今もそっとポケットの中で・・・。
「そう言われると、可愛い勘違いもあるんでござるなあ……」あたるは深々と呟いた。
「あ、あった……」眞衣は携帯画面を見下ろす。
「ユーチューブ?」真夏は眞衣にきいた。
「うん」眞衣は頷いて、それから表情を豊かにする。「あー、可愛い可愛い。確かに~。思ったより幼いね……」
「ステイシーは可愛いよ」稲見は微笑んだ。「乃木坂には及ばないだろうけどね」
「イナッチと夕君て、洋楽に詳しいよね?」眞衣は稲見を見て、他の皆を見て言う。「なんか妙に詳しくない?」
「それは完全に、夕の影響だよ」稲見は無表情で頷いた。本人は笑ったつもりであった。「夕と出逢って、洋楽を聴くようになった。乃木坂以外は本当に知識も興味も乏しかったんだ。だけどね、夕の、なんていうのかな……。あの、楽しそうに洋楽を聴く様を見ていて、かなり影響を受けた。最初に聴いたのはエアロ・スミスだったね」
「わかる?」眞衣は真夏にきく。
「わっかんない」真夏はにやけた。「エアロスミス? 車かなんか?」
「ビーズ…、てわかるかな? 夕が日本のロック・バンドの中で一番好きなバンドなんだけど。もちろん俺も好きなバンドなんだけどね」
「ビーズはい。わかるよ」
新内眞衣は皿にキムチ鍋を盛りながら答えた。女子達はてきぱきと動いている。
姫野あたるは先程の曲に続いて流れている乃木坂46の『隙間』に、眼を閉じて聴き惚れていた。
「初期のビーズが、かなりエアロ・スミスにセンスのいい影響を受けてる」稲見は無表情で続ける。「二つのビッグバンドは、共演も果たしてるんだ。エアロ・スミスのエンジェルとね、ビーズのアローンをね、最初に夕に教えてもらった。最初というか、夕が好きなR&Bとか、ヒップホップ系の歌は、かなり気に入らないと、俺は聴き分けさえできないからね」
電脳執事のしゃがれたイーサンの呼び声で、ラスト・オーダーのみかんジュースが二杯届いた。立ち上がろうとした賀喜遥香を休ませて、稲見瓶は早速届いたドリンクを遠藤さくらと賀喜遥香の元へと運んだ。
「あの……」遥香は照れ笑いを浮かべて言う。「ポテト、頼んでもいいですか?」
「あ頼みな頼みな」眞衣は横の空いている空間を見る。「イーサン、ポテト……うーん、そうだな。四人前、ちょうだい?」
畏まりました――と、電脳執事の老人の声が応答した。
「では、そろそろ、乾杯するでござるか?」あたるは立ち上がって、グラスを持った。
皆も、各々のグラスを小さく持ち上げる。
「乃木坂の、過去と未来に……」あたるは叫ぶ。「乾杯でござる!」
その場に、新年の真新しい乾杯の声が賑わった。
6
秋田県の笑内(おかしない)はすっかりと雪景色に染まっていた。この季節になると、毎年そうなるのである。二千二十二年一月二十二日、乃木坂46新内眞衣の誕生日の今日の午前中に、姫野あたるは乃木坂46新内眞衣モバイル・メールと、新内眞衣の乃木坂46オフィシャル・ウェブ・ブログにて、誕生日への祝福を込めてメッセージを贈った。
山の麓(ふもと)に在る二階建てコンクリート建造物の〈センター〉のキッチンにて、今はそこの管理人、兼、住人である茜富士馬子次郎(あかねふじまごじろう)こと夏男(なつお)と、傷心旅行に訪れている姫野あたるは、凍り付きそうな雪景色の寒さを凌いでいた。
姫野あたるが秋田空港に到着したのは二十一日の夕方であった。空港からはタクシーに乗り込み、約三時間をかけて、〈センター〉の近くまでやってきた。徒歩では四十分ぐらい歩いただろうか。雪路が実に険しかった。
夏男に出迎えられると、姫野あたると夏男はすぐに夕食をとって就寝についた。
翌朝、早朝に眼を覚ました姫野あたるは、一階の二重ガラス張りの玄関のドアを見つめて、深い溜息をついていた。
その視線は、ドアの向こう側を見つめている。雪化粧された純白の森林の、そのずっと向こう側。見つめるその先、それは、今日まで培ってきた夢のような日々……。
「おはよう、ダーリン」
後ろ廊下から、夏男の優しい声がそう囁いた。
「おはようでござる、夏男殿」
姫野あたるは振り返って、微笑んだ。
キッチンに移動した後は、石油ストーブや暖房にスイッチを入れて、部屋の中をとにかく暖めた。夏男はコーヒーを淹れ、姫野あたるは携帯電話のワイヤレスホンで乃木坂46の音楽を聴いていた。
「十二月に来てくれたのに、また随分早く来てくれたねえ」
夏男はコーヒーを姫野あたるの前に差し出した。
「まいちゅんが……、新内眞衣ちゃん殿が、卒業するでござる。あと、星野みなみちゃん殿も、卒業するのでござるよ」
「今、君は迷っているね?」
「?」あたるはイヤホンを取って、夏男の顔を見た。「迷っている、とは?」
「泣かずに、これまで培った大切な気持ちで、笑顔で卒業を見送ろうか。心に従うようにぐしゃぐしゃに泣いて、別れを見送ろうか……」
「夏男殿は、魔法使いでござるか?」あたるは驚いた顔で夏男を凝視する。
「わかるよ。わかるとも、ダーリンの事見てれば」夏男は頷いた。その指先に抜き取った煙草に火をつける。「そうだな~。ウパだったら何て言うかな~……。どっちもアンサーだよ、とか言いそうだけどね。ふふ」
「二人とも卒業が近いでござる……。小生は、まだ、心の準備がっ、整わぬっ」
姫野あたるは思いとどまれずに、泣き出してしまった。
「卒業が一日でも近い人から、順番に、想いを込めて気持ちを辿っていくといいよ」
「まいちゅんで、ござる……」
「そっか。どんな人なのう?」夏男は優しげに、あたるを見つめた。
「……面白い、愉快なひとでござる。優しい、一期生にも引けを取らぬ、苦労家であり……。笑うと、安心と、こちらにも幸せをくれる人で、涙っぽくもあり、バラエティに強い一面もあるでござる。人柄が良く、人に慕われる人でござるよ……」
「素敵な人なんだねぇ。卒業しちゃうのかぁ」
「はいっ」あたるは強く、眼を瞑った。その瞬間に、涙が零れ落ちた。
「思い出を、聞かせてよ」夏男は微笑んだ。
姫野あたるは、まだまだ熱いコーヒーをゆっくりとすすって、落ち着きを取り戻す。
「これはぁ……たぶん、小生ぐらいでござろうな。気が付いたというか、運命めいたものを感じたのは」
「なぁに?」夏男は煙草を旨そうに吸った。
「乃木坂工事中という番組でぇ、メンバークイズのコーナーがあり、まいちゅんが生贄(いけにえ)に選ばれ、五名選ばれたメンバーが、まいちゅんにちなんだクイズに回答するという、回があったんでござる。間違えると、まいちゅんが高台から落ちて、白まみれになる、という面白い回なのでござるが」
「うんうん」
「まいちゅんは、OLの時に、会社員達に、何と呼ばれていたでしょう? という問いに、五人の回答者を選んだでござるが、正解の水泥棒、と答えられた人数が少なく、高台から落ちたでござるよ」
「ふぅん」
作品名:今もそっとポケットの中で・・・。 作家名:タンポポ