Byakuya-the Withered Lilac-6
「『眩き闇』とやらは死んだ。僕の因縁の相手も既にこの腹の中だ。僕と姉さんどっちの敵もいなくなった。もうここに用はないんじゃないかな?」
ビャクヤにはもう、この場に用はなかったが、ツクヨミは違った。
ツクヨミには、まだ果たすべき目的がある。虚無へと落ちかけ、『虚ろの夜』にて顕現を求め彷徨う存在となった親友との邂逅である。
「もう少しだけ。まだ、本当に最後の『眩き闇』の招待客が来るかもしれないから……」
しかしその願いは虚しく、破られたビルの窓ガラスより覗く高層ビル郡の隙間から細い光が登り始めていた。
「姉さん。今日はもう帰ろう。朝になってきた。僕はもうお腹いっぱいで眠いよ……」
ツクヨミを守る存在である、ビャクヤの状態も万全とは言えなかった。『眩き闇』を打ち倒し、謎の虚無をどうにか退けた直後では、これ以上の戦いには無理があった。
「……そう、ね」
ビャクヤをこれ以上消耗させるわけにもいかず、ツクヨミもため息をついた。
「帰りましょう、ビャクヤ」
二人は、激闘の末壊れ果てた『煌と朧の祭壇』を後にした。
二人は『深淵』の顕現する雑居ビルを出て、赤い月と群青の空が混ざった薄紫の、『虚ろの夜』の終わりかけた空のもとに立った。
ビャクヤはそうとう疲れたのか、いつもは歩いている時には、ツクヨミに絶え間無く話しかけていたものだったが、今はまるで声を上げなかった。
「…………」
ビャクヤは沈黙している。ただひたすらに黙って、ツクヨミの隣を歩いていた。
やがて、『忘却の螺旋』の参謀と戦った真っ赤に染まった駐車場へとたどり着いた。
来た時には『虚ろの夜』の月によって真っ赤に染まっていた場所だが、次第に登る朝日で本来の姿に戻っていっていた。
今回の『虚ろの夜』も終わりを告げ、世界は全て、元ある姿となっていき、鳥のさえずりが聞こえ、遠くの方からは車と思われるエンジン音がしていた。
「……ねえ」
ずっと沈黙していたビャクヤが、夜が明けると同時にそれを破った。そして続く言葉にツクヨミは驚かされることになる。
「ストリクス」
「っ!?」
「どうしたんだい。何を驚いているのかな? これがキミの本当の名前だろう。ストリクス・フォン・シュヴァルツカイト」
ビャクヤの告げた名前は、一字一句違わずツクヨミの、いや、ストリクス本人の名前であった。
「……どうしてその名を?」
ツクヨミは、自身の名を名乗った事はなかった。本当の名を知られることで姉弟を振る舞うのが難しくなると考えていたのだ。
「あはは。そうだね。強いて言うなら。コイツが教えてくれたってところかな?」
ビャクヤは、鉤爪を顕現させた。
「いつぞやキミ。風邪で倒れただろう? いや実を言うと。あれは風邪じゃなかった。顕現に蝕まれていたんだよ」
ツクヨミの『器』は、もう何十日にも前に割れてしまっている。そのような状態で虚無落ちしかけたゾハルに会ってしまったのが悪かった。
暴走したゾハルの顕現の影響をうけたツクヨミは、『器』が壊れていなければ顕現に蝕まれることはなかった。しかし、顕現を受容するものが何もないために、ひどい風邪を引いたような状態になったのだった。
「キミの首に触れた時。驚きで声も出なかったよ。なんせ。『器』は壊れているくせに。大型の虚無並みの顕現を持っていたんだもの。あれじゃあひどい高熱を出しても仕方なかったよ」
「……それと私の名前を知るのになんの関係があるのかしら?」
「顕現を取り出さなければ。キミの命が危なかった。だからほんの少しずつ顕現を喰らった。なかなか大変だったよ。ああ。どうして名前を。だったね。その顕現を喰らった時に僕の中に入り込んできたって所かな?」
しかし、ビャクヤ自身にもはっきりと伝わったのは少し後の話であった。
ツクヨミと別行動をとっていた時に、ビャクヤはメルカヴァと遭遇した。時を同じくして、ビャクヤに宿る顕現の元となる顕現の獣が暴れ出した。そんな時にツクヨミの本名と思われるストリクスという名が、顕現の獣を通じてビャクヤの脳裏に浮かんだのだった。
「それでさ。ストリクス」
粗方説明を終えると、ビャクヤは再びツクヨミをストリクスと呼んだ。もう何を言われようとも驚くまいとするツクヨミだったが、驚かずにはいられない事を提案された。
「もう終わりにしないかい? こんな姉弟ごっこ」
ツクヨミにべったりだったビャクヤが、今の関係を止めにしようと言ったのだ。
何の冗談を、とツクヨミは思ったが、ツクヨミはビャクヤの目を見て確信する。
「……その目。嘘ってまる分かりよ。どういうつもりかしら?」
「嘘なんかじゃないさ。僕が一緒にいたいのは月夜見姉さん。キミはストリクスだ。代わりなんか存在しないんだよ」
ビャクヤはやはり、嘘で言葉を並べているようにしか見えなかった。
「そう……」
ビャクヤの真意が分からないツクヨミは、あえて話に乗ってみた。
「確かに、貴方の言う通り。私は貴方の姉ではないわ。付き従う義務もない。私の目的の一部は今夜で果たされた。ここでさよならするのもいいかもしれないわね。今まで手荒く扱って悪かったわ」
ふと、ビャクヤはツクヨミの手を取った。
「待ちなって。ただでお別れできると思っているのかい? 今まで散々こき使ってくれちゃってさ」
「そう、なら好きにしなさい。今の私は顕現を持たない一般人。求められるのが体でも命でも、抗う術はない……」
「体。ねぇ……」
ビャクヤは、ツクヨミから抵抗する気力を感じず、その手を離した。
「うん。報酬としちゃそれも面白い。それじゃあ遠慮なくいただこうかな」
ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばし、ツクヨミのセーラー服のスカーフに引っかけ、一気に引き裂いた。
ビリッと音を立て、セーラー服は胸元付近まで切れ、スカーフは宙を舞って落ちた。
ツクヨミは、慎ましい胸の谷間を露にしながら尻餅をついた。
胸を抑えた腕の隙間から窺えるのは、ツクヨミにとって烙印とも言える、左右対称の黒い傷だった。
「やっぱりね……」
ビャクヤには、ツクヨミの傷痕が、それがうっすらと持つ顕現で分かっていた。
「その胸の傷。こうして実際に見なくても分かっていた。その傷を感じる度に。僕の胸も引き裂かれそうになった!」
ビャクヤは怒り狂った。
「だからその傷を。大切な姉さんに傷を付けた主を捜して殺したかった!」
ビャクヤの怒りは静まることはなかった。
「殺したい。喰らいたい。殺したい。喰らいたい。……殺したい!」
「ダメよ」
震えるほどの怒りを露にしているビャクヤに、ツクヨミは静かだが鋭く言った。
「姉さんどうして!?」
「この傷は、私の親友だった人から付けられたもの。私の不注意で彼女の心を傷つけてしまった。その罪を風化させないための烙印」
ツクヨミのかつての親友、ゾハルは今、顕現を求めて戦いに明け暮れていて、その所在を知る由もない。
「私はその罪を償わなければならないの。あの子の『器』を割る。そして楽にしてあげなければならない。例えそれが、あの子の命をも取らなければいけないことになろうとね」
ツクヨミの話を聞いている内に、ビャクヤの怒りは静まり始めていた。
作品名:Byakuya-the Withered Lilac-6 作家名:綾田宗