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今もそっとポケットの中で・・・。

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「ルールは犯さない。でも、君が好きだ」夕は寂しそうに微笑んで、またまだほんのりと温かいコーヒーを飲んだ。「だって可愛いんだもん。まいちゅん……」
「もう!」眞衣は頬を膨らませる。「でも行くか、BRAノギー」
「そういうとこも、好きだよ。ま~いちゅん」夕はソファを立ち上がった。
 マグカップを二つとも〈レストラン・エレベーター〉にて送り返し、二人はそのまま、メインフロアに在る星形に五台並んだエレベーターの一台に乗り込んだ。
 地下八階の〈BARノギー〉に到着すると、二人は洋楽の響き渡る店内を歩き、半円にカーブしたカウンター席に座った。
風秋夕が左側の椅子に。新内眞衣が右側の椅子に腰を下ろした。
 ブラックライトと柿色のライティングで薄暗い店内には、二人以外、誰もいなかった。
 店内を飾るR&Bサウンドは、ネリーの『マイ・ピース』である。
「はい、お手拭き」夕はカウンターの引き出しからおしぼりを取り出し、一つを眞衣のスペースに差し出した。「これいっつもここに入ってるから。毎日新しいのに変わるからさ」
「知ってた」眞衣は手を拭きながら、美しく微笑む。「なに、呑もうかなぁ」
「イーサン、シンウチマイ、一つ。あと、ユウを一つ」夕は天井に語りかけた。
 この巨大地下建造物を統括しているスーパーコンピューターのイーサンが、電脳執事の役目として注文を受け付けた。
「どっちが、どっち?」眞衣は夕を見つめる。
「まいちゅんはまいちゅんの」夕は言う。「俺は俺の。ただ、呑む前に一口俺の方も味見して欲しい」
「ああ、いいよ。でも大丈夫、この時代だから……」
「愛は勝つ」
「あそぉ……」
「つまみとかは、まいちゅんが頼んでね」
「は~い……」眞衣はメニュー表を開いた。
 やがて、カクテルのユウとシンウチマイが到着すると、料理も簡単なものから先に到着した。
 店内にはジェニファー・ロペスの『オール・アイ・ハブ』ft.エルエル・クールジェイが流れている。
「乾杯」夕はグラスを眞衣のグラスに当ててから、すっと、眞衣のスペースに自分のカクテルを差し出した。「呑んでみて。ユウだよ」
「あ、はい……」眞衣は、上目遣いで、上の方を見つめながら、少しだけ、ユウを吞んでみた。「あ……美味しい、てかコーラの、カクテルだ?」
「うん。ラム・コーク、ていうんだ」夕はユウを掴んで、もう一度眞衣のグラスに乾杯した。「俺は、とにかく、高校の時から外人さんの営業してるクラブに、勉強と趣味を兼ねて通ってたっていう父親の話を聞いてさ。このカクテルにハマったんだけど……」
 新内眞衣は声をもらして話に聞き入っている。
「あいつらさ、接客が荒いんだよ。ドリンクも、色々出るとめんどくさいから、オレンジジュースとラム・コークしかなかったみたいで。それがきっかけで、うちの父親はラム・コークは自分の苦労時代の象徴みたいな味がするって言ってさ。こればっかり吞んでたらしいんだけど。俺も何か呑んじゃうんだよね」
「へー、そうなんだ。あーいっつも呑んでるなー、て、思ってはいた」眞衣はそう言ってから、恐る恐るでシンウチマイを一口、喉に流し込んだ。「……あ。ほ~ほ~、こんな感じだあ? あ美味しい……」
「ブレッシングっていうカクテルの進化系がシンウチマイだよ」夕は楽しそうに言う。「可愛い見た目とは裏腹に、インパクトあるでしょ?」
「かなりありう、ね」眞衣は笑顔で噛んだ。
 新内眞衣はもうひと口カクテルを呑んで、今の事を無かった事にしようとする。
「いま噛んだ?」夕は吹き出す。「ありうね、とか言わなかった?」
「言った!」眞衣は笑う。
「あるって言いたかったの?」夕はまだまだ笑う。
「言いたかった」眞衣もまだまだ笑った。
 クリーン・バンディットの『ラザービー』が流れる。
「昔っから仲良かった幼馴染(おさななじみ)にさ、まいちゅんみたいな子がいてさ」夕は面白がって眞衣に話す。「とんにっかく、流行りの言葉を使いたがるの。またそれがちょっと古いんだよ~」
「えなーんでそれが私みたいなの?」眞衣は納得しかねる。「ちょ、夕君笑い過ぎじゃない? ちょっと」
「超バット、とか言うんだよっはっは、こう、ソックタッチで足ぬりぬりして、ルーズソックスはいてさあ」
「ソックタッチ、て何だっけ?」
「ノリだよね。ようは、接着剤」
「えーでも今ぁ、また流行ってきてるよ、ルーズ」眞衣はカクテルを一口呑み込む。「ソックタッチは、どうかわかんないけど……」
「とにかくさ、俺が高校の時なんか、乃木坂と欅坂が本当に主流で、すっごい流行ってたんだけど、その子、一人だけずっとバクチク好きで」夕は笑う。「いやバクチクカッコイイけど、何年前のバンドだよっ」
「変わってるんだ~その子」眞衣は正面に呟いて、カクテルを一口呑み込む。「でも信念があるよね。何かこう、強い信念みたいなのを感じる」
「それがさ、学年で二三番目にモテちゃうわけよ」夕はカクテルを半分ほど吞んだ。新内眞衣を考慮し、煙草は吸わない。「なーんか、抜けてんだけど、綺麗でさ、スタイルが良くって背が高くて、なんか、似てるんだよなぁ……誰かさんに」
「中一の頃にさあ、日奈子にそっくりな子と付き合ってたじゃん? 夕君」眞衣は思い出したかのように夕の顔を見て話す。「写真見せてくれたじゃん?」
「はいはい」
「あの子、モテた?」
「モテてたよ」夕は思い出そうとする。「別に、俺の彼女ってわけじゃないよ。可愛いねって言ったら、それを周りが告ったとか言って。その後、その子の好きな人が、なんか俺だったみたいで、てだけの話」
「何で、別れたの?」眞衣はそう言ってから、カクテルを呑む。
「引っ越しちゃったんだよ。別れてないし、付き合ってないもないから」夕は自然に眞衣に微笑んだ。「入学して、一年経たないうちに、引っ越しちゃったんだ。俺は中学の頃、その子が一番好みだったけど。引っ越されたら、子供は手も足も出ない。しょせんガキだからさ」
「そしたら、乃木坂で日奈子が入ってきたわけだ?」眞衣は夕を見つめる。
「そう」夕はきょとん、と頷く。
「それってさ、……もう確実に、日奈子の事好きじゃない?」眞衣は決め顔をする。
「え?」夕は頷く。「好きだよ」
「いや。いやそうじゃなくて~」眞衣はもう一度、決め顔で言う。「日奈子が一番好みだったって、認めるわけね?」
 ニュー・エディションの『ジャスト・ワン・モア・デイ』が流れている。
「そう言われても……。一目惚れなら、飛鳥ちゃんにもしてるし」夕は考える。「確かに、きいちゃんは特別だった……。ブログに、初恋の人にきいちゃんが似てる、みたいな言葉を書いた記憶もある」
「ほらあ!」眞衣は大袈裟(おおげさ)な表情で言った。
「いや何がほらなのかわっかんない」夕はくすくすと笑い、天井を指差した。「この曲……。ジャスト・ワン・モア・デイっていう曲なんだけど」
「あ話反らさないでよ」
「歌ってるのが、ニューエディションっていう人達なんだけど、ボーカルが、マイケル・ジャクソンのお兄ちゃんなんだ」夕はにっこりと微笑んだ。
「うっそ」眞衣は虚空を見つめてから、眼を瞑って、曲に聴き入る……。「めっちゃいい曲やん……」