやろう。貴様がその身に宿す顕現の源、貴様ごときには最早扱いきれぬだろう』
「なにを言っているんだい。この期に及んで負け惜しみかな?」
『我が付けた貴様の肩の傷、確実に貴様の息の根を止められる深さであった。貴様はそこに顕現の源……いや、獣と言うべきか。それに更なる顕現の放出をさせた。故に貴様は生き延びたのだ』
メルカヴァの言うことは、ほとんどその通りであった。
メルカヴァに噛み付かれたビャクヤはその時、致命傷に近い傷を負い、血の海に沈んだ。メルカヴァを喰らいたい、という一心でビャクヤは復活を遂げたのだった。
「ふーん。面白い話だね。けど。今さらそんなことを僕に伝えてどうする気なのかな?」
『言ったはずだ。最早貴様の『器』ごときではその力を受けきれぬとな。貴様からの匂いに、深淵の顕現のものがある。何を喰らったのかまでは、知りかねるがな』
ざくっ、と鈍い音を立てて、ビャクヤは鉤爪をメルカヴァに刺した。
「もう喋らないでくれないかな……」
ビャクヤの頭にメルカヴァの声は届かなくなった。
「さて。始めよう……」
ビャクヤは顕現を解き放ち、糸に変化させてメルカヴァを更に縛った。
「いや。終わらせよう……!」
糸を何重にも巻き付けられたメルカヴァは、最早メルカヴァだった原形を止めず、大きな繭の玉になった。
「鋏角たる顕現の獣……」
ビャクヤは、繭の玉に向かって歩き出す。
「僕に宿る鋏角獣(ケリケラータ)……」
ビャクヤは、一歩一歩ゆっくりと、足音を立てながら繭の玉に近づいていく。
「巣より這い出討ち喰らうんだ……」
ビャクヤは、手を少し伸ばせば届く位置で立ち止まった。すると、ビャクヤの体に変化が起きた。
メルカヴァを初めとする虚無を彷彿とさせる真っ赤な眼光を持った双眸になり、犬歯も赤い牙に変貌した。
ビャクヤは鉤爪で繭の玉を切り裂き、メルカヴァの首筋を露出させた。
『終わらない悪夢』
ビャクヤは、顕現によって作った牙をメルカヴァの首に突き立て、メルカヴァの顕現を吸い取った。
顕現を吸い取られたメルカヴァは、空っぽになった。それはまさしく、蜘蛛の巣に引っ掛かり、糧となった後の獲物の姿であった。
「……うん。思った通りだ。美味しかったよ。ごちそうさま」
メルカヴァほど変わった虚無は、ビャクヤを満足させるに足る存在であった。
ビャクヤは顕現を止めた。顕現を糧にして張っている糸は力を失い、支えをなくして夜空に散っていった。
赤き輝きを持って散っていく糸は、妖しいが美しくもあった。
そんな妖しくも美しい輝きの先、ツクヨミの姿が明らかとなっていく。
「姉さん。お待たせ」
「無事に終わったようね。それにしてもずいぶん苦戦していたわね、ビャクヤ。貴方と渡り合えるものがいるなんて、少々意外だったわ」
「はあーあ……」
ビャクヤはため息をついて、空っぽになったメルカヴァの死骸を見る。
「こんな狂暴なのと戦えだなんて。本当に姉さんは人使いが荒いなぁ」
「因縁を付けていたのは貴方でしょう?」
「やれやれ。古代の剣闘士達だって。こんな過酷な戦いを課せられていなかったと思うよ?」
まあいいか、とビャクヤは話題を変える。
作品名:Byakuya-the Withered Lilac-6 作家名:綾田宗